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私は子どもをインターナショナルスクールに通わせない

「子どもをインターナショナルスクールに通わせるべきか」

私は医師で、周りも医師が多いため、定期的にこの話題が出る。私が自分の気持ちをありのままに話すと、必ず引かれる自信がある。だから、言葉を濁してなんとなく周りと意見を合わせてきた。けれど、思っていることをnoteでアウトプットするくらい別にいいだろう?

私自身は、子どもをインターナショナルスクールに入れることはない。今日はその理由を話させてほしい。

私は在日コリアン3世だ。両親も在日コリアンで、祖父はそれぞれ韓国の済州島と慶州出身だ。母方の祖母もまた済州島出身の両親に育てられ、父方の祖母の家も韓国ルーツで生野区のコリアタウンで韓国の食材屋を営んでいた。つまり、私には日本人の血が流れていない。

両親は母国語を大切にした。私たちの母国は日本であり、日本語での教育を重視した。まずはこの日本で生きていけるように、日本人と同じように育てられた。だから私はインターナショナルスクールや韓国系学校には通っていない(朝鮮学校は北側がルーツの場所で、私のルーツからは外れる)。ちなみに母はアメリカ現代文学が専門で、大学で英語の教師をしている。バリバリに英語ができる人だ。

医学部時代に、両親と私の兄弟で帰化申請をし、医学部5年生の時に日本国籍になった。ひとつ上の学年の卒業式の日に、母から帰化申請が通ったとメールがあったのを今でも覚えている。

ずっと、ルーツや国籍に関わるアイデンティティが定かでなかった。それは実はしんどいことだったのだと気づいたのは最近のことだ。

これを読んでいる方の大半は日本生まれの日本人だろう。おそらく「自分は本当に日本人なのだろうか」「自分は何人なのだろう」「自分のルーツは何なのだろう」と悩んだことがある方は少ないだろう。

最近、LGBTやトランスジェンダーという概念がよく知られるようになった。私は自分が女であることを悩んだことはないが、性別が不安定であることはとてもしんどいと思う。私はtransgenderならぬ、"transnationality"だったのだ。

私は韓国国籍のときから韓国語を勉強してきた。韓国語が少しずつわかるようになると、それまでなんとなく憧れを抱いていた「ルーツ:韓国」の輪郭がはっきりと見えるようになってきた。何度か韓国に行き、ルーツの済州島も慶州も訪れた。レンタカーを運転して祖父が生まれ育った場所まで行った。現地の方と韓国語で話もした。とてもいいところだった。

日本人の夫と結婚し、名字が日本人の名前になった。結婚当初は「ルーツが韓国であったことを残したい」と思い、医師免許証を書き換えずに旧姓で働いた。しかし、心機一転して今では医師免許証も書き換えて戸籍通りの名前で働いている。

完全に日本人として生きるようになって、まだ6年しか経っていない。正直な感想は「日本で日本人として生きていくってこんなに楽なの!?みんなずっとこんな感じで生きてきたの?」

韓国籍時代はこうだった。韓国人で韓国のパスポートを持っているのに、韓国では韓国語の通じない「外国人」として扱われる。日本では特別永住者で外国人の中で一番日本人に近い存在なのに、選挙に行けない。医学部受験の時は防衛医大も受けられなかった。受けられたとしても受けなかったが、受けられるか受けられないかは結構違うものだ。海外に行く時も、日本の空港で外国人用のゲートを通る。

日本人になると状況がガラッと変わる。特別永住者の更新に行くこともなく、選挙の前にはハガキが届く。いろいろと手続きをする時に「外国人の方はこちら」を選ぶこともない。結婚する時も、近所の役所に婚姻届を出すだけ。パスポートもその辺で取れる。海外に行く時は日本のパスポート+顔パスでOK。海外でトラブルがあったときに日本大使館に行ける。

日本で日本人として生きていくのはとても楽だと知った。よく富裕層が日本を離れて海外に移住する話を聞くが、私は考えていない。もう少しこの快適さを享受させてほしい。

韓国語を勉強し、韓国でルーツを訪ねた結果、私は今の韓国の人たちにとって「外国人」だと痛感した。おぼろげな憧れだった韓国を相対的にとらえられるようになり、また日本で日本人として生きることで、アイデンティティのゆらぎがなくなった。戸籍上は日本人、ルーツは韓国。それでいいじゃないか。そう思えるようになってしんどさがなくなった。

私の周りにはインターナショナルスクールを出てアメリカの超一流大学を卒業した方もいるが、日本人の彼女は言っていた。「ときどき私は何人なのだろうと思う」と。

あれ?これって"transnationality"じゃないか?

出自や母国の言葉に関わることもアイデンティティであり、その根幹を揺るがすようなことを子どもにはしたくない。だから私は子どもをインターナショナルスクールには入れない。両親は日本で周りと同じような育て方をしてくれた。だからこそ日本国籍を取り日本人の人と結婚したとき「日本人になってよかった」と思えたのだろう。

お金が余ると、子どもの教育にオプションをつけたくなる。しかし、母国で周りの人たちと共感しながら話が弾む、仕事ができるというのも生きていくのに大事なことだ。大人になってからは自由に羽ばたいたらいい。未成年のうちは私のように"transnationality"にとらわれないよう、日本人として普通に育てたいと思っている。

私の子どもはYouTubeにハマっていて、今は海外のファミリーチャンネルばかり見ている。だから英語の発音は妙にいい。悪くはないけど、まずは日本語を覚えてほしいというのが私の思いだ。

ほんと、子どもの教育って難しい。

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PS) 帰化申請終了後、母は私が生まれる前に帰化申請しておけばよかったと言っていました。面倒でずっとしてこなかったそうです。実際してみると、猛烈に面倒でとてもしんどい作業だったということでした。

血液内科専攻医
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