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如来と菩薩の違い

10年ほど前、有名なヒーラーの方に過去世をリーディングしてもらったことがあって、どの時代のどの場所かはわかりませんが、僧侶だったことがあると言われました。これに関しては自分でも自覚があって、子供の頃から神社仏閣が大好きだったし、京都に生まれ育ったのもそんなことが背景にあったのかもしれません。

20代から30代にかけては、仏教系の本もたくさん読んだし、やはり過去世の影響って大きいんでしょうね。
大好きなことや大好きな国とか心惹かれることって、きっと過去世でも縁があったんだと思っています。


子供の頃から仏像を眺めるのが好きでしたが、それぞれの個性というか違いに気がつき始めた頃、大きく分けて如来と菩薩がいることを知りました。
如来というのは「来るが如し」という意味で、何が来るのかというと「神のような存在」がということです。
要は最高の境地に至った存在ということですね。

では菩薩とは何なのかというと、次期如来候補なんです。
如来の仕事をサポートし、いずれは自らがそのポジションになるために修行をしているというようなイメージ。

阿弥陀如来とか薬師如来などの如来と、観世音菩薩(観音様)や弥勒菩薩とでは、見た目でハッキリと違うとこがあります。
それは何かというと、菩薩の人たちはアクセサリー類をたくさん身にまとっているのに対し、如来の人たちは至ってシンプルで、着るもの以外は身につけていません。

菩薩の人たちは、まだ多少この世的なことに執着があって、きらびやかなアクセサリーなどを必要としているのですが、如来に至っては、完全にその域を離れ、達観した境地になっていることが伺えます。

如来というのは、アセンデッドマスターと呼ばれるような存在で、釈迦とかイエス・キリストみたいな存在のことを指すのだと思っています。
まさに精神の巨人ですね。

釈迦やイエス・キリストが説いた教えは、今でも世の中に大きく影響を与えていますが、今の時代に合った教えというか、ガイドしてくれる、または導いてくれるような考え方が必要だと考えています。

おそらくそれを目的とした人たちも生まれてきているはずだし、そういう役割を持った人たちがいろんな分野で活躍し、大きく影響を与えていくような時代がやってきているような気がしてなりません。

メジャーリーガーの大谷翔平さんも、そういう役割を持った一人なのでしょう。野球の才能だけでなく、あの人柄や身のこなしは神がかっているとさえ感じています。


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