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鼓動を高鳴らせて

引き続きまして
「自分らしさ」というお波に
ダイビングしたいと思います
(こんな面白いテーマ、一回では周りきらん)
(U◯Jか…あ、銀行じゃない方な)

さっきお風呂入ってて
(いい湯加減なダイビング)
(バスソルト入り。海水。)

自分らしさって
「自分がリラックスしてるときに出てくる雰囲気や言動、考え方」
ではないか、と思いつきました

で、ここで大事なのが
リラックスしているという状態

リラックスと脱力は違う
脱力とリラックスは違う
(入れ替える意味?ない)

自分の言動をこんな風に思われたらどうしよう…と心配しているときや
責められていると感じる時には
リラックスしてないだろうし
心身が疲れている時はいつもの自分じゃないだろうし 
かといって、なんでもいいのよ〜なんて投げやりな態度が自分らしいとも思えない

自分がこうであったら心地良い、を
支える筋力、力は必要。

いや、ほんでよ
(なによ)

リラックスって難しい
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ
(poison)
意識もエネルギーもどんどん外へ流れ出るし
無意識に踏ん張って
食いしばってこれが自分!とかって
思ってたりするし探してたりするし
自分らしさの檻の中でもがいてるのよ
(名もなき詩)

それでも、そこを考えるのが
大切だなと思うのは
自分らしさというリズムを
リラックスしてお互い鳴らしたら
響きあうひとが集まるし
どうにも合わなければ離れるし
(それがご縁)

なんなら お互いのリズムがわかれば
合いの手を入れて楽しむなんてことも出来るし
(もはや愛の手)
それがそもそも、周りに気をつかって
自分じゃないリズムを鳴らしていたら
その自分じゃないリズムに合うひとが集まって広がるという
(しかもお互い探り合うから絶妙に不協和音)
誰得?なハーモニー
(いや、この不安定さがまたよきとか、一周まわって足並み揃うとかありますけども)

だからこそ、私が私らしく
あなたがあなたらしく
リラックスして居心地良く日々を過ごすことが
ひいては世界平和に貢献すると
いうことではないのか。
(君の微笑みはみんなを幸せにする〜)

ちょうどいい塩梅とさじ加減を探るために
自分を支えるのに必要な力を保つために
呼吸とリラックスを味わうために
「ヨガは万能」説をぶち込んで
今日は引き上げたいと思います

かしこ



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