【アニメ】アニメのキャラにガチ恋した友達二人の話
概要
アニメのキャラに恋した友達が2人いて、それぞれ全く違うつきあい方(?)をしていた
1人はアニメのキャラを好きすぎて毎日結婚できないことを泣いて悲しみながら周りに当たり散らして暮らし
1人は毎年そのアニメのキャラの誕生日にケーキを買って誕生会をして、楽しみながら暮らしていた。
愛情だろうと恋慕だろうと非実在恋愛だろうと、幸せを選び続けるか苦しみを選び続けるかは選ぶことが出きる。
善い人であるか悪い人であるかは選べる。
アニメのキャラにマジで恋する
今日本中でアニメ映画鬼滅の刃が流行っています。流行っているというより社会現象になっています。
皆さんはもうみましたか?どのキャラが好きですか?ぼくの記事を読んでくださる方々はほとんどアニメに興味ない武術クラスタが多いとは思いますが、鬼滅の刃は「呼吸」を操って戦う冒険活劇譚なので、武術クラスタはむしろ楽しめるかと思います。
ところで友達にアニメのキャラにガチで恋してしまった人が2人いました。
好きとかファンとかではなく、ガチ恋です。恋愛です。異性として完璧に好きなわけです。
しかしその2人は全く違うつきあい(?)方をしていましたのでその話をしてみたいと思います。
誕生会ケーキとプレゼントを買ったS
はじめはアニメのキャラの誕生日を毎年祝って部屋で誕生会をしていたSの話です。
まともなひとはここまで読んでページを閉じるかもしれませんが、読まれるかたはまごうことなき実話なので覚悟して聞いてください。
Sは毎年プレゼントとケーキを用意してアニメのキャラの誕生日を祝っていました。その様子はブログに綴られていましたし、仲間から生暖かいお祝いのメッセージも届いていました。
それ以前にSは食事時も必ず「彼女」のために水を一杯多めについで持ってきていました。徹底しています。
アニメのキャラの抱き枕からタペストリーまでなんでも持っていて、それを前に幸せそうに写真をとっていました。
そのキャラの誕生日には当然予定をいれてくれません「ごめん!今日は推しと...大事な日だから」そう言う彼の表情には幸せが弾けていました。Sはこれからアニメのキャラの名前の入ったケーキをケーキ屋さんから受け取って、2人ぶんの皿を用意して、誕生日プレゼントを机の上におき、そして2人ぶんのケーキを切り分けて1人で食べるのです、2人ぶん。
友達もぼくもそんな幸せそうな1日を過ごすSに水を差す気にはなりません。ぼくらは気持ち良く手を振ってSを送り出しました。
そのうち友達の1人がアニメの【彼女】にクッキーなどの差し入れを上げるようになりました。Sは喜んで「ありがとう!きっと喜ぶよ、あいつはこのクッキー好きなんだ!」と言って受け取り家に帰って彼女に渡し、2人ぶん自分で食べるのです。幸せな日々です。
さて、Sは間違いなく狂人の類いですが、極めて幸せそうでした。3ヶ国語を操り高学歴で高収入なのに彼に現実の彼女が出来ないのは不思議なことではありません、彼は狂っているからです。
ですが、別に彼も彼の周りの人たちもだれも不幸ではありませんでした。むしろ彼は幸せそうでした。そのうち彼には21歳の現実の彼女が出来ます。その話はおいておくとして、彼は頭がおかしいのですが周りの人たちは彼を好きでした。彼がアニメのキャラと恋愛していてもいつも幸せそうだったからです。
アニメキャラと結婚できずに毎日泣いて暮らしたY
もう1人のアニメのキャラに恋した友達はYです。Yは美人の女性でしたがアニメのキャラにガチ恋して現実の男にたいして徹底的な忌避感を持っていました。
そしてアニメのキャラと結婚できないことを泣いて暮らしていました。だいたい3ヶ月に一度くらい夜中の2時に泣きながらアニメのキャラと一緒になれない自分の辛さを泣きながらぼくに打ち明けてくるのです。
寂しい!苦しい!独り寝が辛い!○○(アニメのキャラ)がいてくれたら良いのに!
だいたいそんな内容です。こっちは良い迷惑ですが、実際Yは泣くほどつらいのだから同情もします。
結局30分ほど架空の人物に対する恋慕の思いの大きさと、決して結ばれない悲哀のつらさを聞いて寝ます。
ほかに出きることはありませんから、話を聞くだけでした。
「いやそもそもアニメのキャラに恋をしているお前の頭がおかしい」
等とは言いません。だって重々本人が承知しているからです。ぼくだって自分が太ってる自覚がありますから他人がわざわざ指摘したら怒ります。
YもSと同じくアニメのキャラに真剣に人生における感情とハートを注ぎ込みすぎた狂人ですがいつも苦しそうでした。そしてお気に入りのアニメのキャラほど魅力を備えていない全世界の現実の男を憎んでいました(ぼくも男なのですが...)
何故幸せになれないのか
さて、アニメのキャラは非現実実在人物です。恋するのも結婚(したつもりになる)のも勝手ですが全て想像、妄想、思考の世界です。その世界にはまりつつ
SとYの人生の幸福度はかなり違うと言わざるをえません。
何故でしょうか?まずスタンスが違います。Sは何をしても幸福になるために恋愛をしてましたがYは苦しむために恋愛をしていました。
アニメのキャラ相手とは言えSの愛しかたには愛情と遊び心がありました。Sの好きな人はアニメのキャラなのですから、逃げず、老いず、永遠に魅力を保った理想の恋人です。現実とは明確に区別していた(?)とも言えるでしょう。
ある時ぼくはSに「ぼくも○○ちゃん(アニメのキャラ)に恋して結婚したらどうすんの?」と意地悪な質問をした事があります。Sは笑って
「○○ちゃんはそんなことで俺に対する気持ちが揺れたりしないし、ペリメニ君を好きでも俺たちの愛情は終世変わらないよ」とSは自信たっぷりに言いました。彼は本物の狂人です。狂人ですが、彼の気持ちには真剣な愛があるのがうかがえました、だから彼はいつも幸せそうでしたし、友達からも信頼されました。
反対にYの愛しかたは苦しい恋愛でした。
Yはいつもアニメのキャラに自分が一番好かれていると思い込むのに必死でした。他の女の子がそのキャラのファンになるのを真剣にいやがって、排撃したり怒ったりしていました。それに彼女を慰めたり現実の男を紹介しようとする友人にたいして当たり散らすので友達も少なくなっていきました。
Yも間違いなく頭がおかしい人です。しかしアニメのキャラに真剣に恋をしている以前に他人を傷つけたり粗末に扱う方向に行動が向かうので現実世界でもトラブルを多く起こしていました。
そして、ぼくの知っている限り「この宇宙で一番○○(アニメキャラ)が好き」と言っていたYは一度もそのアニメのキャラの誕生日も祝わなければ、プレゼントを買うこともしませんでした。(やれと言っているわけではありません)
Yの好きな人(あえて人と言いますが)はアニメキャラなので触れません、抱いてもらえません、頭を撫でてもらえません。そんなのは当たり前です。そこはYですらわかっています、彼女は大学すら出ているのですから。けれどそのYは毎日好きな人の幻覚の五感を得られない事を悲しみ、苦しんで夜中の2時に泣くのです。話を聞くぼくも泣きたかったです。
Yも大概狂っていますが、より悲しいどうしようもない狂いかたです。
Yは苦しむために恋愛をしていました。
SとYの人生の恋愛を比べてコメントするのは差し控えますが、明暗ははっきりしていました。
2人を笑えないぼくたち
ですが、ぼくらは、少なくともぼくは2人を笑えません。
失恋をして泣いたことがあります。他の男が出来たと言われて振られた女の子のことを想って泣いた経験があります。
ぼくとなんねん付き合ってても他の男が出来てしまったらもうどうしようもない、そんなこと当たり前なのに
「あのときこうすれば」「こうだったら」「その男とぼくはどう違うのか」「ぼくがこうだったら」と悩み苦しみました。時に怒りました。
ぼくも大概狂っています。どうしようもない仕方のないことを考えていた、仕方のないことにわかっていながら苦しんだ。妄想を土台にして感情にとらわれて遊んでいた...
と言う点においてはYとさほど変わりません。
むしろ、Sのように絶対に手に入らないものを前にして、終始穏やかな、平和で愛に満ちた気持ちになれていないと言う点ではYと全く同じかそれ以下かもしれません。
恋愛だけではなく、ぼくはいろんな幻想の歪んだ自己像を自分に持つことがあります。
ぼくの習っているロシアのこ武術のシステマがもっとうまかったらな...とか、こうできたらなとか。
出来ないから思うわけです(笑)出来ないなら「出来ない」でおわって出来るように具体的に努力するしかないのに、です。
仕事がもっとうまく行ったら...収入がもっと...学歴がもっと...資格がもっと...
もっと、とか。もし~とか
こうしたら、ああしたら、たら、れば。
あるいは社会的なあらゆるレッテルや評価、ステイタス......人間関係につく名前......
それら全ては実は現実でもなんでもありません。でもそれにすがって、囚われて、その事に思い悩んで、苦しんで、言葉を綴って、さもそれらに現実的に人生の時間を使って真顔で考察する価値があるかのようにたくさんの言い分けを用意して自分に言い聞かせます。
ぼくもいろんなどうしようもない幻想に多大なエネルギーを割いています。日々言い分けと自己欺瞞の中に生きています。つまり狂ってます。
とんでもない多重構造の幻想を相手に日々生きていると言う点では、アニメのキャラに恋する友人たちとほぼ同程度の幻想や妄想に生きています。
ただより「現実」として多くの他人が共有してくれやすい幻想にすがっているに過ぎません。
お金に繋がったり衣食住にかかわる幻想であるという点だけの違いです。
他人と同じ、共通の夢をみているからそんなに排撃されないだけで、ぼくも立派な狂人の部類です。
SもYも笑う資格はぼくにはありません。
しかしそれは同時にあらゆる幻想や妄想、信念を持つことがそもそも現実ではないからと言って唾棄すべきものではない事も意味します。
妄想や幻想はぼくらの社会を回す駆動力でもあります。
しかしそれにとらわれすぎると、またはネガティブなスタンスで幻想をあつかい、歪んだ自己像を肯定し続けると、必ず大きな苦しみの渦中に落ちるような気もします。
苦しい!ということは、多分この世でほとんど唯一マジでガチですから。
幸せでいたほうが、幸せでいる方が、他人と自分に善い人でいる、そういうスタンスで生きればどんな妄想や幻想を信じていても、あるいはその中で生きていても結構幸せになると思います。
その事をYとSから学びました。
「己はどうあるか」という大事な問いを自己にいつも投げ掛けておきたいと思います。
例えそれが一見善く見えるだけの幻想だとしても、できる限りの善い行いをして、自分の機嫌を自分でとって生きることは大切なことだと思います。
周りと自分がより良くなるために、善い行いをするために例え幻想を生きたとしても「どうあるか」ということはとても大事なことだと感じました。
SとYありがとう!
ここまで読んでくださって皆さんもありがとうございます。以上です。
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