生演奏ができるお店の変遷そしてこれから

さすがに戦後間もない頃の米軍キャンプのことは、先輩ミュージシャンから聞いた話でしか知りませんが、1960年代〜1970年代はキャバレー全盛で、それ以外にもバンドが入って生演奏する飲食店はたくさんあって、月ごとに出演契約をするバンドを「箱バンド」と呼んでいました。

「箱バン」をやっていた先輩が言うには、毎月クルマを新車で買い換えられるくらい稼げたそうです。
それくらいミュージシャンは需要がありました。
70年代〜80年代はディスコも基本は生バンドで、DJと交互で生演奏とレコードで客が踊るというスタイルでした。

お店で演奏される曲はカバー曲(ヒット中のナンバー)がほとんどで、オリジナル曲を演奏するというのは、すでにメジャーからレコードを発売している歌手やグループに限定されていて、営業活動の一環として、お店で歌ったり演奏したりというのが一般的でした。

80年代になるとロックやポップスを演奏する「ライブハウス」も増え始め、僕が働いていた「新宿ルイード」は、もともとはホテルのディナーショーなどで営業していた歌手が、気軽に歌を聴きながら食事を楽しむ場所として、定期的に出演するというのが始まりでした。

それが時代とともにフォークやロック、ニューミュージックというジャンルのアーティストの出演が増え、複数回のステージの休憩時間にお酒や食事の追加をオーダーしてもらうということも、だんだん難しくなってきました。
休憩など挟まずに、1ステージでやりきりたいというアーティストが多かったからです。

最初は食事をしながら生演奏を楽しむというスタイルで始まったお店でしたが、アーティストによっては客が総立ちで盛り上がるというふうに変わっていき、こうして80年代には活動(オリジナル中心で)する場として「ライブハウス」が浸透し始めました。

90年代も後半に入ると、ライブハウスだけでなく、カフェやレストランで簡単な音響機材を持ち込んでのライブも増えてきました。
と同時に、それまで日本では見ることがなかった路上ライブも増え始め、音響機材や楽器も充実してきて、それまでとは比べ物にならないくらい、手軽にライブができる環境が出来上がります。

そして今は、コロナでレストランもカフェもライブハウスも先行きが不透明になり、数多くのお店が閉店を余儀なくされています。
まさに淘汰が始まっていますが、また新しい試みをする人たちもいるだろうし、今までになかった発想の新しいお店も登場するでしょう。

そしてミュージシャンも二極化すると思っていて、食えているかどうかは関係なく、キャリアとして「自分はミュージシャンである」という、プロという概念で音楽に取り組む派と、趣味の延長で音楽を楽しみながら活動をする派に別れるでしょう。
今はミュージシャンの数も増えて、リアルでもネットでも活動の場が多いために混沌としていますが、「芸」や「道」として音楽を極めるアーティストと、「あくまでも楽しむため」というアーティストは、それぞれの個性にあった形での活動になり、それぞれが別の形で活動のエリアを広げることになるでしょう。

僕自身もいろんな試みをしていこうと思っていますが、ここから先の歴史を作るのはあなたです。
前例がないからとか、誰もやってないからと諦めるのではなく、どんどんチャレンジしていったらいいと思います。

70年代以降のライブの歴史を駆け足で紹介しましたが、これからも時代とともに変わっていくことは間違いないし、うまくいくこともいかないことも、それは全ていい経験になりますから、頭を柔らかくして自由な発想で、活動の場をプロデュースしていきましょう。


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