#15 information

2日ぶりの更新。こんなにも早く更新するなんて自分が1番驚き。ただ今日投稿したからまたすぐ投稿、というわけでもなくて、これからも本当に書きたくなった時だけに書いていこうと思う。

ブログの良いところって、字数制限がないからこそ、良い意味でダラダラ書けるところだと思う。僕は、結構話すときにただ単に出来事だけを話すのではなく、「その時に○○思ったから~~△△した」って感じで経緯も話すのが好きだからこういう媒体の方が向いているのかな、とも思ったりする。

さて、前置きが長くなったけど、

今日は、タイトルの通り、「情報」について。

先日、浦和レッズの記者の方と縁あって、「サッカー批評」さんから取材を受けた。その取材をきっかけに「情報」について改めて考えさせられた。

(↑興味がある方はぜひどうぞ。)

広義的に「情報」と言っても、今日言いたいのは、情報の伝え方と受け取り方について。

まずは伝え方について。僕は自分が提供した情報が全国に報道されるなんていうのは初めてだったから「情報を伝える」という立場を人生の中で最も深く考えるきっかけとなった。

記者の方と話していくなかで、記者の方が「情報の形態が年々変わっていっているから、いずれはこういう記事ではなく、動画配信での記事も考えている。」ということを話していた。

その時、「確かに言われてみればそうだな」と共感した。

実際、SNSだって、近年の変遷を見ていくと、Facebook→LINE(タイムライン)→Twitter→Instagramって感じで、だんだんと文字で長々と語るっていうよりかは、テキストベースではなくて、写真や動画で近況を伝えるっていう形式になりつつあるわけで。

また、それと同時並行してYoutubeやTiktokなど、動画配信サービスの利用者及び投稿者が急増してきた。現在は、家にTVを持たずとも、スマホでニュース等を知ることが出来る、すごく便利な社会となった。いずれTVや新聞などのマスメディアにも終わりを迎えてくる日もあるのではないか、ということを感じた。

だからこそ、情報を伝える側も、目的が「たくさんの人に見てもらう」といったものであるならば、そういった情報形態の変化も踏まえた情報提供のサービスを行う必要があると感じた。

次は受け取り方について。今現在の社会は、「情報化社会」と呼ばれている。と、同時に「情報過社会」でもあるなと感じる。

前述したように、近年では情報の形態が変化している、ということも言えるが、その一方で、情報を伝える手段が多種多様であるということも言える。

LINEやTwitter、Instagram、Facebook、TV、ラジオ、新聞、YouTube、Tiktok、このnoteだってそう。その他にもたくさんあると思うが、挙げるとキリがないので、この辺で割愛。

情報がその辺に転がっていて、いやこちら側が意図してなくても流れ込んでくる時代だからこそ、情報過多であると言えると思う。

これはSNSに限った話であるが、他人のSNSを見ると、自己肯定感が下がってしまう傾向にあると言われている。

大体のSNSの投稿は、その人自身の輝かしい場面だけ切り取っているので、SNSだけでその人を見極めると、「あの人は楽しそうだ。それに比べて自分は何をやっているんだろう。せっかくの休みだったっていうのに、ゴロゴロしてただけだ。」といったように自己嫌悪に陥りやすい。

これに関しては国内・海外問わず様々な大学が論文を出しているので、気になる方はぜひ、インターネットで、「SNS 自己肯定感 論文」と検索して、気になった学術的記事を読んでいただきたい。

少し話を戻す。「情報過多」ということは、それだけたくさんの情報があるからこそ、気になることや調べたいこともすぐ見つかる。しかしながら、それゆえに本当にその情報が正しいのかということも見極めなければならない必要がある。

要するに、「インプット」をコントロールしていく必要があると感じる。情報化社会の発展に伴って、比較対象のモデルが多すぎて、自分を見失いやすい。結果として、SNSの例のように自己肯定感が下がることにつながる。

自分に必要な情報だけを自分の頭にペーストして、それ以外の情報は勇気をもって、切り取っていくことが非常に重要である。まあ、これこそが本当に難しいことだと思うし、これからもずっと向き合っていかなければならない情報過社会の永遠の課題であるなと感じる。

今日はここまで。読んでいただきありがとうございました。

なかなか記事の終着点が定まらず、曖昧な形で終わらせてしまったけど、ぜひ思うことがあれば、率直にコメント等お願いします。





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