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すべて見てる

いもうとが、一人前すぎて可笑しい。

もちもちとしてやわい、短い手足で、なんでも模倣しようとするし、あながちできていなくもない。

あまりに一人前なので、わたしたちも思わず普通に声をかけてしまう。
あ、それごみ箱にすてといてやーとか、お茶飲んどきんちゃいよ、とか、ちゅっちゅ(おしゃぶり)外しとこうね、とか。
わりと指示通りに動く1歳半。

はっきりした言葉はほとんど話さないが、だいたいのことは通じるので、聞き取りはできるけど会話はできない外国のひとと話している気がしてくる。
あるいは、SF映画とかでよく出てくる、無言だが心は通じる、知性の低めないきものような。

最近は、こけたりぶつかったりして痛かったときに、喃語で状況説明してくるのがたまらなくいい。
ごつんとしたあとに、ひと泣きして、そのあと「チッターにょー」とか「コッコー」とか言いながら、ぶつかった場所と痛いところを交互にぽんぽん叩いたり、こけた様子をひとりで再現してごろんと転がったりしている。

そうかそうか、ここをぶつけたんだね。
ここが痛いのね、そうかそうか。

そう言ってやると、満足そうだ。


この子を見ているといつも、坂本慎太郎の「小さいけど一人前」という曲が、頭のなかに流れる。

小さいけど一人前
小さいけどすべて見てる

ちなみにあねの場合は、ほんとうに、ほんとうに彼女は大変な泣き虫だったから、ほんの些細な出来事ですぐに涙がこぼれ、しかも長々とこぼれ続けるひとだったから、テーマソングはThe Birthday の「涙がこぼれそう」だった。
泣き出すと、夫がよくかけていたものだ。


きょうの絵本

あね
《やかまし村の子どもたち》
アストリッド・リンドグレーン 作
イングリッド・ヴァン・ニイマン 絵
石井 登志子 訳

いもうと
《じゃあじゃあびりびり》
まついのりこ 作・絵

「やかまし村のこどもたち」は、ロッタちゃんやピッピのシリーズを書いたリンドグレーンの作品。
毎晩1章ずつ読み進めている。
リンドグレーンの描くこどものこどもらしさが好きだ。
ロッタちゃんはむちゃくちゃすぎて、このタイプではなかった自分は、すこし憧れのようなものを感じながら。
やかまし村のリーサはいかにもその年齢の女子らしくて、なんだか自分の小学生のころが思い出されてこそばゆいような。
ピッピは逸脱していて、べつもの。
娘はどう感じているんだろうね。

「じゃあじゃあびりびり」は、あねのときも、コミュニケーションの悦びをいちばん最初に感じることができた、なくてはならない本だったが、いもうとにもやっぱりそうだった。
1歳半になって、やりとりを楽しめるようになってくると、やっぱりこの本がたのしい。

名著。

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