「好きなことを仕事に」は、全然そんな顔してなかった
クラフトビールに育てられた、特別な4年間
私がクラフトビールを知ったのは、忘れもしない、2020年が始まろうという年末だった。「苦くて薄くて、乾杯で出番終了となるお酒」という認識が、あるテレビ特集でがらりと覆った。おいしそう、と思ったのも束の間、勤務する会社の別部署で商品として扱っていたのをビビッと思い出し、年末宴会用に何種類か買って飲んでみて、これは!と味を占めたのがすべての始まり。年が明けた1月には東京に直営店を出す有名ブルワリーの店舗へ飲みに行った。
そして、このタイミングで世界はコロナ禍へと突入していった。日本で初めて感染者が確認されたのは、1月15日。これ以降、旅行はおろか、単なる外出すらままならない風潮となっていった。
長野県佐久市。私が住んでいる地だ。
ここに住んでいなければ、私のクラフトビールブームも一過性で去っていったかもしれない。というのも市内には、全国展開する大手クラフトビールが二社も居を構え、種類豊富なビールが近所のスーパーでも容易に手に入ったからである。
私は、ビールを純粋に楽しんだだけだった。そうしたら、友達が増え、交流が増え、行ってみたい目的地が増え、会社ではビールを提供する業務や広報をやらせてもらえ、ビールメーカーの方々と仕事をし、社内向けにビールセミナーまでやってしまった。
好きなことを純粋に楽しんだら、すごい速さで、どんどんプラスの方へ進んでいった。それも、ビールの知識を覚えることや、ビールを人に楽しんでもらうために準備し、片付けることは、ぜんぜん苦にならないのだ。
好きだった、本のこと
翻って、人生ではどんなふうに好きなことをやってきたか? 子供のころの私は、本が好きだった。学校の図書館に通いつめ、朝礼の始まる前のすきま時間や昼休みに、貪るように読んでいた。青少年向けのジュブナイル小説を読みふけり、いい物語に出会うと、その感動は心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。
けれど、時が経ち、感動を感じるときの震えのようなものはいつしか薄れ、全然わくわくしなくなった。大学一年の私は、そう日記に綴っている。小説は読まなくなり、代わりに生物学などの知的好奇心や、就職・ビジネスに役立つハウツー本を読むようになった。小説などの「物語そのものを楽しむ」ことの一切を、いつからか完全に忘れてしまっていた。
当時の私はその理由を「精神的に大人になったから」だと分析した。多感な時代を過ぎこした大人というものは、つまり多感でなくなる。日々にいちいち感動しなくとも、昔の「感動したという思い出」を時折、甘い蜜のようにちびちび啜りながら、無味乾燥な現実を生きているのだと悟った。
まあ考えてみれば、甘くてぽってりした卵焼きだって、冷たくてクリーミーなソフトクリームだって、最近はちゃんと味わってないかもしれない。子供の頃そのおいしさに感動したという「記憶」をあたまの片隅に思い起こしながら、味も確かめずに食べている。
進路を真剣に選んだ、つもりだった
この日本という国では、高校を卒業する頃には、多くの人がある程度の職業観を持つようになる。どんな分野に進むか、何を目指すか。そういうものが私には全くなくて、ただ漠然と「堅実な仕事を選ばなくてはいけない。声優とかイラストレーターとか、夢とか趣味とか、そういう青臭いもので食べていこうなどとは絶対に考えるべきでない」と固く信じていた。それで、刑事ドラマが好きという安直で厚みもない理由で、それでも卒業さえすればなんらかのいい感じの仕事には就けるだろう、と法律の道に進んだ。
かといって、裁判官や弁護士になろうという高尚な志も、それでがっぽり稼ごうというリアリスト的な情熱もない。法律の文章は難しく、会計士や税理士などの現実的な士業にも興味が向かないまま、若い貴重な日々は漫然と過ぎていった。入学後一年でリウマチを発症し入退院を重ね、体調が安定しなかったこともあって、結局、就職先も、法学部を出たという社会的アドバンテージも、一つの資格をも持たず、留年を繰り返し七年間在籍した大学を後にした。
要するに、私は法律などに興味はなかったのだ。進学を重視する高校に入り、遊びたい気持ちの半分以上を犠牲にして「これを頑張れば将来が切り開ける」と妄信して勉学に励み、さらに一年間予備校に通い、教授の人相も遠くてよく見えない大教室で「構成要件」やら「危険負担」やら難解な概念について何時間も講義をうけてノートを取った結果、私の手元に残ったのは一枚の学士免状だけ。人に話したくなるような興味深い専門知識も、心も、すっからかんだった。
足元にあった、宝箱
その後、体調に翻弄されながらもいくつかのアルバイトを経験させてもらえ、巡り巡って科学館の仕事につき、その本社に正社員として採用され、総務経理に配属された。1円単位の正確さを求められる事務作業は向いていないなと感じたが、なんとか耐え抜いて、業務を一人で任せてもらえる程度にはなった。
そうして今、八年が経とうとしている。この冬、ラジオをかけていたら、ある女性のハスキーな声が流れてきたのだった。その声は、私に語りかけていた。何を? 本についてだ。
放送内容から察するに、彼女は私とほぼ同世代であるようだった。もちろん大人だ。日頃は会社員としてフルタイムで働き、余暇時間を工面してSNSやラジオアプリで、読んだ本について発信し、著述活動もしているという。
そして彼女は、大人の精神を持ち、会社で働きながら、ぜんぜん無味乾燥な現実で生きてはいなかった。本と、本のなかの言葉を通して、私には見えていなかった豊かで濃密な世界を生きていた。
私はもう一度、本を開いてみた。
本は、手元に無数にあった。なぜなら我が家の家訓は「本を買う金に糸目をつけてはいけない」であり、本を手元に置くことは身に染みついた習慣だったからだ。小説も、興味が湧けば時々買った。けれど、ストーリーは理解できても、青春時代のようにわくわく面白いと感じる本には、成人してからひとつも出会わなかった。
文字を追ってみて、驚いた。
ストーリーは、臨場感をもって心に迫ってきた。本を読む習慣はこれまで継続してあったけれど、なんと私は、長いあいだずっと文章をろくに読んでいなかったのだ。単語を追い、知識としてインプットしていただけであって、その内容が自分の人生という文脈において何を意味するか、それを認知していなかった。
知識や情報を手にいれるための読書ならば楽しむことができる一方、小説には面白みを感じなかった背後には、そういう事実があったのだ。
私は図書館に向かった。手当たり次第、適当に選んだどの本にも、この私のために、今の私のために、作者が前々から書いておいてくれたのだと感じるいくつかの文章が、必ずあった。瓦礫ばかりでなにもないな、と踏みこえてきた広大な荒野の下に、じつは金の鉱脈があったのだ。私はこれまで、虚無と退屈を一身に背負いながら、そこを靴で踏みつけて歩いていた。
初めて、ゼロから歩きはじめた
好きなことを仕事にしてはいけない、のではない。好きなことを仕事にしなくてはいけなかったのだ。
私は、定年まで約束されていた同世代平均年収の仕事を捨て、時給950円の本屋のアルバイトに応募した。もちろん、正解かどうかはわからない。同じ状況に置かれても、退職しない人もいるだろう。こんな私をみて「あーあ」と思う人もいるかもしれない。
けれど、これが私なのだ。成功しても失敗しても、私はこれしか選べない。
またあの「虚無と退屈」という重たい荷物を背負って荒野を歩く人生なんて、まっぴらなのだ、私は。
この方向転換が、私にとって「最善」の選択なのだ。なぜなら、ビールのときはあんなにも何もかもがうまくいったのだから。飲むことはもちろん、製造過程を学ぶことも、さまざまな人との会話も、セミナーの資料づくりも、すべてが愉快で楽しかったのだから。今度だって、うまくいく。
たぶん、これから時間がたったとき、初めて見えてくるものがあるのだと思う。
こんなにゼロからすっきり出発するのは、人生で初めてのことだ。振り返ってみれば、小学校高学年のときは「公立中学は荒れているから」と聞いて私立を受験し、中学のときは転居したてで右も左もわからないまま担任の先生に勧められた学校へ進学し、法学部があって学費が安いという理由で大学を選定し、流されるままにその場その場で周囲の動きを見つつ、漂着点を決めていた。「〇〇が学びたいから」「〇〇の仕事がしたいから」という積極的な動機が、一度も出てこなかった。
いったん落ち着いて、世界をよく見渡そう、と思った。
それから考えよう。自分の人生の先行きを。自分の「好き」を。
自分の「生きたい」を。
アルバイトの次は? 見えるまで歩くのみ
理想が、昔からなかった。なかったというより、漠然としすぎていて、現実の世界とそれを繋げる方法がまったくわからず、そんな方法はないと思っていた。世の中というものを、いつも心のどこかで諦めていた。それで「大人は感動しないものなんだ」と感じたときに、それがすっと「悟り」へと昇華したのだと思う。食の大家、北大路魯山人は、ご飯(お米)を寿ぐ著述のなかで、こう言っている。
理想がないとき、人はそれを蔑まれてもぜんぜん気にならない。まさにかつての私だ。
では、どうやって理想を得たらいいのか。
満たされ続けていても、諦め続けていても、救われることはない。苦しかったら、とにかく動く。ジャングルのように草木が足に絡みつき、虫がたかり、蒸し暑くて不快で、空腹にあえぎ、肉食獣の恐怖に怯え、そして歩むべき道も見あたらないまま夜が近づき、そもそも目的地がどこなのかわからない。そんな、逃げたくなるような現状を受け入れず、あくまで「拒否」すること。けれど「現実はこんなものだ」と蹴りつけるのでなく、「どこかに救いはある」と信じて手当たり次第の洞窟に迷い込むしかない。どれか一つには、前にいた人が薪と食料を少し残していってくれているかもしれない。どれか一つが、トンネルになっていて、その先は、爽やかな草原が広がっているかもしれない。あるいは、広々とした輝く海かもしれない。
マーケティングの世界に、とある標語がある。
「ドリルを買いにきた人が欲しいのは、ドリルではなく『穴』である。」
本屋は、本を買う場所ではない。
世界中で自分ただ一人が正しいと思っていることを、他の人にも「そうだよね」と言ってもらうこと。
自分はなにか感じているけれど、もやもやと曖昧で何を感じているのかわからないときに「こういうことだよね」と解説してもらうこと。
どこへも行き場がなくて途方に暮れたときに、いくつかの進むべき洞窟を提示してもらうこと。
本屋を訪れる人は、それを求めている。自覚がなくても、心の底には、答えを得たい気持ちがある。
その求めているものを、手渡せる場所。
そんな本屋を、いつか、私は作りたい。ような気がする。今はまだわからない。進んでみないと、わからない。
けれど、「好き」という地図を信じて、とりあえず歩きだしてみる。地図があるのだ、怖くはない。
【文献】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
voicyチャンネル『名もなき読書家のホントーク!』
パーソナリティ:名もなき読書家
『アルケミスト』
著:パウロ・コエーリョ 訳:山川紘矢、山川亜希子
KADOKAWA
『仕事人生のリセットボタン』
著:為末大、中原淳
筑摩書房
『働き方が自分の生き方を決める』
著:加藤諦三
青春出版社
『Think clearly』
著:ロルフ・ドベリ 訳:安原実津
サンマーク出版
『電車をデザインする仕事』
著:水戸岡鋭治
日本能率協会マネジメントセンター
『つやつや、ごはん』
著:赤瀬川原平ほか(アンソロジー)
河出書房新社
『しごと放浪記』
著:森まゆみ
集英社インターナショナル新書
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?