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知らない人間の体験ほど現実的であるのかもしれない:鬼談百景

ここ最近、入っているプロジェクトが少し落ち着いて、在宅になった時にはやることがなくて編み物をしている(仕事しろ)。

以前作り始めたワンショルトートはなんとか作り終えて、今度はレジ袋の形をしたバッグを作り始めている。

編み物をしている時はYouTubeで怖い話の朗読を流したり、アニメを流したりしながら編んでいるのだが、先日はちょっくら陽がさしていたので、小野不由美原作の「鬼談百景」の映画を流しながら編んでいた。

原作は2012年とおよそ10年近く前の作品になるのだけれど、99話の短編集で、残穢と合わせると百物語の体裁を取っている。
本なんて、夢中になってしまえば、余程でない限り、一晩や1日で読み終わってしまうのだが、それを加味してなのか、はたまた利益視点からなのかは分からないけれど、あえて99話と100話目が別れているというのは、随分と酔狂でお洒落なことだなと、当時思ったのを覚えている。

2015年に映画化され、99話の中から10話を映像化している。
どうしても笑ってしまう「赤い女」の話は置いておく。
なぜ笑ってしまうかは本編を見ていただけるとわかるのだけれど、とにかくアグレッシブ過ぎるのである。
あんな勢いでこられた本人は多分怖いのだろうけれど、側から見ていると完全にコントにしか見えないのである。

面白い(?)話も入っているのだけれど、とりあえず、一通りはショートストーリーで、とても身の毛がよだつ話が多い。
そしてふと思ったのだけれど、この怖さはきっと、有名な俳優/女優さんが出ていないからこそ、成り立っているのかもしれない。

残穢は比較的豪華キャストだけれど、みんな怪異の影響からは少しだけ離れた場所に存在を置いている。
有名な役者さんが怪異役をやっているといえば日本を代表するホラー映画「リング0 バースデイ」の仲間由紀恵だろう。
それでも、仲間は怪異というよりも、貞子が怪異になる過程を演じている。

「鬼談百景」の話は、身近な不気味さと恐ろしさによって構成されている。
普段の生活の中に、突然織り込まれてくる恐怖。
それを身近に感じれば感じるほど、恐怖はじわじわと尾を引き、ふとした瞬間に思い出されたりする。
それを有名な役者さんではなく、あくまで一般人に近しい役者さんが怪異も経験者も演じるからこそ、この恐怖は映像化できるのだと思ったのだ。

もしこれが、有名な役者さんが幽霊を演じていたり、怪異による被害者を演じていたら、どことなくフィクションであることを無意識に意識してしまう。
フィクションであることを承知したエンターテイメントになるわけだ。
けれど、そういった役者さんでない場合、フィクションとノンフィクションのラインはいつの間にかぼやけていて、どことなく、ノンフィクションである自分自身の日常を侵食し始める。
そういった、エンターテイメント性を少しだけぼかした恐怖を提供できるこの映画は、素晴らしいと思うのだ。

「知らない人」だからこそ「現実的」に見えるのは、なんとも不思議で面白い現象ではある。

おしまい

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