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40 「怒る」は人生を狭める

 前回は、「何かせずにはいられない」という私たちの人生から時間を奪うという話をしました。今回も人生の時間を奪う、そして選択肢を狭める習慣について書きます。

 数回前に私たちがいろいろな事に「反応」してしまい考える事ができないという事を書いています。その反応の中で最も危険な反応としてあげられるのは「怒る」にちがいありません。怒るは私たちが感情をコントロールして表現しているように考えがちですが、これは全く逆で、怒るが私たちをコントロールしてしまいます。怒るは一度顔を出すと私たちを捉えて離しません。そして私たちはそれに気付く事ができないのです。

 私たちが最も誤解しているのは「怒る」のプロセスについてです。私たちの理解では、1)何か事態が起きて、2)その事を認知し、3)それが自分にとってや自分に関わる何かにとって好ましくないと判断し、4)それに対して「怒る」という表現をする事で抗議とすると考えています。ですが、これこそ罠です。実際には逆です。1)私たちは心の中で「怒る」を用意して待ち構えています。2)私たちは「怒る」の抽斗を開け、3)生贄をパックリと咥えます。これが本当です。怒るがいつでも先にあるのです。信じられませんか? そうでしょう。

 ですが、よく考えてみてください。あなたが「怒る」べきだと感じる物事に世の中の全員が同じ反応をするわけではありません。あなたと同様にその事象が好ましくないと考える人々でさえ、「怒る」を使用せずに他の方法で対処している人がいるのも見逃せません。しかも、「怒る」を使用せずに対処している人は好ましくないそれを好ましい方向へ変えるという「目的を達成」してしまっている事すらあるのです。そう考えますと、あなたが単純に怒る反応を好んでしてしまっているとは思えませんか?

 手前味噌ながら、私の妻の例をあげておきましょう。私の妻は実際のところよく怒ります。何かにつけて怒ります。妻は私が好ましくない行いをすると怒るのは当然だと考えています。これは子供の頃からの習慣なのだと思われますから仕方ありません。例えば妻は私に何かするように言います。私はその事をしますが妻が考えるやり方や手順ではできません。それは常時そうでできるはずはないのです。なぜなら、妻は一緒に生活している中で私が妻の考えと「同じ」考えで生きているという前提で考えているのですが、実際そうではないからです。常に夫婦というのはそうなる危険のある関係です。相手がわかってくれているだろうという前提を持ち易いのです。かくして、妻は私に対して怒ります。これは私が何をどうしようと、しなかろうと同じ事です。「怒る」は既に用意されていて私はパックリと大きく口を開けた「怒る」の中に突き進んでいくしかないのです。

 私の例はわかり易いものですが、人はニュースを読んでもTwitterを見てもこれと似た反応をします。あなたはいつでも「怒る」を用意しながらそれらをチェックしているのです。一度怒り出すと止まらなくなります。そして怒り出すきっかけになったその事と関連する物事や人に対して怒る対象を広げていきます。さらには、全く無関係な事にまで波及します。もし近くに聞いてくれそうな人がいればあなたは自分の怒っている事情や経緯を説明するでしょう。このようにして「怒る」はあなたの人生の時間の多くを占有して消費してしまいます。非常にもったいないやり方です。あなたが怒ろうが怒るまいが事態は変わらず何の効果も無いのです。狩りにあなたの身近な人があなたの言うことを聞いてくれたとしても、その人の中身まであなたに都合良く変わったわけではありません。ただその人があなたに関わって面倒な事にならないようにあなた向けの処世術を身に付けたに過ぎません。


 怒る事で変化するのはむしろ相手ではなくてあなたの方です。怒っている間は、あなたは怒っている時の考え方でしか考えられなくなります。例えば、あなたは相手を攻撃の対象としてしか見ません。蔑みの対象かもしれません。少なくともあなたに良い影響を与えてくれたり何か新しい視点を提示してくれる人だとは考えなくなるはずです。最悪、永久に敵だと認識してしまう可能性さえあります。もし怒っていない時に会えばそうはならなかったはずなのにです。

 そして、さらに危険なのは、あなたが怒った状態で言った言葉はそれを口にしたあなた自身を上書きしてしまうのです。すると、あなたはその言葉によってあなた自身を規定してしまい修正が困難になってしまうのです。つまり、あなたがその後に得られるはずのより新しく有用な知識を拒否する下地を固めてしまう事によってあなたの進歩は止まってしまいます。老害へまっしぐらです。


ここまでで「怒る」という反応の効果がわかっていただけたと思います。そして、ある事に気付かれたのではないでしょうか。「怒る」が人間の数ある反応の一つの形態に過ぎない事を。自動的に、つまり脊髄反射的に、もっと言えば「犬のように」反応してしまわなければ怒る以外の選択肢もあなたは選ぶ事ができるという事をです。

 

 


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