優しさは、不安と向き合いながら平静さを保つ勇気から現れる
平静の心(ウィリアム・オスラー)
医学教育の基礎を築いたと言われる内科医の父、ウィリアム・オスラー。
オスラー先生といえば、日野原重明先生です。聖路加国際病院の名誉院長であり、日本の医療における死生学を先進的に取り組んでこられた方。このオスラー先生の講演集を「平静の心」と題して邦訳されました。
医師にとって最も大切なことは、どんな時も「平静の心」でいることだと。
精神科医にとっても、冷静沈着・平静でいられる心構えはとても大切です。患者さんの話を聴きながら、共に悲しんだり、身構えたり、怒りの心が出てきてしまったり、心中穏やかでいられないこともありますが、それを表に出さないように努めるのも、医師の資質の一つかなと思います。
平静さは、勇気の静的表現
「平静の心」について、「武士道」にも次のような記述があります。
平静な心は、腹を据えて患者さんと向き合う覚悟が決まるかどうかにもよるので、「勇気」という表現は結構しっくりくるものがあります。面倒くさがって心が逃げてしまわない覚悟、患者さんの苦悩にともに向き合おうとする勇気。
また、「人が恐れるべきことと、恐れるべきでないことの区別」こそ勇気であるという記述もあります。気持ちに余裕がなくなってくると、何で悩んでいるのか分からなくなってきて、あれもこれもと、不安や恐怖が色々なものに投影されて、放散されていってしまいます。
話をすることで、それが少しでも整理されていくことがあるのは、不安に一緒に向き合ってくれる人がいてくれる安心感もあるのかもしれません。
真に恐れるべきことを見極め、かつその恐れに立ち向かうことこそ、本当の勇気です。
中でも、死を見つめる不安、スピリチュアルペインは、かつてない経験なだけに、ご本人が平静さを失うのは当然のこと。そういう心理的過程を経るものだと踏まえたうえで、医療者として接していければと思います。
そんなときも、患者の死の不安にたじろがない冷静さが求められます。否、たじろがないなんて無理ですね。自分の死をまともに見つめたことがないのに強がっていても、ちゃんと患者のケアはできないかもしれない。
それならば、死への不安を抱えていることを自覚しながらも、少なくとも表向きは平静を装えるだけの心の準備はしておかねばなりません。
「まだ健康だから、まだ若いから」という言い訳したくなる気持ちもでてきますが、他人事ではなく、やがて必ずぶち当たる壁です。
生死の問題から目をそらさない平静さが、闇に立ち向かう勇気となり、患者に向き合う優しさになるのだと思います。
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