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ボクのフィルムカメラとお蔵入り写真

ボクはブログを運営してて、カメラで撮った写真は作例としてアップしてる訳だけど、個人的には思い入れが強くても作例としては適切じゃないなって思う写真もあって、そういうものは日の目を見ることがないままお蔵入りしていることがよくある。

特にフィルムで撮ったものがそんなお蔵入り写真になることが多くて、個人的には好きなんだけど、外に出すほどのものじゃないっていう微妙なポジションの写真になる。

でもやっぱりボクはフィルムで撮った写真にはデジタルにはない魅力があると思っているし、だからこそフィルム価格も高騰しているのにこれからもフィルムを使おうと思っているんだけど。
キーワードは「時間」だと思っていて、そういう意味では今回のフィルム写真はそんなに時間は経っていないのかもしれない。(だってぎりぎり紫陽花の時期に紫陽花の写真をアップできてるから。)

デジタルとフィルムの相違

多分デジタルだとその場で確認できるから何度も撮り直しして、場合によっては現像して自分の思い通りに近づけることができるから、胸を張って作例としてアップすることができるんだと思う。でもフィルムは成果をその場で確認することができないからどうしてもお蔵入りになってしまうことが多いんだな。

でも、だからこそ。その時に考えていたことがボクが撮ったフィルム写真からは感じられるし、ボクにとってはかけがえのない写真になる。

「お蔵入り」のタイムカプセルに入れるのも手だけど

多分、何年後、何十年後に写真を見返すときに、その写真を撮ったときの思い出が溢れるように飛び出てくるのがフィルム写真なんだけど、その時まで「お蔵入り」というなのタイムカプセルに保存しておくのもいいかもしれない。

多分ボクはボクのままではいられない。今のボクと明日のボクは違う人なんだから。
そんな別人のボクが撮ったボクの写真を今のボクが見る。そんなシーンを想像してタイムカプセルに封印するのも楽しいかもしれない。

中身がスッカスカになるアウトプット

ブログを書いて作例をアップしていると感じるのが、ボクの中身がスポンジのようにスカスカになってしまう感覚。もうどれだけ絞っても「ボク」が出てこない。そんな全てを吐き出す作業がブログを書くことだとすると、意識してお蔵入り写真を作ることは、スカスカの隙間を埋めていく作業にもなるのかもしれないな。

外に出さずにあえて自分の中にとどめておく。そう考えるとフィルム写真ほどピッタリなものはないのかもしれない。だってそれは目の前に起きていたことの記録なんだから。何者にも変えられない真実だから。
それをボクの腹の下に詰め込むように、大切に常に持ち歩く。うん、いいかもしれない。

お蔵入りという名のインプット

うまく言葉にできないんだけど、純粋なインプットとは違うんだけど、そこにあることで安心できる不思議な感覚。スカスカのスポンジにならなくて済むという安堵感。それがお蔵入り写真なのかも。

フィルムとの付き合い方は人それぞれ

それぞれにそれぞれの付き合い方があるから、フィルムカメラとは!とか、こうあるべき!とかなんかを論ずる気持ちは全くなくて。ここで話しているのはあくまでボク自身のフィルムとの関係性。

だからこれを読んでいる人の関係性もあるだろうし、「お蔵入り」なんてよくわからないって人もいるかもね。
だからこそフィルム写真って面白い。

フィルム一本あたり購入から現像、データ化までで2500円くらいかかるんだけど、2500円で1日楽しめる趣味だと思って付き合っていきたいよね。
多分ボクはデジタルと併用しながら、デジタルとフィルムの違いも感じながら、この時代だから、この時代でしかできない楽しみ方をこれからも続けていきたいな。

キミの楽しみ方を教えてくれない?

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