見出し画像

【海外電車事情】席を譲る?譲らない?チリ・サンティアゴ編


私は海外の駅や電車が大好きだ。外国語で書かれた広告に「これはなにを言いたいんだろう?」と想像をめぐらせたり、駅のホームで並ぶという習慣がない(というか並ぶ気がさらさらない)人々を見て、いったいどうやって乗り降りするのだろう・・・と興味津々に見つめてみたり。

電車に乗れば、車窓から流れる異国の風景にこころ踊る。けれど、とくに気になるのはその地で暮らす人々の人間模様だ。日本ではしんと静まり返っているが、欧米なんかではストリート・ミュージシャンが乗車してきて突然コンサートが始まったりする。たとえ満員電車だろうがそんなの関係ない。演奏する音楽もしっとりと空間を添える癒しのBGM・・・ということはなく、乗客それぞれのムードなんか気にもとめず、テンションMAXで激しく楽曲『テキーラ』をお見舞いされるのだ(!)。

演奏を終えたミュージシャンは堂々と澄まし顔で、まるで当然の権利ですけどなにか? とでも言うような顔をしてチップを要求してくる。誰も演奏してほしいだなんて頼んでもないのに。現地の人もそりゃ気が気でないのでは・・・と恐る恐る様子をうかがっていると、みんなわりと怒っていない。そういう空気が嫌なのかサーーッといなくなる人もいないわけではないが、たいていの人が身体を揺らしてノリノリに、その場を楽しんでいた。私が見たところ、かなり多くの人がチップを弾ませているようだった。

海外では、特にキリスト教圏では寄付文化が根づいていると言われる。ただ、私はそんな車内の光景に、日本人として、いやひとりの人間として純粋に“粋”なるものを感じ取らないわけにはいかなかった。もしもJR山手線でそんな場面に出くわすことがあったら、私は喜んで懐から財布を取り出そうと思った。ほとんどノイズキャンセリングで音楽を聴いているから、その陽気なミュージックに気づかない可能性が高いけれど、それでも。

さて前置きがだいぶ長くなったが、今回は電車でよく見かけるある場面について、南米チリで体験したある出来事を話したいと思う。


日本人は席を譲る?譲らない?


みなさんは電車で座っていて、お年を召した方がいたとき、席を譲るだろうか。ときどき? ほんとうに困ってそうな人がいたら?


読者のみなさんは気づきつつあるかもだが、私は電車で席を譲るのがわりと、いやかなり苦手なほうだと思う。ヤマネコよお前はなんて冷たいやつなんだ、と思われてしまっても仕方がないかもしれない。ただ、席を譲ろうとしてもなかなか声を振り絞ることができないのだ。声がうわずって、かえって怖い思いをさせてしまったことが多々ある。(そもそも小生、身体がわりと大きいこともあり、満員のときでも隣に誰も座ってくれなかったりする・・・。)

気になる記事を見かけたが、日本人で60%以上が『元気そうな老人に席を譲らない』と回答しているようだ(2018年マイナビニュースよりhttps://news.mynavi.jp/article/docchi-430/)。しかし腰が曲がった老人や妊婦には80%以上の人が『席を譲る』と回答している。うーむ、やはり線引が難しいのは『元気そうな老人』と『腰が曲がった老人』の境目の人だろう。果たして声をかけるべきか、否か・・・。

【海外電車事情】南米チリ・サンティアゴ編


これは私がチリの首都サンティアゴを訪れていたときのことだ。チリ人の友人に再会するため訪れたことがある(ちなみにチリ人との出会いについては前回の記事『チリ人にカミングアウトしたらこうなった』で熱く語り倒している)。

南北に長いチリの真ん中に位置するサンティアゴ。シーフード大国でもある。



チリの街は控えめに言ってかなり清潔だ。治安も良く、数年前に学生デモが暴徒化し世界中のメディアを騒がせていたが、それを除けば夜道を一人で歩いていてもあまり怖い思いはしないと思う。南米は、ブラジルやアルゼンチンなどわりと経済の不安定さが指摘されるけれど、チリは安定した経済基盤だといわれる。日本人からしても物価はそんなに安くない。ペットボトル500mlの水が1本140円ほどなので、ちょうど日本と同じくらいの感覚で生活することができた。
※現在は円安、物価高の影響でもう少し高くなっているかも?

画像1
首都サンティアゴの地下鉄の風景。電車もなかなかカッコイイ。


この写真はサンティアゴを走る地下鉄「メトロ・デ・サンティアゴ」。市内では地下鉄が発達している。駅のホームは清掃が行き届いていてなかなか快適だった。


ちなみに海外の電車となると、「どうせ時間通りにこないんじゃ・・・」と思う方は多そうだが、そこは心配ご無用。そもそも地下鉄に”時刻表”という概念はなく、常に『5分後』『10分後』と表示されているのだ(!!)。Google Mapで行き先を調べてみても、ざっくりアバウトな時間しか出てこない。『到着時刻』で検索なんてできない。そこは南米イズムを大いに楽しもうじゃないかと思う。

チリ人は席を譲る?譲らない?


私が地下鉄のホームで電車を待っていると、いつもどおり『5分後』の電車がやってきた。平日の夕方、ラッシュ時間ということもあり満員電車。日本の通勤ラッシュのようなすし詰め感はないけれど、空席はいっさい見当たらず。


私は車窓の景色をひととおり満喫してから(といっても地下鉄でほとんど見えない)、車内を見渡した。お喋りで賑やかな車内、だけど多くの人がスマホに没頭していて、日本の日常風景とあまり大きく変わらないなとぼんやり眺めながら。


電車は『チリ大学駅』に停車。多くの学生が乗車してくる。乗る人は多いのだが、降りる人はあまり見られなかった。さらに車内は混雑し、賑やかになる。電車のドアが閉まろうとすると、ひとりのおばあちゃんが乗車してきた。歳は80歳くらい、腰はやや曲がっているけれど、うなだれていて立つのが辛いという様子でもない。私は自分の足で歩くのに誇りを持ってるのさ、そんなことを言わんとするようなたくましさが表情から感じられた。うむ、これは席を譲るのか譲らないのか、まさに線引が難しいところ・・・。


こんなとき現地の方々はどんな反応するのか?? と周りの出方をうかがっていると、やはりほとんどの人がスマホに夢中で、そもそもおばあちゃんの存在に気づいていない。そんな状況も日本のそれを同じだな、これってきっと国際的な問題だろうな・・・、そう思ってじっと息を凝らして、でもおばあちゃんも元気そうだしきっとすぐ降りるだろうし問題ないんじゃないかと自分に言い聞かせて、再び車窓に目を移そうとしたとき。ついさっき乗車してきた大学生の女の子集団のひとりがおばあちゃんを見つけ、それから車両をぐるりと見渡していた。でも空席はないし、仕方ないよね、そう思っていた矢先、彼女はおばあちゃんの手を取り、大きな声でこう叫んだのだ。

「誰か、席譲ってくれませんか!?」


スペイン語だったので正確なニュアンスまではわからなかった。しかし彼女はたしかにおばあちゃんの手を握り、車両の奥のほうまで聞こえるくらい大きな声で、そのようなことを叫んだのだ。

「誰かー? 誰か、席を譲ってくれませんかぁー???」


なんだなんだ??? と席に座っていた人たちはいっせいに顔を上げ、女の子のことを見た。そこで初めて彼女といっしょにいる、おばあちゃんの存在に気づく。


するとみんないっせいに、ぞろぞろと、どうぞどうぞと席を立ち始めたのだ。彼女はいちばん最初に立ち上がった中年男性のもとへおばあちゃんを席へと誘導した。


肝心のおばあちゃんはというと・・・・・・、にっこりとやさしく、目尻に魅力的な皺を寄せて、ありがとう、グラシアスと微笑み、席に座ることができた。


ああ、なんてええ子なんやろう。なんてまっすぐな慈愛に満ちた、情熱に満ちたすばらしい光景なんだろう。息子をお婿に行かせるならあんな子がええなあ。そう思って胸がぎゅーーーっと締め付けられた。そうなったとき、あれ、このぎゅーーーの正体はただ女の子の行動にときめいたわけではない。それに気づいたとき、私は無性に、自分のことが恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない気持ちになったのだ。

譲らないと、断ることもできない


あの女の子の勇敢な行動、自分には絶対にできないと思った。そして思い当たったのだ。まずは席を譲るべき相手かどうかなんて、譲られた相手が決めること。譲らないと、譲られた側はそもそも座るか座らないかの選択肢すら与えられないのだ。

なにより、すぐに声を上げる瞬発力が彼女にはあった。きっとこの子は、日頃からそういうことを意識しているんだろう。そうじゃないと、すぐにおばあちゃんに手を伸ばして、席を作るなんて行動はできない。考えてるうちに、まあいいか、大丈夫か、となってしまう。


私は彼女の行動にこころから敬意を感じた。おばあちゃんの手を取る。空席がないなら、空席を作ればいい。それができるのは、席に座ってる人だけではなく立っている人でも同じことなのだと思った。そしてそんな彼女のような若者がいるチリ・サンティアゴという街は──地球の裏側で、定刻通りという概念がないこの国の環境や文化は──、忙しくなく毎日を生きる日本人に、少なくともそんな臆病で傲慢な私に、深い学びと内省をもたらしてくれたのだった。



その後、電車は友人宅の最寄駅へと向かった。数年ぶりの再会でウキウキだったにもかかわらず、そこでもTHE 南米タイムを発動され・・・。そのことはまた別の機会にお話しできたら、と思う。

この記事が参加している募集

#この街がすき

43,871件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?