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「麒麟がくる」で本能寺の変はどう書かれるんだろう!?

毎週見てますよ(早麒麟と本麒麟の2回ずつ)。

本作品の光秀は、変な駆け引きとか無く、「正直に生きる」人間であるように見えますし、道三の「トップは正直でなくてはならない」という言葉に強く共感していてるのではないでしょうか。

朝倉義景に対する、「(お金を)いただく理由がありませぬ」という回答も、正直者ゆえの狡猾さの欠片も無い発言だと思います。

自分が楽をしたり得をするために正直さを捨てることは往々にしてあることですし、自分も含めて万人が経験があることでしょう。

そして、このドラマにおいては、やはり帰蝶がキーパーソンになるのかなぁと。最終的に、帰蝶のために蜂起する決断に至るのではないか、と。
何かと裏に帰蝶がいる、何か手引をしている、そんな風に描かれています。(こんな美味しい役を逃して、返す返すも、沢尻エリカは勿体ないことをしたと思う)

このドラマ内の光秀、自分が天下をとりたい、という自分のために立ち上がるタイプには見えなくて、誰かのために立ち上がるタイプなように感じるんですよね。
何の根拠もない予想ですが、帰蝶に何かあって、帰蝶のために自分は信長を討たねばならない、なんて考えに至るんじゃないのかな、と予想しています。帰蝶と光秀は縁者であるだけではない、心の底での深い繋がりがあると思います。

ここ最近の大河ドラマ、「真田丸」や「西郷どん」など主人公が戦の中で最期を迎える物語が多いですよね。徳川家康などの最終的な勝者だけではなく、敗者にもクローズアップされるのは歴史の勉強のために重要なことです。歴史は勝者によっていとも簡単に都合良く捻じ曲げられてきた可能性がある、いや寧ろその可能性が圧倒的に高いのでしょうから。

「麒麟がくる」からだいぶズレてしまいますが、勝者による歴史修正は、元アメリカ大統領であるフーバーが著した「裏切られた自由」を読むと背筋が凍るレベルで行われているのを感じます。たかだか80年前の歴史さえ、簡単に修正できてしまうのだな、と。

我々がいま生きている歴史は、数十年後、数百年後にどのように描かれるのでしょうか。デジタルフットプリントがなされるこのご時世でさえ、報道は平気な顔で歪曲されています。巷に溢れる嘘と誰かの思惑に塗れた報道だけが、歴史として後世に残らないことを強く望みます。

上にリンクを張った「裏切られた自由」上下巻、学術書と見紛うばかりの分厚さと値段(合計1200ページ、上下巻それぞれ9000円!)ですが、一読の価値ありまくり(語彙力低)ですので、オススメです。

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