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ダイヤで武装した女性の美しさと強さに敵うものは何もない

サムネの高橋一生にほいほいされて、見てしまったブシュロンのオリジナル・ショート・フィルム。
あがっていたのは2018年だからちょっと前になる。

シンデレラ

誰もが知っているし、ディズニーのアニメーションは不朽の名作として残っている、世界のスタンダード御伽噺。

それを大胆すぎるアレンジを加えたショートフィルム。
アレンジっていうか、みんなが知っているシンデレラは、メインが乗ったお皿を彩るソースみたいなポジションだった。
知り合ったのは出会い系っぽいし、会話は超絶お洒落なガラスのスマートフォンだし、終いには、ガラスの靴、置いてってよ、とか彼女に依頼しちゃってるし。
わたしの中の自由気ままなフランスのイメージが垣間見えた気がした。

でも何がよかったって、やっぱり美しい物は女性を強く武装させるって事。

御曹司(一生君)からもらったジュエリーを、わたしには似合わないと頑なに拒んでいたシンデレラ(レティシア)。
初めての逢引に来れなかった御曹司の理由を聞いて、落胆するも、ダイヤの美しさは彼女の背を押す。
ま、背中の押し方がちょっと強かったけれどね。

賛否両論出るであろうちょっとした暴力シーンを盛り込んだ事には驚いた。
仮にも由緒正しきラグジュアリーブランドのショートフィルムなのだ。
そこに、メレダイヤ犇くリングで暴力シーンを盛り込んでくるとは。

でもつまり、そういう事なのだと思う。

美しいものを女性が身につけるということは、強くなるということ。

血の描写も何もなく、ただ音のみの暴力シーンとは、つまりそれだけ女性が強くなるのだという、一種の象徴的描写じゃないのかと思うのだ。

ジュエリーを販売していたから感じる。

高価で輝くものを、普段身につけることがない女性からしたら、及び腰にもなるし、つけた場所だけ何だか浮いて見えるのだ。
だから、わたしには似合わないと、みな口を揃えて言っていた。

だけどそうじゃない。
似合わないんじゃない。
そう思い込んでいるだけなんだ。

身につけた自分を受け入れられた時、似合わないなんて言葉は煙のように消えて無くなる。
鏡には、背筋が心持伸び、所作が美しくなって凛とした自分が映っているのだ。
そんな女性相手に、「悪意」はただただ霞んでいくだけなのだ。

バベルの塔を建てていた時の人類のように、日本語とフランス語を喋っているのに会話が成り立っているように制作されているのもすごく素敵だった。

思いは国境も身分も人種も超えていくだの。

そして想いと同じくらい強いのがダイヤなのだ。

わたしは美しいものが好きだ。
ブランドどうこうではなく、「ジュエリー」はやはり美しいのだ。
似合う、似合わないではなく、純粋にジュエリーが放つ美しくも力強い輝きを見つめてみてほしいと、働いていた時は時折思った。
ダイヤが似合わない女性なんてこの世にはいないのだから。

しかし、一生君のこの独特なのに全く浮いていない感じ、凄いね。
小田ジョーもそうだけれど、もうその人がカテゴリーって感じ。
そして最後のキスシーンが、コメントでも書かれまくっているけれど、

エロい。

おしまい

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