今日もカフェでコーヒーを飲みながら② 1.最初のキッカケは、札幌への転校だった…
私は、物心ついた頃には既に、道東・オホーツク海側でも比較的山間部にある、M町という田舎町に住んでいました。
当時、私と2歳上の姉の実父と離婚していた母は、私と姉をM町の祖父母に預け、生活費を稼ぐ為に札幌市内で仕事を幾つか掛け持ちして働いていました。
祖父母に預けられていた私と姉は、屋根裏やトイレ、裏庭の至る所に、大きな蜘蛛がゴロゴロ出るような、築数十年以上は経つ古い木造の家で、祖父母と、当時まだ中高生だった3人の叔母達と一緒に、大家族で暮らしていました。
M町にいた頃から、私は『泣き虫』で、他の子達より動きも鈍く、トロくさかった事もあり、数人ぐらいの意地悪な子達から意地悪をされる事もありましたが、それは、毎日ではなく、母に買ってもらった新品の洋服を着たり、参観日に母が札幌から来た次の日など、普段と違う事があったりした時ぐらいでした。
普段は、近所の子達といつも線路近くの公園で遊んだり、保育園時代から仲の良かったI藤さんの家へ行って遊んだりと、ごく平凡で、当たり前とも言えるような毎日を送っていました…。
そんなある日…、
母は、年下のY内さんという男性と再婚する事になりました…。
母は、小学2年生になったばかりの私と、小学4年生だった姉を、札幌に連れて行き、家族4人で一緒に暮らしたい、と祖父母に言ってきたのです…。
当時の私は、実父の存在を全く覚えていなかった為、事情を把握出来ていませんでした。その為、Y内さんの事を父親だと勝手に思い込んでしまい、何の疑いも躊躇もせず、札幌へ行く事を決めてしまいました。
その決心が、後々、私自身の価値観や人生を、大きく左右し、『苦悩の始まり』になる事など、全く考えていませんでした…。
かくして…、
私と姉は、1学期の終わり近くになってから、幼少期より住んでいたM町から札幌市へ引っ越し、札幌市内でも有数の『マンモス校』と呼ばれていた、T区のT小学校に転校しました…。
そして、その小学校で、最初の『いじめ』を受ける事になってしまいました…。
転校初日の挨拶で、M町から転校してきた事を言うと、
「M町って、ドコ? それ、日本なの?」
と言われてしまい、更に、
「変な喋り方〜」
「田舎者〜」
「田舎者は、さっさと田舎に帰れ〜」
と、毎日、同級生達から罵られ続けました。
ただ、一旦家に帰ってしまえば、『いじめ』に遭う事もなく、義父のY内さんも、学校で何があったか等、私の話を聞いてくれていました。
義父のY内さんは、実の父親のように接してくれ、勉強を教えてくれたり、一緒に遊んでくれたり、休日にはいろんな所に連れて行ってくれたりしました。
そんな事もあってか、T小学校での『いじめ』は、それほど苦にはなりませんでした…。
小学3年生になる前の春休み、私達家族は、T区からS区へ引っ越し、それに伴い、私と姉は、K小学校へ転校する事になりました…。
そのK小学校への転校が、私にとって、更なる『苦悩の日々』になるなど、知る由もありませんでした…。
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