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過去でも未来でもなく、「いま」に目を向けるしかない。生きながら生きるには。

ここ数年の悩み。死後の事ばかりに思いを馳せて、いまを生きてる感覚が衰微している。わたし、という生命体は、魂と精神と肉体で持って、この現世に受肉し、生きている。そんな当たり前のこと、頭ではわかっているけれど、全存在としては受容できてない。

朝起きて、顔を洗って、お茶を温めて、ヨガをする。この一連のルーティンをしながら、ふと「これは何なのだろう」と毎日思う。自分を生かすためにやっているけど、どこかお花に水やりしている感じ。夢の香りを常に纏っている。こうして文章にしている今も、実際自分が何をしているのか分からないし。

特に宗教やスピリチュアルな事象に触れていると、どうもセンサーが霊的な方にふれてしまって、「生きる」が頭の中で展開される紙芝居のようになってしまうのだ。2020年5月25日、がこの日付が刻印されたページを開いているみたい。

死にたい、というわかりやすい希死念慮は、かつてに比べてだいぶ後退しているし、日々過ごす上で問題なく統御できるレベルにはなっている(いや、「統御」とか言ってる時点で違うのか。普通はそもそも無いのかね、このログアウトしたい感情)。それよか、死後にやっとおうちに帰れる、という望郷の思いみたいなのが。どうして死ぬまでに、こんなにも肉体的にも精神的にもイシューを抱えながら指折り待たなければならないのか。老いという現実に突き合わされて、折り合いをつけながら坂道をゆっくり下っていかなければならない残酷さ。もうワープしてえ、とか思っちゃうのよ。でもこれは甘えなのも分かっている。

幸せである秘訣は、常に「今ここにあること」。過去を悔いて未来を憂いた瞬間に、梯子が外される。別に享楽的に生きる、訳ではなく、考えても詮方ない事を手放し、ただ自分に素直になって前に進む以外ないのだろうな。簡単そうな事ほど難しいのよね。大体の人は、過去と未来に今をジャックされていると思うし。

目の前の事に集中して、満ち足りて生きていたら、いつの間にか寿命迎えてたっての、憧れだなぁ。


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