見出し画像

「いい人でもいるんでしょう?」と言われるのがそろそろしんどくなってきた。

「痩せた?」
「なんか垢抜けたね。」
「最近綺麗になったんじゃない?」

自分磨きを頑張っていたら、見た目を褒められることが増えた。コロナによって生活が制限されてから1年以上本気で自分の体や生活習慣に向き合い、長年のダイエットから解放されるくらいには変化を起こせた。これまでやってきたことは間違いではなかったと思えて、すごく嬉しかった。嬉しさに浸っていると、みんな続けてこう言う。

「いい人でもいるんでしょう?」

なんで。なんでみんなこうも口を揃えて同じことを言うのか。
実際そう言いたくなる心理もわからないではない。「いい人」的な要素が皆無かと言われれば、そうとは言い切れないのも事実だ。ただ、見た目と「いい人」、もっと端的に言えば見た目と恋愛には必ず因果関係があるとは限らない。

かわいくなりたい。きれいになりたい。おしゃれになりたい。

このモチベーションの源って、恋愛だけじゃない。
ファッションが好き。メイクが好き。憧れの人がいる。流行を追いたい。夢を叶えるために自分を変えたい。

好きな人ができる→見た目が磨かれる

という構図は非常にわかりやすい。その方がイメージしやすいし、ドラマチックだし、私たちの心のどこかにはそうであってほしいと無意識に願う部分もあるのかもしれない。だが実際には、もっとありとあらゆる要素や理由が複雑に絡み合っているのではないか。

失恋しなきゃ髪をばっさり切ってはいけないのか。
デートじゃなきゃかわいい服を着てはいけないのか。
太っていたら大切にされなくてもいいのか。
ギャルっぽい格好はなぜ頭悪そうに見られるのか。
作品の中の処女や童貞はなぜダサく描かれるのか。

この世には、見た目に引っ張られるバイアスがかかった価値観が多すぎる。「いい人」がいなくたって、垢抜けてもいいじゃないか。ファッションだってメイクだってダイエットだって、今は必要な情報がすぐ手に入る。変わろうと思いさえすればいつでも変われる世の中だ。

これまでより少し痩せて、垢抜けた今の自分が好きだ。目標をクリアしたような達成感があるし、鏡を見るたびになんだか自信が湧いてくる。仕事でも遊びでも生きやすいと思える瞬間が増えた。
私はこれからも自分を磨き続けたい。
「いい人」がいようがいまいが関係なく。
ただ自分のために。

最後までお読みいただきありがとうございます。 頂いたサポートは次の記事を書くための書籍代、または経験代にさせていただきます。