老子再編 不争篇
天地は末永く続いてきた。そうなれるのは、長生きしようとしないからだ。
つまり聖人は、身を退くのに先を譲られ、保身に走らないのに身を守る。それは、私欲が無いからではないか。だからこそ、自己を確立することが出来るのだ。【7】
優れたものは水のようなものだ。水は万物を潤し、しかも誰とも争わず、人々の嫌う(低い)所へ流れる。だから、道に近いものと言える。
居場所は低く、心は深く、付き合いは優しく、言えば正直、治めれば安泰、働けば有能、動けば適時。
そもそも、争わなければ恨まれることもないのだ。【8】
大河と海があらゆる川の王者なのは、川より下になることが出来るからだ。聖人が民衆の上に立つのは、(謙虚な)言葉でへりくだるからだ。民衆の先を行くのは、(謙虚に)身を退くからだ。
そうすれば、聖人が上にいても民衆は重いと思わないし、前にいても邪魔とは思わない。だから、天下の人々は彼を喜んで推戴し、嫌がることはない。そうして聖人は争わないから、誰も彼と争うことは出来ないのだ。【66】
背伸びをする者は(長く)立っていられず、大股で歩く者は(遠くへ)進めない。見識を誇る者は物事が見えず、正しさを誇る者は是非が分からず、功績を誇る者は認められず、能力を誇る者は長続きしない。
道から見れば、それらは余分な食べ物や余計な行いだ。人々はそういうものを嫌う。だから、道を守る者はそれを避けるのだ。【24】
曲がれば全うし、屈めば伸び、くぼめば満ち、破れれば新しくなり、少なければ得て、多ければ迷う。
だから、聖人はこの原則を胸に抱き、天下の模範となる。見識を誇らないから、物事が明らかになり、正しさを誇らないから、是非が分かり、功績を誇らないから、それが認められ、能力を誇らないから、それが長続きする。そもそも争わないから、誰も彼と争うことは出来ない。
昔から言い伝えられた「曲がれば全うする」とは、どうして嘘だと言えるだろうか。(そうやって)本当に命を全うするのだ。【22】
※他人と争わないことの徳を説く。