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老子注解 13章 天下より我が身

老子全訳」では注釈を最小限にしたが、ここではもう少し詳しく解説したい。注釈における「原文」は、Chinese Text Project の『道徳経』 https://ctext.org/dao-de-jing/zh を指す。


人々は寵愛と恥辱を恐れるようだ。(寵愛と恥辱という)苦しみを我が身のように重んじている。

「寵愛と恥辱を恐れる」とは何か。寵愛が下らないものなのは、得れば(失うことを)恐れ、失っても恐れるものだからだ。これを、寵愛と恥辱を恐れると言う。

「苦しみを重んじる」とは何か。私が苦しむのは、我が身があるからだ。我が身が滅んでしまったら、どうやって苦しむのか。

だから、天下より我が身を重んじる者になら、天下を預けることが出来る。天下より我が身を愛する者になら、天下を託すことが出来る。

「我が身が滅んでしまったら」は、「我が身への執着を無くせば」という解釈もあり、河上公は「道とともに神に通じれば、何の苦しみがあろうか」と注釈している。これはこれで奥深い解釈と言えるが、一方で王弼は「体を自然に返す」、つまり死ぬこととしている。

「天下より我が身を重んじる」は、「我が身を重んじるように天下を治める」という解釈もある。ただし、王弼は「我が身の代わりになるものなど無い」と注釈しており、26章にも似た思想がある。


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