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3分で分かるニーチェ哲学

今回はニーチェの代表作ツァラトゥストラをもとにニーチェ哲学をまとめたいと思います。

1.絶対的な真偽などない


ニーチェの最も有名な一文でもある「神は死んだ」この言葉の意味するところは、人間は科学の進歩によって今まで説明できない現象は神によるものだと言ってきました。
天変地異や創造論から進化論など科学の進歩によって自ら神を否定してしまっていたのです。
しかし見て見ぬふり、というか忖度して誰もそれには触れませんでした。
一方でニーチェは、今まで神が絶対的で、全て神によるものとされてきましたが、そんな神を批判するものだから当時周りからのニーチェに対する評価や反応は酷いものだったそうです。

しかし事実として神の絶対的は科学の進歩によって崩されています。経済も絶対的なものなどは存在しません。
絶対的なものなどないとすれば、絶対的な価値もないということです。
つまり価値観などの基準は誰かが勝手に作ったものであり、正しいとか正しくないとか
その真偽は結局誰かの考えであり、「それってあなたの感想ですよね?」となるわけです。 

2.ニヒリズム(虚無感思想)

ニーチェは絶対的なものが無くなって信じるものが消えた人々の中でニヒリズムという状態が世界を覆いつくすといっています。
それは簡単にいうと絶対的なものが無いのであれば、この世の全ては意味がないという考えです。
ニーチェはこういったニヒリズム(虚無感)が蔓延すると末人(まつじん)と呼ばれる人が増えると言っています。
末人とは何かというと、どうせやっても無駄だ、意味がない。と目的を持たずただただ惰性的で楽に無難に生き、希望を失って悩んでいる人のことで、
外山滋比古さんの書かれた著書「思考の整理学」の中でもそういった人々の事をグライダー人間と揶揄しています。
これでも、満足して幸せであればそれはそれで良いが、そうでないのであればその状態はあまりに不幸だと言っています。

3.末人ではなく、超人へ

では末人にならないためにどうすれば良いかというと
ニーチェは超人を目指しましょうと言っているわけです。
超人⁉どした?
と思われると思いますが、超人です。
それでは超人とは、どのようなイメージかというと。日本の文化と対比して説明します。

4.「修、破、離」と駱駝、獅子、幼子

日本には何かを習得する時世阿弥の言葉で
「修、破、離」という考え方があります。
それは、まず師に習い修めて、そして師の教えを超えていき、それから自らの理論流派を打ち立てる。といったものですが、同じようなことをニーチェは著書の中で
駱駝(ラクダ)→獅子→幼子と変化すると言っています。
何かを修得する時まず駱駝(ラクダ)のように重ものを背負って苦労し、自分を鍛える。
その後獅子のように進んで威容を示し、リーダーシップをとって牽引していくフェーズ独立の意思を示すことが出来るようになっていき、最後はまるで幼子が遊ぶようになると言っています。
この状態は無邪気と言い換えることもできると思います。

結局何もしない人は努力する人に勝てず、そんな人も遊んでいるように楽しく取り組んで人には敵わないということでしょうか。

子供は自分がやっていることに意味があるとか、無いとか、正しいとか正しくないとか考えず、虫を捕まえたり、砂遊びしたり、LEGOブロックで謎の物体を作るように、無邪気に今を思い切り楽しんでいると思います。そこに意味を求めていません。
この無邪気な状態こそ全肯定の状態、つまり最高の状態だと言っています。

5.永遠回帰と積極的ニヒリズム

次は超人になるために、ニーチェが推奨する永遠回帰という考え方についてです。
仏教の世界観で、輪廻転生というのが有名ですが、ニーチェは自分の人生は生まれ変わるものではなく、永遠に回帰するもの。
同じ人生を繰り返すイメージを持った方が良いよ!と言っています。

そこで最初に出てきたニヒリズムを逆手に取り積極的にニヒリズムを捉える。
要するに、絶対的なものがないということは、つまり「無価値だからこそ、自分で価値を見つけられる」
自分が価値があると思えばそれで良いじゃないか!
だってそもそも価値なんてものは無いんだから。
というわけです。
嫌なことがあっても、絶望することがあっても試練なのだと考える。
永遠回帰するのだから少しでも楽しい人生にしようとなるわけです。

つまりどんな苦難もこれが俺の人生か、これも…これも…と1つ1つどうやって乗り越えるか試されていると考え勇気を持って立ち向かうこと。
全てを受け入れて肯定し、「臆せず前へ」と言っているわけです。

参考文献 ツァラトゥストラ



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