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仕事が辛くなったとき、あるアイドルの写真集に救われた話

仕事で泣きたくなった。

別に大きなミスをしでかしたわけではない。職場で陰湿ないじめに遭っているわけでもない。同僚に恵まれ、労働環境も悪くない。ただ、「一体自分はなにをやっているんだろう」「これは本当に自分がやりたかったことなのか?」と思い始めたら、急に気分が落ちてしまった。

振られたばかりなのも相まって、「一体自分はなにを楽しみに日々を過ごしているんだ?」と思ってしまった。死にたくなったとかそういうわけではない。ただ、自分が何のために仕事をしているのかわからなくなってしまった。仕事が楽しいと思って生きてきたからこそ、余計に自分の感情の変化についていけなくなった。

周りから見れば、私の人生に悲観すべき点などなかったと思う。私もそう思っていた。でも、日々楽しく順調に生きていても、こういったふとした思いがきっかけで、人は驚くほどすぐにどん底に引き落ちていく。

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梅雨が明けない7月の半ば。休日を迎え、だらだらと音楽の日を見ていたときだった。先日活動休止・改名を発表した欅坂46が出ていた。私は48もハロプロもK-POPも、幅広く女性アイドルが好きだったけれど、欅坂だけは唯一追っていなかった。「笑わないアイドル」と評され、社会の闇を突く歌詞とアイドルらしからぬ演出のダンスは好きだったので歌番組に出てきたときはながら見していたけれど、どうしても平手友梨奈しか覚えられなかった。

だから、改名をTwitterのトレンドで知り、「まあ平手のイメージが強すぎたもんな」くらいの感想しか出なかった。あとは、卒業生が色々暴露してて現役メンが可愛そうだなってくらい。そんな軽い気持ちだった。

仕事でハードモードになっていたので、黒い羊とか歌われたらYouTubeで手越の最新動画を見ようと思っていた。LIVEではなく収録済みの欅坂は、一曲目に風に吹かれてもを歌った。欅坂の中で一番好きな曲だった。笑顔のメンバーが見えるから。持ち上げかけていたリモコンを置き、インスタをいじりながらテレビを眺めた。ふと、平手のポジションを務める茶髪の女の子に興味を持った。

人を好きになったきっかけなんて、だいたい覚えていない。力のこもった目に惹かれたのかもしれない。軽やかなダンスが良かったのかもしれない。もっと単純な理由で、振られた子に似ていた気もする。新曲を含め2曲のパフォーマンスを終えた時、私はTwitterで「音楽の日 欅坂 センター」と調べていた。

その日からとにかくYouTubeとTikTokを漁った。(今まで気になる子が出てきたときはYouTube一択だったけれど、TikTokでハッシュタグ検索をすると短尺で魅力を知れる。時代だなと思った)。音楽の日のパフォーマンスは、paraviで何度も見返した。好きになったきっかけがわからなくても、恋に落ちる瞬間は鮮明に覚えているものだ。動画を見るたびに何度も思い出せる。きっとこれから何年経っても初心を忘れないでいられる気がする。

パフォーマンスを見て好きになったけれど、ネット上のありとあらゆる情報を掘っていくと、その子のグループでの立ち位置や求められていること、決意や意志を知り、また深みにハマる。かと思えば冠バラエティで素の表情を垣間見てギャップにやられる。(そして推しだけでなく他のメンバーの子も覚えるようになり、こうして箱推しオタクができあがる)

東京オリンピックが開催されるはずだった空白の4連休の半分は、新たな推しの探究に費やされた。やはり推しは増やすものだ。ずっと応援してきた48グループのメンバーの卒業が伸びそうで宙ぶらりんになり、少し遠ざかっていた感覚が戻ってくるのを感じた。平手友梨奈が休養していた2018年の紅白歌合戦のガラスを割れ!を見て、泣いた。

連休明けの月曜日、急に仕事が嫌になった。仕事で失敗をしたわけでも上司に怒られたわけでもない。ただ唐突に「大切にしたい人もいなくて、自分はいったいなにを糧に仕事をしているんだろう?」と思ってしまった。気持ちが悪い方向に向かっているときは、早く上がってご飯を食べて早く寝ることにしている。

ただ、この日はあるものが届く予定だった。その子の写真集だ。

これだけは今日見なければいけないと、新曲の「誰がその鐘を鳴らすのか?」を流しながら、ベッドで正座してページをめくった。

美しさと儚さが交錯した写真集と、部屋に流れるメロディと、仕事が嫌になったことへの罪悪感が相まって泣いた。それが悲しさなのか、喜びなのかはわからなかった。情緒が不安定だったのは確かだった。グラグラなまま奇跡的なバランスでなんとか保っていたものが、悲壮か感動かわからないまま流れた涙で一気に雪崩れた。でも、「それなりに楽しい人生を送っているはずなのに、なんで上手くいかないんだろう」と感じていた物足りなさが埋まった気がした。自分の中に微かな希望が芽生えたことを感じながら、その日はひとしきり泣いた。

***

あの日から、仕事に対する物足りなさと倦怠感は日に日に増していっている。「何のために」と「これが本当に自分がやりたかったことなのか」を問い続けている。

でも、以前と違うことがある。仕事に疲れたら、写真集を開く、MVを見る、ブログの写真を眺める。たったこれだけで、「もうちょっと頑張るか」という気持ちになれた。嫌になるたびに同じことをして、もう少しの頑張りを繰り返し、一日の仕事をなんとか乗り切った。

会ったこともない人の存在が、今、私の生きる糧となっている。




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