【獣人処方箋】Case.8「 "獣" 人生:前編」 (No.0065)




 何度も書きました通り、彼らは自身の利益や快楽、保身の為にあらゆる悪しき行いを繰り返し続けて生きております。老若男女関係ありません。当然自分の為なら泣き叫ぶ赤ちゃんだって犠牲に出来るほどの汚らわしい者達です。


しかしこうして書くと誰でもその異常性を指摘出来ますが、世の中で生きていると似たような汚らわしい行いに自分もアッサリと足を突っ込んでいたりするものです。


例えば、困った素振りの人が町中にいた時にどれほどの人が声をかけますか?

手を貸しますか?

勿論様々な事情があるのは認めます。

その人物が不審人物である可能性も充分にあります。


ですがそういった事を抜きにしても、そそくさと見なかったフリをして目をつぶるのでは無いでしょうか?


そしてその事実への言い訳を自分にしていたりしないでしょうか?


急いでいたからとか、あの人はそんなに困ってなかったハズ、なんてウソを自分についたりしてる人は普通にいるものです。


こういう自分への嘘がうまくなる事を世間では、「大人になる」なんて言うのですが、別に世間の大人が正しい訳でも目指すべき理想でも無いのですから、こんなものに乗っかることは無いはずです。


以前の記事でタップリと書きましたが(「愛の取り引き」シリーズ)、この言い訳の最たるものが「被害者意識」です。



獣人のタイプにもよりますが、多くの獣人は不幸な産まれであり、特に愛を強く受けてきたり裕福な生活であったり真面目な両親の元で育てられたりなどをしてきてません。


殆どが子供時代に傷を受けたり冷たい家庭で育ったりしています。


自分の親にも友人にも特別暖かいやり取りを受けて来れなかった人達は、大きくなったあとも内側はまるで育ってはおらず、イビツで愛という栄養も足りず愛への理解も欠損した存在として世に出されます。


自身に全くの自尊心が芽生えず、何処でも相手にされず軽んじられる事で彼らの内側にはドンドンと落ちない汚れが溜まっていきます。

この汚れを掃除する必要性を彼らは知りません。

そういう、人としての大切なモノを教わってきませんでしたし、教わっても続けていませんのでこんな苦しい事をわざわざ積極的にやりません。

やがていっぱいのゴミ箱のようになりますが、片付ける事をせずに別のゴミ箱を探してそこへ捨て始めます。


この繰り返しが獣人の内側では幼い頃から連続しておきているのです。

ですから、彼らは「反省」しないのです。


反省は自身の内側との「対話」です。


しかしゴミ溜めになっている内側に、今更ホウキとチリトリを持って立ちいっても、どうしていいか分からずに茫然と立ち尽くすだけです。


しかしこの程度は一般の大人でもこんなものでは無いでしょうか?


獣人となると、もうその内側の扉にさえ近付きません。

ドアノブに手も掛けません。


こういう説教を受ける時も、


「ああ、また "あの部屋" の話か…」


と、理解します。


この理解は普通の人よりも早いです。

何故なら普通の人よりも「辛い」からです。


誰でも嫌いな食べ物や苦手なものへは敏感に反応します。


それと同じです。

人よりも汚れていて近付きたくない内側への問いかけを、彼らは何としてでも受け流す様に、自主練したり訓練を受けたりしているのです。


人が生きていく上では成長が必要であり、成長には自身の内側との対話が誰にでも必要で、誰でもやっているのですが、獣人はこれが出来ませんからそこに介入しないで人生を送るという無理矢理な生き方をします。


人と愛はおろか、気持ちも理解し合えません。

そこを物凄く求めているのですが、そこにはもう「さわれません」から、人が一番信頼として置きがちな「自分の気持ち」や「相手の気持ち」という判断基準が存在しないで生きているのです。


こういう人達なので、一挙手一投足の振る舞いが誰が見ても「オカシイ」のです。発言内容も行動もです。


正しい意味では無いでしょうが、こういう振る舞いをするニンゲンをよく「サイコパス」なんて言うのですが、その異常な言動の理由とはこういう背景なのです。



後編へつづく


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 【グッドプラン・フロム・イメージスペース】シリーズ




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