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2020/06/12


使徒の働き[~20:35]

Scripture
使徒20:35 ‖「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与える方が幸いである』と言われた御ことばを思いだすべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

Observation
・受けるより与える方が幸いって、忘れがちだけどそう。与えるからこそ、結果的にそれをはるかに上回る恵みも与えられるんだよね。しかし人間弱ってるとき、病んでいる時はとても「与える」なんてことに目が向かず、欠乏感でくれくれちゃんになってしまう。文脈逸れるけども、小さい頃からの母親の「私を愛してくれよ(欠乏由来)」のテリトリー侵犯が未だにトラウマになっている。欠乏症に囚われた人に育てられた私も、見事に重度の欠乏症になった。それに対する恨み。無抵抗な子供に「愛してよ!」って日がなぶつけてくるって、今思うと酷いのでは…いつも見返りを求められてるようで辛かった。加えて厄介なことに、私はそれに対する抑圧(どうなるかを散々見て来たが故)も加わって、恵みや豊かさが怖いという謎のブロック。いや書きながら気づいたけども。根深いんじゃん…。

・与えられる人にならないとなぁ、でもそのためには恵みや豊かさを素直に受け取れるようになった方がいいんだろうなぁと。誕生日会は、色々いい練習になるのかも。というか「自分のことを喜ぶ。自分のために喜ぶ」とか、できたことないんだ。書きながら気づく…。この、自分のことどうでもいい感はやばい。

・自分のこと大切にするとか赦す、の意味ややり方が分からないのだけど、それを学びにいく段階なのかなと思う。意識に浮上したということは、取り掛かる時期ってことなんだと思うので。。「自分のこと赦せないと、他人のことも赦せないよ」と言われたんだった。そう、赦し難いという感情を臨界点まで味わって、全てを赦せるようになるのが人生の課題なんだと思う。なかなかハードルが高いが、がんばる。


Application
・内面デトックスというか、意識に上がって来たことを文章なりなんなりで表現してみるといいかもと思う。自分自身が自分のゴミ箱みたいになってるから、内面掘り下げが嫌いなんだ。何かしら書いてみる。

・就活サイト。デザインはほぼ固まったから再びコーディングする。今週末までにできれば最高だけど、忙しいから難しいかなー。できるだけ進める感じで。


Prayer
・上記のことを祈ります。あと実家に今日か明日帰るので、しんどい思いにならないように切実に祈ります。。

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