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美徳とされていたことがもしかしたらそうではないかもしれない

美徳とされていた我慢とか節約とか謙遜というのは、時代とともにその意味や捉え方が変化してきました。
やはり偏りすぎるとおかしなことになるので、客観的に見れるようにしておいたほうがいいし、要はバランスですよね。

我慢することが素晴らしいとされていた過去の価値観のままでいると、辛い目にあったり、嫌な思いをすることで頑張れているのだという自己満足に陥ることもあります。

節約にこだわりすぎて、お金がかからないことがいいことだという思い込みは、結果的にお金に支配されることになり、常に安いものを探すようなことになり、手に入れたいものの価値や基準がわからなくなります。

他人から評価されても、頑として受け入れない歪んだ謙遜は、自分の能力や長所を認めないだけでなく、聞く耳を持たない頑固者として敬遠されることになります。


我慢を重ねて何かを克服しなければ幸せが手にはいらないわけではないし、節約が正義ではないし、自己評価が低すぎて評価を受け取れないのも残念なことです。
今までは「良い」とされていたことが、ある種の洗脳だったり思い込みであることはよくあるし、常識はどんどん変化するものなので、特に変化が早い現代社会に生きるには、柔軟に考え対応する力が必要となります。

今起きていることに対して、何を感じどう捉えたのかを知っておくことや、受け取った情報を鵜呑みにしないで精査することも、人間力を高めるために必要なので、自分がどういう反応をするのか、その時どんな感情が生まれたのかは見ておく必要はあるでしょう。

そうやって深く掘り下げることで自分を知り、新たな自分軸が形成されていくので、「これはこうだ!」と固定するのではなく、違う視点から見て思い込みを見破ることです。
よく「目から鱗が落ちる」という言い方をしますが、フィルターがかかっていると本質が見えなくなるので、いつもとは違った角度から見れるように心がけたいものです。



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