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【読書感想】モンテ・クリスト伯 一

アレクサンドル・デュマの名著といえば、そう、これである。
そして、この物語の枕詞を決めるとしたら、これしかない。

「事実は小説よりも奇なり」

2世紀以上も人々に読み続けられ、あまつさえも2004年にはパンクな世界観でアニメ化もされています。
わたしはどちらかというと、アニメから入ったクチだったので、この名著を読むのは初めてでした。

第一巻の始まりは、若き青年エドモン・ダンテスの幸せ絶頂期からだったのには、少し驚きました。
何せ、2次元のサイケデリックな世界を動き回っていたアニメ版モンテ・クリスト伯爵には、「エドモン・ダンテス」の片鱗なぞ微塵もなく、唯一それと認められるのは、伯爵の回顧譚の回だけだったと記憶していたからです。

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書籍版モンテ・クリスト伯は一巻~七巻までと、個人的には割と膨大な長さでした。ハリー・ポッター以来である。
そしてその、記念すべき第一巻は、幸せ絶頂期の主人公エドモン・ダンテスが、勢いよく人生の階段を転げ落ちていき、地獄の監獄要塞、シャトー・ディフに収監され、悪夢を見始める過程までが描かれています。

ちなみに、このダンテスの転落ぶりが凄いんです。
もう、勢いがつきすぎてて、吹っ飛んでいく勢いで転落していく。
ていうか、多分、吹っ飛んでっている。

そして更に凄いのが、この転落ぶりが実際に起きた事件だという事。
こんな急展開的没落、生きていけないよって、本を閉じる度思いましたよ。

実際の事件は1800年代初頭から四半世紀続いたそうです。
資産家の娘と婚約関係にあった靴職人が、それを妬んだ友人たちにより告発され、冤罪で7年牢に繋がれた末、釈放。憤怒の炎に身を焦がした靴職人は、様々な手法を駆使して復讐を果たそうとしたそうです。
キャラクター設定や、細部は多少違えど、ほぼこの事件を物語の軸にしているので、それを頭の片隅に置きながら読むと、尚更面白い。
いや、不幸なんだけれども・・・。

一巻の後半、暗闇の中で絶望を噛みしめているエドモンの描写の中、かの有名な(と思っているのはわたしだけ?)、ファリア司祭が登場します。
多分、訳のせいだとは思うのですが、基本的に、どのキャラクターもなかなかにパンチがきいています。そして今のところファリア司祭がわたしの中では断トツに、パンチがきいていると思っています。

パンチがきいていても、ファリア司祭の台詞が、凄く素敵でお洒落なんです。
エドモンがファリア司祭と出会い、脱獄のために司祭が拵えたグッズを見て、エドモンが驚愕と尊敬の思いを伝えるシーンがあります。
そこでの司祭の一言がおしゃんだこと。

人知のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ。火薬を爆発させるには圧力がいる。

火事場の馬鹿力をお洒落に言うと、こんな感じなんだろうなと思いながら読んだところ。

けれど、事実で、持っているものを最大限に、究極まで活かすには、不幸という圧力が必要で。けれど、それに押しつぶされない精神力も必要なのであると、ファリア司祭の長年の獄中生活の片鱗を垣間見るとそう思うのです。

ファリア司祭から暗闇の中で、智彗を詰め込まれていくダンテス。
その叡智と共に、一条の光がダンテスに薄っすら差し始めています。
一巻ではまだ、復讐の鬼、モンテ・クリスト伯爵の片鱗は大きくは見出せませんが、先が楽しみです。

がしかし、先は楽しみなのですが、いかんせん、訳が古いようで、読むのに手こずります。
岩波文庫、なかなか手ごわい。

おしまい。

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