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本とわたしと、本が読めなくなった私。①

24歳のとき。本が読めなくなった。

本とわたし

物心ついたころから本を読んでいた。幼稚園のときには、年の離れた姉に「わたしも栞がついた本が読みたい!」と駄々をこねた。絵本じゃなくて分厚い本にあこがれた。栞をはさんで休憩するくらいの本が読みたかった。

今考えると「よく見つけたな、姉よ」と思うけれど。絵本よりは分厚くて、紐の栞がついた『おおきなおおきなおいも』という本を見つけてくれた。姉のことがもっと大好きになった。皆とおそろい!と喜んだ。

小学校では毎日図書室に行き、本を借りて読んでいた。ドッジボールも毎日していたけれど。ハリーポッターの新刊が入るときには一番に図書館に行って一番に借りた。あれは結構ドキドキした思い出。

6年生のとき。クラスで読書記録大会なるものがあった記憶がある。読んだ本のページ数を記録していくもの。一番になりたくて、毎日本を読んだ。でも二番だった。悔しい。負けた子の名前は今でも覚えてる。そう、ページ数を稼ごうと確か姉に「分厚い本何かない?」と聞いて、すすめられたのが重松清の『疾走』。読んだけども。読んだけども…。今考えるとよく小学6年生にあの本を渡したなあ…姉よ。

中学高校では図書室に行けなかった。はずかしかったから。一冊も本を借りなかった。でも家には沢山の本があった。姉がどうだったのかは知らないが、我が家は両親が本をよく読んでいた。父親は国語の教師。部屋は”文字通り”本で埋まっていたから、読む本を見つけるのは簡単だった。沢山読んだ中でなぜか忘れられないのが『春のソナタ』(三田 誠広)。特別好きというわけでもないのに、なぜかこの本は憶えているし、今も私の部屋にある。

私の家は結構厳しかった…と思う。二階に部屋があったが、漫画やお菓子・ゲームを持ち込んではダメ。「勉強したの?」と母はいつも言っていた。いつも怒られるのは姉。私は末っ子だからそこらへんは上手いことやっていた。ノートと教科書を開き、消しかすを散らばして。マンガや本を開き、母親の足音がしたら座布団の下に隠してシャーペンを握る。完璧。

この戦法で鬼ほど本を読んでいた。言われたとおりに勉強するのが嫌だったから。本の供給元は安定していたし、時間も沢山あった。息をするくらい自然な感覚で本を読んでいた。

まさかおとなしく真面目に自分の部屋で勉強するわけない。
だから今も昔も家で勉強ができない。宿題はいつも学校で休み時間や提出間近に駆け込みでやっていた。でも幸いなことに勉強はできた。たくさん本を読んでいたから。

大学での出会い

高校まで読んでいたのは小説ばかりだった。新書を読み始めたのは大学から。はまった。そのきっかけの本は『豊かさとは何か』(暉峻 淑子)。真に触れた感覚だった。

知識を取り入れるための読書。自分の気持ちを整理するための読書。言葉にできない感情を形にしてくれる読書。

そんな読書に出会った瞬間だった。
その後も、当たりはずれはあったけれど、大学生の時のあのもやもやした感情や期待感、そんなものが適切に書かれている本に沢山出会った。というか本に当たりはずれがあるってこの頃知った。父の部屋にあった本は私にとって当たりの本ばかりだったんだなあ。

勉強そっちのけで鬼ほど本を読んだ。色々な本と目が合い、読まずにはいられなかった。好きな過ごし方は、一階から五階まで本棚を眺め、面白そうな本をとりあえず15冊ほど抱えて、一番誰も通らない席でひたすら読むこと。専門外の数学や物理とかもその中にはあった。もちろんさっぱりわかんない。パラパラ眺めて終わりの本が大多数。でもこの一冊を書くほど、人生をかけて夢中になれるほど、きっとこの領域には魅力があるんだろう。そんな想像をすると、私もその分野をちらっと見てみたい、と思うようになった。私はヘビー読書家だ、って思っていた。

本が読めなくなった私

24歳。大学院2年のとき。本が読めなくなった。

少し前、心のバランスが崩れた。就職先が決まらなかった不安、周りの友人にどんどん置いて行かれるやるせなさ、楽しそうに仕事の話をする友人に感じる嫉妬とその惨めさ。もちろん目の前に迫った修論の提出にも追い詰められに追い詰められた。不安が不安を呼んでより大きな不安になり。ついには家から出られなくなった。しんどかった。この時のことを私は、友人の言葉を借りて「床上30㎝の暮らし」と表現する。1か月ほど引きこもり、出られるようになったきっかけは傾聴だった。ここに関してはいつかまたゆっくり整理したいな。

まあ傾聴をきっかけに、生活は持ち直し、1月には修論も何とか提出でき合格をいただけた。ああ、良かった。あとは引っ越すだけ。そう思ったけれど、このときから副作用的に本が読めなくなった。

まさか、と思った。あれだけ宝の山に見えた本屋や図書館に魅力を感じなかった。呼びかけてくる本が一冊もなかった。

これは結構きつい。今まで本を読みに読んでいた人間が、それができないとなると、何をするんだろう。どこから知識や感動を取り入れるんだろう。どうするんだろう。今までの自分は何だったんだろう。そんな気持ちになる。

本が読めない状態は今も続いている。②へ続くのかな。わかんない。

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