失敗しても自分を責めない、罰しない。起きた事実だけを受け入れよう。
自己批判は心の平穏を乱す
人間である以上、大なり小なり失敗と無縁でいることはできません。
もし、何事においても一切失敗しないと豪語する人がいたら、単に失敗を失敗と捉えられていないだけか、忘れているだけの可能性が高いです。
で、何か失敗したとき、私たち人間ははとかく自分を責めてしまいます。
あのときこうしていれば、していなければ、なんであんな事を、などもやもやと失敗を寝る前に考え始めると眠れなくなったり、奇声を上げたくなったり。
人間であればそんなこともごく自然な反応の一部です。
自分の過去の行動を悔いるという心の反応は、今後の自分の行動を良い方向に変える側面もあるので、人間にとってある程度必要な反応でもあります。
ただし、失敗の反芻のしすぎや自分の責めすぎは大変な悪影響があります。
自分を責めすぎることの弊害
自己肯定感の低下: 自分を過度に責めることで、自分の価値を低く見積もり、自己肯定感が低下します。
ストレスの増加: 継続的な自己批判はストレスを増加させ、心身の健康に悪影響を及ぼします。
不安感の増大: 自己批判が強すぎると、不安感が増し、精神的な安定を失う可能性があります。
抑うつ状態: 自分を責め続けることで、抑うつ状態に陥るリスクが高まります。
行動の停滞: 自己批判が強すぎると、前向きな行動や改善の意欲が失われ、行動が停滞することがあります。
対人関係の悪化: 自己批判が強いと、他人にも厳しくなり、対人関係が悪化することがあります。
生産性の低下: ストレスや不安が増すことで、仕事や日常生活の生産性が低下します。
自己成長の阻害: 自分を過度に責めることで、失敗から学ぶ機会を逃し、自己成長が阻害されます。
健康への悪影響: 長期間にわたる自己批判は、身体的な健康にも悪影響を及ぼすことがあります。
決断力の低下: 自己批判が強すぎると、重要な決断を下す際に自信を持てず、決断力が低下します。
このように、自分を責めすぎることの悪影響は計り知れないものがあります。
これだけの弊害があるのに、自分を責め続けることにどれだけ意味があるでしょうか?
「失敗した!自分はなんてダメなやつなんだ、つらい。次こそ失敗しないようにしなきゃ」
などと、自分への評価を下げた上に、プレッシャーを与えていると上記のデメリットをもろに被ることになります。
自分を罰するような思考は百害あって一利なしです。
失敗との建設的な向き合い方
過去ストア哲学者達も失敗について様々な捉え方や対処法を書き残しています。
それは人間は失敗とは無縁でいることができず、また自己批判のしすぎからも逃れられない人間の性質に、先哲達も悩まされてきた証拠にほかなりません。
ストア哲学では心の平穏をことのほか重視しています。
ストア哲学に限らず、ほとんどの宗教も哲学も、結局のところ私たちが幸福になることを最大の目的にしています。
ストア哲学では内面が平穏で満たされている状態こそ幸福、乱れていれば不幸と考えます。
どれだけお金持ちであろうが貧乏であろうが、結局のところ幸、不幸は内面の状態で決まるということです。
失敗し、自分を責めすぎることは心の平穏を乱す原因ですから、ストア哲学から見ると自分の責めすぎは害悪でしかありません。
では、ストア哲学では失敗についてどう向き合うか。
まず、何よりも感情を理性でコントロールすることが重要です。
失敗に対して過度に感情的にならず、冷静に状況を分析する必要があります。
そして現実をありのまま受け入れましょう。
起きたことは変えられません。ストア哲学でいう自分に影響できないことです。
では、自分に影響できることは何か。
それは、失敗に対する「自分の反応」です。
失敗した自分を責める代わりに客観的事実だけに集中し、失敗も学びの一部として受け入れ、前向きに活用することに集中しましょう。
また、自分の価値は失敗によって傷つくことはないと強く認識しましょう。
失敗と自分の価値を結びつける必要はありませんし、実際に関係ないからです。
あなたはただ、「確かに私は失敗した。失敗した結果、こういうことが起きた。あの行動は確かに良くなかった。また一つ学んだ。次に活かそう」と、理性的に起きた出来事を冷静に処理するだけです。
そして、失敗に屈せずに日々の積み重ねを続ける毎日に戻る。
これが失敗との建設的な向き合い方でしょう。
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