生い立ち

 私の名前は奥野 詩織 (※)

年齢は26歳で、今年の11月の誕生日で27歳になる。


50代半ばの両親は共働きで、3つ年上の兄が一人。

両親の仲は悪くはないはずだが、

父は長く単身赴任で関東に住んでおり、顔を合わせるのは年に数回。

母とは少し前に大きなケンカをして以来、

今や連絡を取ることも顔を合わせることも無くなっていた。


元々、「子供を早く自立させる」という思いの強かった両親には

これまで何をやるにも反対されたこともなく、

自分が「やりたい」と思ったことは、

自分の責任の範囲内で自由にさせてもらってきた。


母は、幼少期から対人関係の苦手だった兄に構ってばかりだった。

物心ついた頃から父が単身赴任だったこともあって、

昔はあまりにも干渉されないことが悲しく、

人並みに人に迷惑をかけない程度に悪さをした時期もあったが

20歳の時に、そんな「自分を変えたい」と強く思うようになった。



現在の職業は司会・アナウンス業を請け負うフリーランス。

大学を卒業後は大手IT・通信企業に就職をしたが、入社翌年の夏には退職した。

別に仕事が退屈だったわけでも、成績が悪かったわけでもなく、

そもそも入社する前から、

組織や集団で仕事をすることが向いていないと思っていた私は

将来的には自営業や個人で仕事をしたいと決めていたからだ。


退職後に開業届を出して、

大学時代に経験のあった冠婚葬祭関係の司会を請け負うようになった。

気がつけば企業の展示会などに呼ばれることも多くなり、

現在では地方への出張や、人の手配など

幅広く対応するようになっていた。



「あー…しあわせだなぁ。」


ここ最近は結婚式の仕事が多いシーズンで、

土日は京都の会場を訪れることの多かった私は

夕暮れ時の鴨川のほとり、仕事終わりのビールを飲みながら

のんびりした風景を眺めることのできるこの時間に

心から幸せを感じていた。



今思えば、

開業して間もない頃はとにかく「一人で生きる」ことに必死だった。


母とのケンカ以前に、18歳の時に実家を出てからは、

その後実家に戻るという選択は自分の中になかったからだ。


仕事の依頼があれば、遠方であっても朝早くから必死に現場に向かい、

夕方からは全く違う場所へ移動するスケジュールも多々あった。

もらえるギャランティのほとんどが

交通費になってしまうような場所であっても、

とにかく仕事をもらえることがありがたかったし、

「この仕事で生きていく」という覚悟があったからか、

そうした生活は当時決して苦ではなかった。


しかし、今になってそうした時期の自分を振り返ると、

今の穏やかな時間を過ごせる心のゆとりが

何よりも幸せだった。


元々ブランド物のカバンやコスメ、洋服に興味のない私は、

一番の幸せを感じるのは「自由」であるという実感だった。


私の友人の言葉だが、

「自由であるために責任を果たさなければならない」

という言葉は、正にそうだと思う。


職業柄、

仕事の時はきちんとしたスーツとアクセサリー、

ハイヒールを身につけて姿勢を正す。

いつ人に見られても良いように、口元の笑顔は絶やさない。

パーティーの時間が長引いた時には、顔の筋肉が痙攣しそうな時もある。


仕事が終わって、

そうした「しなければいけない」ことから解放される時こそ、

何よりも「自由」を感じることができて、

幸せを感じることのできる瞬間なのだ。


そうした意味では、

私の大好きなビールやお酒達は、

スイッチをONからOFFに切り替えるために欠かせない存在だ。


「…さて、ボチボチ帰るか〜」


私の自宅は京都ではなく、ここから電車に乗って

甲子園球場で有名な兵庫県西宮市まで帰らなければならない。


すっかり飲み干したビールの缶を袋に片付けて腰を上げると、

スカートには、少ししっとりとした芝生の湿気が残った。


夕暮れ時、鴨川沿いの人通りはまだ多い。

休暇を過ごす楽しげな人々の合間を縫って、

私は一人ゆっくりと駅の方面へ足を運んだ。



※登場人物の名前は全て仮名とさせていただきます。


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