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友よ⑥

翌朝のテレビでは昨日とは比べものにならないくらい、鹿児島のニュースが大々的に報じられていた。
画面には事故現場の様子が映し出されていた。
機長 勝田衛(四六)
十五歳の時から知る友の名に冠されていたのは死の文字だった。

長沢からも、久美子からも連絡はなかった。
私からも二人に連絡をしなかった。
勝田の名前をテレビで見、聞くことは不思議な感じだった。
私の知っている勝田とは結びつかなかった。

起こったことの詳細は、テレビが教えてくれた。
事故の朝、勝田は入間基地から飛び立ち鹿児島に向かい、鹿児島で任務に就いていた時の事故だった。
航空自衛隊の展示飛行を行う部隊に所属していたことのある勝田の名前は大きく報じられた。
故郷の地名も勝田の出身地としてテレビから聞こえてきた。

勝田と最後に会ったのはいつだったか。
そうだ、あの同窓会だ。
高校卒業十年目の同窓会の日だ。
私が最後に会った勝田は二十八歳だったのだ。
しかし、あの同窓会の日の勝田の顔を思い出すことが出来ない。
何度思い出そうとしても、学ランを着ている勝田になってしまう。
教室で黒板に向かい座っていた勝田。廊下を一緒に歩いて理科教室まで行った勝田。数学の宿題を私の代わりに解いてくれた勝田。

昨年会った長沢のように、勝田も髪に白いものが混じり始めていたのだろうか。
私の記憶の中の勝田は永遠に高校生のままになってしまった。

ほかの誰かならいいというわけではないけれど、なぜ勝田なのか。
なぜ勝田が命を落としたのか、命を落とさなくてはならなかったのか。
四十六歳という若さで。
そう自問し続けた。

勝田は空を仕事場に選んだ日から、心のどこかでは覚悟をしていたと思う。
万に一つのことでも起こらない保証はない。
空の上で判断を誤れば、命を失うことは勝田自身が一番知っていた筈だ。
恐怖心を持たないひとは無謀へと走るという。
恐怖心は自戒であり、責任感の表れであって、逃げ腰とは違う。
勝田は自分の操縦技術に驕るような人間では決してない。
スピードと高さに身を任せ飛ぶ空での相棒は恐怖心だったに違いない。
だから優秀なパイロットになれたのだろう。

テレビでは事故現場が再三映し出され、機長である勝田の経歴も詳細に語られた。
事故はパイロットのミスではないかという報道は、私たちに衝撃を与えたが勝田を知る人は勝田を信じていた。
もし勝田が何らかのミスを犯したのだとしても、勝田の腕を持ってしても飛ぶことが不可能な山だったのだ。

そんな中、勝田の上官のインタビュー記事が新聞に掲載されていた。
経験豊かで、高い技術を持ち、ハートも素晴らしいパイロットだった、そう書かれていた。
この記事だけが救いのように思われた。

あの日から二週間後、あの日と同じよく晴れた日。
桜はソメイヨシノから八重桜へと盛りを移していた。池袋駅で私たちは待ち合わせをした。
長沢が先に着いていた。
花束を三つ用意して。
まもなく久美子もやってきた。
長沢とは一年ぶりだったが、久美子とは何年も会っていなかった。

こんなことで再会することになるとは・・・
だれも口にしなかったけれど、同じことを思っていた。

電車は空いていて、三人並んで座った。あの流星を見た夜のように。
向かいの窓に三人並んだ姿が映っていた。
私たちは高校生ではなく、そして一人足りない。
行き先は稲荷山公園駅。
航空自衛隊入間基地の最寄駅。
一時間ほど電車に揺られて行く。

長沢が話し出す。

週末とか、試験明けとか、俺んちに来て、集まったよな。
何人くらいおったか?俺の知らんやつもおったよ。二十人くらい集まったこともあったよなぁ。
歌詞はわからんくせに洋楽流しとった。そういうことがかっこよかと思っとったとたいね。
下の部屋でばあちゃんが寝とるけん静かにせんかって、俺はおやじになんべんもおごられたけど、ふとか音で洋楽ば聴こごたったたいね。

あん時はトランプが流行ったよなぁ。
煎餅とかクッキーとか、カジノごっこって言うてチップ代わりに積み上げて、勝ったの負けたの、て。
勝田がずるして、イカサマ師って呼ばれたこともあったろ。
久美子が応える。
そうそう、勝田くん、洋服の袖の中にトランプ隠しとったよね。
勝てそうになると、袖からトランプ出して。
ばってん、下手くそだけん、誰かがそれを見てバレたっよ。

ガラス窓に映る三人の横に勝田がいて、笑っているような気がした。

また長沢が口を開く。
黙っとったけど、勝田は卒業式の日、免許取れとったって。
おやじさんの車ば借りられんかったって。
勝田の姉ちゃんが福岡の彼氏に会いに行くて言うたけん、車は譲ったって。
勝田らしかよなぁ。
久美子が笑う。
じゃあ、やっぱり、飛行機の操縦より車の免許が難しいわけじゃなかったってことよね。

電車は稲荷山公園駅に到着した。
駅を出て五分も歩いただろうか。
航空自衛隊入間基地の門の前に献花台が見えた。
電車からも基地が見えていた。
基地というより、空港のようで、とにかく広いという印象だった。

まだ献花台に供えられている花はなかった。
受付で「勝田の同級生です」と長沢が言うと、勝田の同僚なのか、後輩なのか、数名集まってきて、私たちに向かって深々とお辞儀をしてくれ、どうぞこちらへと献花台へ招かれた。

献花台の向こうには滑走路があり、たくさんの飛行機が駐機されていた。

長沢が献花台に花束を置く。
久美子も私もそれに倣う。
三人揃って基地に向かって手を合わせた。

長沢の肩が揺れていた。
声を殺して泣いていた。
勝田・・・
絞り出すように友の名を呼んだ。
久美子も私も長沢の肩を借りて泣いた。

友よ。
手の届かぬ場所へ行ってしまった友よ。

勝田はここから飛び立ち、帰ってくることはかなわなかった。
そこに今私たちはいる。
この門の向こうに勝田の亡骸は帰ってきたのだろうか。

友よ。
会いに来たよ。
みんなで会いに来たよ。

稲荷山公園駅のホームで帰りの電車を待っていた。
長沢はつぶやく。
去年の同窓会、勝田を無理にでも来させればよかったと思っとる。
気の向かんけん今日はやめとくて勝田らしくないことば言うて、あいつは来んだった。
こんなに近かったんね。
飲みに出てこいて、俺の顔ば見に来いって、勝田を呼び出せばよかった。
そしたら勝田の運命は違ったかもしれんて。
ここに今俺たちとおったかもしれんて。
今日も三人で会えたたいね、一昨日連絡しあって今日会えた。
集まろうと思えばこぎゃん簡単に集まれた。
なんでもっとみんなで会おうてせんかったのかって。
俺は悔やんだ、悔やんでも悔やみきれんかった。
こやん悲しかことがあるとかと思った。
ばってんな、悲しむのは俺たちの役目は違うと思った。
俺たちに泣いてほしかと勝田は思っとらん。
俺たちは勝田のことを忘れんでおることが、勝田への友情たいね。
いつか向こうで勝田に会う日まで、勝田と友達でおることが一番勝田が望んどることと思った。
向こうでは勝田は若かろうけど、俺たちが向こうに行く時はよぼよぼだろうな。
よぼよぼ過ぎて勝田に笑われるかもしれんけど、勝田は待っとってくれる。

ホームに電車が入ってきた。
電車とは反対方向へ基地を飛び立った飛行機が飛んでゆく。

友よ。
青春をともに過ごした友よ。
何があっても、友のことは忘れない。

友よ。
生涯の友よ。
また会う日まで。


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