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山奥の神社に一人で本気のお願いをしに行ってきた。

叶えたい夢がある。
どうしても叶えたい夢がある。
でもこの世には、自分の力だけではどうにもならないことがある。
だから私は何か叶えたい夢がある時、決まって神社へ行く。

・神社選び

短いスパンでの目標や漠然とした望みがある時は、近場の神社やアクセスの良い有名な神社へ行くことが多い。ただ本気で叶えたい望みがある時、本気で未来を変えたいと思っている時は、神社選びも本気になる。
そして物凄い効力があると有名な神社は、大抵山奥にある。

今、どうしても叶えたい夢がある。最近そのことをとある占い師に相談したら、埼玉の山奥にある神社を紹介された。
Xデーを迎える前にやれることは全てやっておきたい。
私は紹介された神社へ祈願しに行くことを決心した。

・山奥の神社が持つ威力

山奥の神社に一人で行くのは、実は今回が初めてではない。

初めて行ったのは2年前。将来のキャリアに関わるどうしても叶えたい夢があり、静岡の山奥にある有名な神社へ行った。電車とバスを乗り継いで行ったのだが、その神社は最寄りのバス停から拝殿まで30分ほど山道を歩かなかれば辿り着けない所だった。

太陽の光が遮られ、静まり返った空間。
到着地点の見えない、自然の姿そのままの道。
この世に自分しかいなくなったような、非日常的な世界。

山は遠くから見れば心を動かされ、美しいと思える。ただ、山の中に入るとどこか恐怖を感じてしまう。森林の描写が多いジブリ作品にも少し苦手意識がある程なので、私は相当山が苦手かもしれない。山奥の神社へ一人で行くことは、私にとっては試練のようなものだった。

だから、山道を歩くのは怖かった。自分の鼓動がどんどん速くなっていくのがわかって、今すぐ逃げ出したいと何度も思った。でもそんな恐怖より、夢を叶えたい気持ちの方が自分の中では圧倒的に大きかった。そのことを、山奥の神社は気付かせてくれた。

結局そのとき祈願した夢はというと、コロナウイルスの影響でその道を諦めることを余儀なくされ、叶わずじまいとなってしまった。でもあの時勇気を出して一人で山奥の神社に行った経験は、自分にとって大きな意味をもたらすものとなった。

一つの夢に真剣に向き合ったこと。
本気で叶えたいと思ったこと。
そのために行動に移したこと。

山奥の神社は、夢への覚悟を気付かせてくれる場所だった。

・再び挑戦した試練

今回目的の神社へは車で行った。「山道を歩いた2年前に比べたら余裕かな」なんて出発前の気持ちは何処へやら、山は車でもやっぱり怖かった。

これでもかというくらい目にする「落石注意」の標識。
対向車とすれ違えないくらい細い坂道やトンネル。
物々しい雰囲気を纏った掘っ立て小屋やお地蔵様。

こうした歴史ある場所は簡単に人が来れるようにはできていない。我々はあくまでも神聖な場所にお邪魔している立場だということを改めて思い知らされる。昨今のパワースポットや御朱印などのブームの影響下にこういったことはぼやけてしまうが、常々忘れないようにしたい。

駐車場へ着くと意外に人がいて、久しぶりの俗世間を目の当たりにした安堵に包まれた。しかし拝殿までは再び山道だったので、気持ちを切り替えて一歩ずつ地面を踏みしめていく。

緊張しながらいくつかの鳥居をくぐる。どこかふわふわとした気分のまま、ついに拝殿まで辿り着いた。これまでの参拝に倣って、淡々と二礼二拍手一礼を行う。
冒頭から読んでもらった方は私のことを欲にまみれた若輩者のように思ったかもしれないが、神社仏閣を前にするとそんな余裕は一切無くなる。何度来ても本当に慣れない。勝手に背筋がしゃんとなって、鼓動が速くなって、心の内を全て見透かされているような気がする。目を閉じて手を合わせている間は頭の中が真っ白になるので、祈願しにきたことを心の中で完璧に唱えられたことは一度も無い。

無事参拝を終え、来た道を戻る。徐々に自我を取り戻していくような感覚に陥る。駐車場に着いた頃には、自分の中に揺るぎない信念のようなものができていた。

祈願した夢を、本気で叶える。
祈願した夢を、絶対に諦めない。
祈願した夢を、最後までやり遂げる。


どんなに怖くても、逃げ出したくなっても、山奥の神社とこうして向き合うのは、こんな風に自分を覚醒させるためなのかもしれない。ここまでやると、たとえ夢が叶わなかったとしても清々しくて、また一から次の夢に向かっていける。そんな気がしてくる。

山奥の神社に一人で本気のお願いをしに行ってきたら、本気で夢に立ち向かう準備ができた。

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