【グッドプラン・フロム・イメージスペース】Episode.5 「今から数年後・・・」第10章 : 後編 Part.3 (No.0110)


後編 Part.2のつづき


子どもたちはどんどんと元気になっていきました。
自然の中で身体を使って遊ぶことだけでなく、そのときに大人が教えてくれる事を何でも喜んで集中して聞き、学んでいました。
それはキャンプだけでなく、普段通ってきた学校の中や近くの公園や通学路でもそうでした。

新しい教師たちは子どもたちに何も特殊な事を教えることはしませんでした。
とにかく身近なものから教えてあげました。
彼らに自分の足の大きさや指の長さの計測といったことから始まり、自分たちの家の周りに生えている木や草の種類や大きさをひとつひとつ実地でたっぷりと時間を掛けて調べたり測ったりしました。


このような一見無駄に見える教育も意味がありました。


ただの雑草一本だって、次の日もそこにあるのです。


彼ら子どもたちは今までずっと、テレビやゲームやネットなどの目まぐるしく変化し続け、自分たちではコントロールできないものに翻弄され続けてきていました。
それにより自分たちの人生に全く実感や手応えが無かったのです。それが投げやりな人生観や自暴自棄につながっていました。

新しい教師たちは子どもたちに本当の事を教えてあげ、嘘に惑わされる生活を捨てさせてあげようとしました。


ですから当たり前にある一本の木や、道路の裂け目から顔を出している誰も見向きもしない雑草などを教材にしました。
教師は定規や図鑑、スケッチブックなどをみんなに使わせて、雑草をしっかりと調べさせてあげました。

葉は何枚?茎は何本?どんな匂いがする?根本から測って何センチ?虫はついている?なんて種類?なんて名前?何に似てる? etc...

こういう授業は嫌がられるのでは無いか?と、教師たちは始める前に少し不安を覚えていました。

しかし、いざ始めると子どもたちはとても真剣に様々な意見や発見を続けました。
朝に始めた一本の草についての授業は、気づいたら夕方まで続いてしまった事もありました。
しまいにはその草を植木鉢に入れて学校で育てようと言い出す始末でした。
勝手に名前をつけてしまう子もいました。
彼らは一生懸命にスケッチブックに何枚も何枚も一本の他愛ない草を描きました。
色んな特徴を見つけ出しました。

たった一本の草でさえ、このように子どもたちには良い学習になるのでした。

他にも、自分たちの家の周りの地理についても調べることを教えてあげました。
測量用に巻き尺などを使い、道路や壁や公園などをたくさん測りました。
地図を描いたりもしました。それらを作っている材料も教えてあげました。

こういう授業をひとコマの単位や1日の単位では決して区切りませんでした。
時間なんて関係なく、徹底的に調べたり考えたりし続けました。


かつては授業は組織上の都合が優先し、子供の成長を無視してきましたが、そんなことはもう二度としないとみんなで決めていました。ですからじっくりと納得行くまで満足するまで続けました。
学校の周りを使った学習をする予定でしたが、一週間たっても校門から一歩も進まずに草や虫を調べ続ける時もありました。

こうして自分たちの生活そのものを知ることを、極めて小さい部分からはじめて行きました。
これは何も特殊なことではありませんし、科目で分けられるようなご立派なものでもありませんでした。

しかし、草一本調べるのであっても、話し合ったり図鑑などを読んで調べたり分かったことを書いたり記録したり、サイズを測ったりするこれらの作業は、科目としては国語や理科や算数などに当たりました。子どもたちは自然と文字や数字に触れ、操り理解する力が付いていくのでした。

幼い子どもたちも、生活の中に有るものをどんどんと知り詳しくなることで、親しみや生の現実感が強くなりました。
わからないものは不安を覚えますが、理解が深ければ安心感も生まれます。
自分の家の中でなら、暗闇でも不安が無いようなものです。

このシンプルな授業は子どもたちの足を地にしっかりと立たせ、心も安定させ簡単には揺るがない真の知性と人格を獲得させていきました。


つづく

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