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チャンスをものにする

令和の写真文化はSNS映え全盛ですね。SNSを足がかりにプロの道に入る人もいて、今どきの写真文化はSNS抜きに語れないものだと、しみじみ思います。逆に私の写真といえば、SNS映えとは対極にあるような地味でダークな写真、我ながら良く続いているものだと感心します(笑)。

かく言う私も、最初のきっかけはネット、今から10年以上前の話です。当時はホームページ(以下HP)やブログが全盛でしたので、2009年のはじめに撮りためた写真を発表する場として、HPを作成しました。荒天ばかりでSNS映えとは対極にいるような写真です。見に来る人といえば友人知人のみ、そんなHP宛に1通のメールが届きました。

内容は月間写真雑誌の特集で雷写真を扱うとのことで、執筆依頼のメールでした。当時の私は派遣で働きながら、夜間休日に撮影するだけの「なんちゃってストームチェイサー」「休日写真家」です。そんな私に依頼をしてくれたのは、2021年5月号で休刊になった日本カメラでした。断る理由はないので、二つ返事で引き受けることになりました。その年の9月号に記事が掲載されて、無事に写真雑誌デビューとなりました。

その後しばらくは目立った活動もなく、2011年には東日本大震災があって一時活動休止、再び日の目を浴びたのは2012年に茨城県つくば市で発生した国内最大級の竜巻のあとでした。テレビ、新聞、雑誌、マスメディアからの取材依頼が殺到して「なぜ自分に?」と、訳のわからないまま断り続け、唯一引き受けたのが動画の提供(無償)でした。

数日経つと波が引くように取材依頼もなくなり、ホッとしたところに新聞の取材依頼がありました。スポーツ新聞からの依頼でしたが、この時の記事がフリーランスで活動するきっかけにもなっています。それから数ヶ月後、再び新聞の取材依頼がありました。今度は割と固いイメージがある新聞、しかも5大全国紙のひとつです。前記のスポーツ新聞の記事を見た記者さんからの依頼でした。

全国紙の効果は思った以上に大きく、この期を逃すと二度とチャンスはないだろうと考え、思いきってフリーランスでの活動をはじめました。綿密な計画を立てた訳でもなく、ただただ勢いだけ、今考えても無謀な挑戦です。まずは自分を知ってもらうことが必要と考え、それまで断り続けていたテレビやラジオの出演依頼も積極的に受けるようになり、少しずつ知名度を上げていきました。まあ、今でも人前で喋るのは苦手ですが…。

そして、SNSも非常に大きな効果を発揮してくれました。当時はブログを柱に、TwitterとYouTubeを使用して発信を続けました。荒天を撮影したら出来る限り早く、その日のうちにアップしたほうが注目度は上がります。現在もネット経由での依頼が最も多く、次いで仕事関係者からの紹介、個人間の口コミと続きます。

そんなこんなで、気が付けばこの道で10年やってました。正直、今でも経済的には非常に厳しいですし、安定して仕事を得ることは難しい時代になっています。コロナ禍以降、異業種に転職する写真家も増えています。

フリーランスの写真家になることを人に勧められるか?と言われたら、積極的には勧めません。バイトしてでも、借金してでも続けたいと思うような人でない限り、続かないと思います。夢を壊すようですが、好きだけでは絶対に無理なんです。私ももっと商才が欲しいなぁ~と思いますよ、本当に。


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