不登校の原因を子どもたちに押し付けるな。

今日もまた、いわゆる「世間」というものに、違和感を持ってしまった。
それが何かというと、

1.「枠に入れない子」が不登校児になる、という言い草
2. 職業、性別、年齢に対する偏見・差別

の2つかな。

1.「枠に入れない子」が不登校児になる、という言い草

いや、これ何回言ったら学校側の認識が変わるんだろ。
とにかく、「学校側の認識」を変えることがものすごく必要だと感じる。
「不登校児は、いわゆる”枠組み”に入れないことから生じる子ども側の問題」として捉えてる学校教育現場、教育者が多すぎる。
これが本当に問題

問題の根本は、全然そこじゃないんだよ、って、現場が変わるまで、教育者の考え方が変わるまで、やっぱりきちんと言い続けなくちゃいけない。

あのね、そうやって考えてるから、いつまで経っても「不登校児」と呼ばれる子どもが生み出され続けるの。

その「枠組み」に入れない子どもを責めるんじゃなくて、いい加減、その「枠組み」を変えることもしない自分たちの怠慢を責めな???
本当に。

価値観は時代とともに変化するし、今の子ども達が、過去に良しとされてた枠組みに適応できないのなんて当然じゃない?
インターネットの海の中で、日々、新しい価値観に触れ続けてるのが現代の子どもたちなんだから。
そもそも、子ども自身はもともとすごく自由で好奇心旺盛な存在で、それがいわゆる世間の「枠」にはまらないのなんて当たり前じゃん。
それを、「枠」にはめようとする教育なんて、どれだけ時代遅れなの?

その時代遅れに自分たちで気づいてないのがまた問題で、その「学校側」と「子ども側」のギャップを、大人が歩み寄ってあげられずに、上から目線を保持してるんだから、そりゃ子ども側が嫌気差すのが当たり前なんだよ。

なんか、そこに気づこうともせず、気づいても変えようとしない、現状維持の姿勢、怠慢が、不登校を生み出してるんだって、なんで自己反省しないの?
その厚顔無恥さが、更に子どもたちの学校不信に拍車をかけてるんでしょうが。

なんというか、時代の価値観の変化にも追いつけず、「学校は学校」として不動の態度を取れる時代は、もう終わりに近づきつつあるのに、そこをいつまでも直視できない人たちが、寄ってたかって子どもを犠牲にして自分たちが生き延びようとしているだけにしか見えない

なので、「枠に入れない」とか言って、責任を子ども個人の問題に矮小化する前に、まず大人が自分たちのやり方で本当に効果があるのか、満足していない子どもはいないのかどうか、自己反省しなきゃいけない。
それをサボっておいて、子どもに責任を押し付けて、自分たちは知らぬ存ぜぬ、なんて態度でいる事自体、教育者として、学校現場として、恥ずべきことだと認識したほうがいい。

本当に、こういう考え方に基づいた、こういう言葉が出てくる現状が、あまりにも子どもにとっては「生きづらさ」を押し付けられる現状過ぎて、いいかげんにしろよと、久々に怒りを感じてしまった。

私が好きな作家さんで、「その価値観がまだ社会に根づいていないのなら、100万回でも言わねばならぬ」って言ってた方がいて、本当にそうだな、と思う。

「不登校児」などと言って、「不登校」が生まれ続ける現状を子どものせいにするべきじゃない。
まず、学校と、教師側が自分たちを振り返って、子どもたちを無理矢理に「枠」にはめようとしているんじゃないかって自己反省してほしい。

そうしたら、「不登校」なんてことが、子ども個人の責任だなんて発想ができないようになるから。

もちろん、「子ども個人」の責任ではないからと言って、全てが学校側の問題とも言えないけど、とりあえず、今見ている子達は、明らかに「学校側の枠の設定がおかしい」ことで不登校になっているので。

そういうところ、もっと議論して、意識して、現場の先生方から考え方を変えていってほしい。

2. 職業、性別、年齢に対する偏見・差別

これは、実際に私が言われたことだから余計にカチンと来たことなんだけど。

「教師」であるからって、別に善人である必要はないけど、価値観をちゃんと時代に合わせてアップデートしろとは本当に思うよね。

「もういい歳だから、就職は難しい」
「女性だから、〇〇するのはできない」
「□□という仕事についていたから、マイナスイメージがある」

って、あのー、それ、マジで子どもにも言うんすか????

あのさあ。
それ、いい大人だから私も表立って反論しなかったし、こいつはそういう価値観なんだなって思ったから、まあいいわって思っちゃったけど、それ普通に管理職の言葉だからね。
大丈夫?

そういう、ナチュラルに差別意識が露呈しているところ、本当にやばいよ。

「すべきではない」とされてる、年齢・性別・職業差別をナチュラルに披露しておいて、自分たちは「学校教育に携わっているので、差別は良くないと思っています!」って、どの口で言うの????

これが厚顔無恥ってやつですか?

あのね、本当に、学校現場になくてヤバい行動の一つが、「自己反省」だよ。

ゲームやってる子どものほうが、まだ自己反省してるからね。

何が差別なのか、何が偏見なのか、自分の価値観を振り返って是正する機会を学校側・教師側が持たなさすぎる。
それが結局、不登校につながるような教師側の態度や言動になっているんでしょう。
そこの根本的な思想を振り返ることもないから、だから私は学校現場自体が「怠慢」だって思うんですよね。

そのくせ、「教育」に携わっているという意識だけは強くて、そのゴリ押し感がこれまた子どもの学校不信につながっていることにも気づかない。

そういうところが、結局学校がダメなところなんだよ。

なんというか、私は別に、「公教育」がだめだと思わないし、「公教育」は必要だと思う。
だけど、今いわゆる「学校教育」として現場で繰り広げられている、「学校が善とする価値観の押しつけ」や、「学校が良しとする社会規範の押しつけ」は、本当に最悪だと思っている。

思想の寛容さもないし、行動の寛容さもないし、ただただ窮屈な「枠」。

その「枠」を振りかざして、「まっとうな」職業や性別や年齢以外の生き方をしている人たちをあからさまに差別して、それでいて「不登校児が多い」とか言ってるの、本当にやめてほしい。

不登校児をなんとかしたかったら、まず学校現場と教師が変われ。

それからじゃないと、不登校児は、このままずっと学校教育の犠牲者として、生み出され続ける。

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