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“心象風景を映し出した、孤高の名盤”【ROENTGEN / HYDE 2002年】PIZZA COLA DIARY #03

PIZZA COLA DIARY #03

今回は、L’Arc~en~Cielのヴォーカリスト HYDEが2002年に発表したファーストソロアルバム『ROENTGEN』を紹介したいと思う。人気絶頂を極めたモンスターバンドのヴォーカリストがソロ活動で表現したかった音楽とは…。リリースから来年で20周年を迎えるこの作品について語っていきたい。

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L'Arc~en~Cielの活動休止、ソロ活動へ

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hydeがヴォーカルを務めるロックバンド L'Arc~en~Cielは、1991年に大阪にて結成され、今年で30周年を迎える。1994年にメジャーデビュー後、シングル・アルバム合わせて30作品がオリコンチャートの1位、11作品がミリオンセラー、総売り上げは約3,000万枚を記録、 2012年には世界10カ国14都市を廻るワールドツアーを行い日本人初のマディソン・スクエア・ガーデン単独公演を成功させた音楽シーンに確固たる地位を築くモンスターバンドである。メンバーそれぞれがメインで作曲が出来ることが大きな強みで、フランス語で虹を意味するバンド名を体現するかのように楽曲毎に作曲を担当したメンバーがイニシアティブをとり、ロックバンドという形態に捉われないバラエティ豊かな楽曲を現在に至るまで数多く発表している。

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そんな彼らは2001年9月に映画ファイナルファンタジー」の主題歌となったシングル“spirit dreams inside-another dream-”のリリース後、公式発表は無かったものの事実上の活動休止となり、(活動休止の理由は多々あったそうだが、当時はhydeがバンドの脱退を考えるほど深刻なものだった。)その後 メンバーそれぞれがソロ活動をスタートさせた。ベースを担当するリーダーのtetsuya(当時tetsu)はTETSU69としてソロ活動をスタート、自身の持つポップセンスを炸裂させ、ギターのkenは 前メンバーのsakuraをドラムに迎え、3ピースバンド Sons of all pussys(通称S.O.A.P)を結成し初期衝動に満ちたシンプルなサウンドを表現、ドラムのyukihiroacid androidとして、ルーツとして持つニューウェーブ・インダストリアルサウンドを現在に至るまで追求している。そして、今回のテーマとなるhyde(ソロ名義時は大文字のHYDE表記)も2001年10月にシングル“evergreen”でソロ活動をスタートさせた。彼がソロ活動で表現したのは、従来のバンドサウンドとは全くかけ離れた『静寂の世界』だった。

②死をテーマにしたファーストシングル“evergreen”

爪弾かれるアコースティックギターの音色に乗せてHYDEのヴォーカルが情景豊かに響いていく。歌われるのは、“大切な友人の死について

無情な時計の針を
痛みの分だけ 戻せたなら
あぁ、おかしな君との日々を
あふれるくらい 眺めるのに
This scenery is evergreen
緑の葉が色づきゆく
木漏れ日の下で
君が泣いている

『evergreen』は本人出演のユニクロのCMソングに起用され、ヒットチャートの1位を記録し30万枚以上を売り上げた。だが、流行とは無縁の研ぎ澄まされた無駄のないサウンドで楽曲のテーマも含めてカラフルな当時のJ-POPシーンの中で明らかに異質だった。ミュージックビデオも鳥籠の中で妖精のような雰囲気を持つ真っ白な出で立ちのHYDEがギターを弾き語るだけの非常にシンプルかつ芸術性の高い映像で、ライトなL'Arc〜en〜Cielのファンはきっと戸惑いを隠せなかっただろう。その後、2枚のシングルの後、満を持してリリースされたファーストソロアルバム『ROENTGEN』で世界観の全貌が明らかになった。

HYDEの内面を映し出したパーソナルな作品“ROENTGEN”

「バンド以外の方法、自分だけで最初から最後まで作る方法を、僕は試したことがなかったんですね。もともと自分だけのものを作るっていうのは好きで、家具(のデザイン)とかもそうなんですけど…ま、そういうような感じで。昔は絵を描いたりするのも好きだったんですけど、いまは専門が音楽になってるじゃないですか。だから、音楽でも同じように自分だけのものを作ってみたいという欲求があった」【bounce インタビュー 2002年4月】

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『ROENTGEN』の楽曲はイギリス・ロンドンにてレコーディングされ、アコースティックギター、ホーン、ストリングスがメインにフィーチャーされたサウンドで バラエティ豊かなL'Arc~en~Cielの楽曲とは異なり、全編 統一感のある「精神的なロック」をテーマにしたコンセプチュアルな作品となっている。

アンビエントな雰囲気のオープニング“UNEXPECTED”で、作品は始まりを告げる。ストリングスの音色が白銀世界を想起させる“WHITE SONG”、亡き友人へ捧げる儚いバラード“evergreen”、聴くものを眩暈のするような砂漠へと誘うUS感溢れる“OASIS”、映画『化粧師』のイメージソングに起用された“A DROP OF COLOUR”で現世の混乱を嘆きながらも、春のそよ風や色彩豊かな山々の壮大さを讃える。本作で一番従来のバンドサウンドに近い「夢」をテーマにした“SHALLOW SLEEP”、イントロの激しいチェロのサウンドが印象的なダークな“NEW DAYS DAWN”、ティム・バートンの名作『シザーハンズ』をイメージして作られ、まるで童謡のようなクリスマスソングとなっている“Angel's tale”、後に映画『下弦の月〜ラスト・クォーター』の主題歌として起用された壮大なバラード“THE CAPE OF STORMS”でクライマックスを迎え、アコーディオンの音色が印象的な「アンネの日記」をテーマにした“SECRET LETTERS”で作品はエンディングを迎える。

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「精神的なロック」というコンセプトを保ちつつも それぞれの楽曲が美しい詩で綴られ、短編映画のように物語性を持ち、想起される風景は非常に多彩である。そして、先述したように当時の音楽シーンの流行とは全く無縁のHYDEの内面=心象風景を映し出した非常にパーソナルな作品だからこそ、時代に流されず いつ聴いても不変的な魅力を持っている。リリースから来年で20年になるが、これから先もそれは変わらないだろう。

④デヴィッド・シルヴィアンからの影響

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「本当に美しい顔で呪文みたいな歌で、すべてが美意識の塊みたいで。当時の僕にとってデカダンスの始まりでした。妙に好きで、本当に聴きまくっていまし た。いちばん吸収する多感な頃だったので、その時の影響はすごく大きいかもしれない。デヴィッド・シルヴィアンはいまだに僕のアイドルです」Rolling stone JAPAN 2016年2月

公言しているようにHYDEがデヴィッド・シルヴィアンから受けた影響は非常に大きい。コンサートでも坂本龍一とデヴィッド・シルヴィアンの名曲“禁じられた色彩”をカバーし、本家さながらの見事なヴォーカルを披露していた。

デヴィッド・シルヴィアンは、イギリスのロックバンド “JAPAN“のヴォーカリストとして、1978年にデビューした。JAPANは、本国では爆発的な人気こそ無かったものの、シルヴィアンによる内省的なボーカルやベーシスト ミック・カーンのウネウネとしたフレットレスベースなど独自の個性を持ったニューウェーブサウンドでduran duranなど後続のバンドに多大なる影響を与えた。日本では、LUNA SEASUGIZOも影響を公言しており、彼のソロ作品にはミック・カーンも参加している。

1982年にJAPAN解散後、シルヴィアンはソロ活動をスタートさせ ポップな音楽シーンからは距離を置き、自身の内省的な音楽表現を追求していく。 特に3枚目となるスタジオアルバム“Secrets of the Beehive”は、ドラムスやエレキギターはほとんど使われずアコースティック楽器を多用したサウンドと囁くようなシルヴィアンの心地よい低音ヴォーカルが軸となっており、自身の内面と向き合った“ROENTGEN”制作時に強く意識していたことだろう。ヴォーカリストとしてもそうだが、その物語性の強い詩に関しても影響を感じ取ることが出来る。

彼は罪人たちを欺瞞から解放する
彼らは彼の名前を聞くなり逃げ出すだろう
彼は自らの正義を欲している
太陽のもとで選別された正義を そして私の名前もその銃に刻まれている
計画は始まったばかりだ
 【銃を持った少年 The Boy With the Gun】
僕は今ここにいて、あなたとは遥か遠くにいる
キリストの血か、それとも心の変化を信じようか…
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕はもう一度あなたを信じて生きよう
【禁じられた色彩 forbidden colours】

だが、“ROENTGEN”は単なるシルヴィアンの模倣作品では決して無い。シルヴィアンから影響を受けた芸術性を保ちつつも、自身のフィルターを通してより大衆性のある独自のポップセンスに満ちた作品になっているそれはアンダーグラウンドな雰囲気がありつつ、圧倒的な華を持つHYDEという稀有な存在、彼の類まれなる表現力が無ければ、成し得なかったことであろう。

⑤ソロデビューから20年、ROENTGENⅡの制作へ

ROENTGENのリリース後、HYDEは「静」から「動」へと方向転換し、ライブを意識した激しいロックサウンドへと変貌を遂げた。ハードロックを昇華したVAMPSの活動休止後、2019年にリリースされたアルバム“anti”では、アメリカのプロデューサーを複数迎え 海外での活動を意識したよりラウドなサウンドを追求していく。だが、ツアー“ANTI WIRE”の大阪城ホール 最終公演にて突如「『ROENTGEN』の第二弾を作る」と発表を行い 会場を驚かせた。

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「リリースしてからしばらく経って、「ROENTGEN 2」の構想が浮かばなかったわけではないんです。ただ、アメリカでの活動をターゲットに入れてから、忙しすぎて腰が上がらなくなってしまって。アメリカで活動するのは体力的にどうしても今しかできないというのがありましたから。極端な話、「ROENTGEN」は腰が曲がってからでも作れなくはないし、あまり焦る必要はなかった」
──その重い腰を上げて、ついに「ROENTGEN 2」に着手することになった。
「もともとアメリカでの活動を来年、再来年で終える予定だったので、ひと区切りついてからゆっくり作ろうと思ってたけど、コロナの影響で動けない状態になっちゃった。じゃあ、2年後にやろうと思っていたことを今やったほうが効率がいいだろう、というのが一番の理由ですね。結果的に切り替えてよかったなと思ってます」【HYDEソロ20周年記念インタビュー 音楽ナタリー 2021年9月】

2021年6月からは10年ぶりにアルバム『ROENTGEN』のタイトルを冠したオーケストラツアー「20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021」を開催した。ツアーの初日に合わせて配信されたシングル“NOSTALGIC”は ストリングスや生楽器をフィーチャーした“THE CAPE OF STORMS”を彷彿とさせる壮大なバラードで約20年ぶりにHYDEが「動」から「静」へと本格的に回帰したことを華々しく告げた。今月24日にはシングル“FINAL PIECE”がリリースされる。HYDEのヴォーカリストとしての表現力がさらに円熟味を増した今、ROENTGENⅡがどんな風景を映し出してくれるのか…。これからの活動が楽しみで仕方がない。

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still in a dream 愛媛県在住、ソロプロジェクトとして2018年4月に活動を開始。 全ての楽曲制作・映像、アートワーク制作を自身で行っている。 2020年12月 初となるシングル “faith”、翌年4月にはセカンドシングル“TONIGHT”を配信リリースした。




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