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友よ②

高校時代

別の中学から進学してきた四人。
長沢、勝田、久美子、私。
意気投合するのに時間は必要なかった。
気が付けばなにをやるのも一緒になった。
高校三年間で毎年あったクラス替えでも四人はずっと同じクラスだった。
体育祭、文化祭、修学旅行や夏のキャンプ。
部活だけは別々だったけれど、いつも一緒に校門を出て帰る、そんな三年間だった。

高校時代の写真にはいつも四人の笑顔がある。

長沢が、彼女が別の高校の男子と手を繋いで歩いていたと聞いてしょんぼりしていた日は、校庭の隅っこの自販機の前でコーラを飲みながら見間違いじゃないの、とか、男子が強引に手を繋いだだけじゃないのとか、現実味のない、説得力に欠ける話をして長沢を励ました。

久美子の父が名古屋へ転勤が決まり家族で引っ越すことになった時、四人でお好み焼きを食べに行ったことがあった。
長沢は無言でみんなの分のお好み焼きを焼いていたけれど、箸が進む者はいなかった。
しかしその晩、久美子の父は久美子の大学受験のためには今の高校にいた方がいいと考え、単身赴任をすることを決意し、私たち四人はそのまま高校生活を続けられることになった。
「お通夜みたいだったよね、昨日は」と久美子が言ったのがおかしくて笑いが止まらなくなったのは、教室で机をくっつけてお弁当を広げていた昼休みのことだった。

勝田が校則で禁止されている原付バイクに乗っていたのを先生に見つかり、一週間の停学になったときは毎日みんなで勝田のためにノートを取り、長沢が勝田の家まで届けた。
その中に水着の女の子の写真がたくさん載っている雑誌を長沢が紛れこませた。
それを勝田の母親が見つけて勝田は相当叱られたようだった。

またある日、私が授業中居眠りをしているのに気付いた勝田は、先生が黒板の方を向いたときに斜め後ろの席から消しゴムを投げて、見事私の頭に命中させて起こしてくれた。
次に小さく丸めた紙が飛んできて、広げてみると「おはよう」と書いてあり、振り向くと笑いを堪えている勝田がいた。

夏休みのクラスキャンプでは四人がキャンプ委員になった。
キャンプはクラスの年間行事の中でも最大のイベントだった。
キャンプ委員はまずキャンプ場を決めなくてはならない。フェリーで三十分ほどの場所にある松島のキャンプ場が候補に上がり、長沢がそこへ行ったことのある先輩に話を聞きに行った。
「よかとこばい」
と言った先輩の一言で松島のキャンプ場に決まった。

キャンプ場やフェリーの予約、集合の場所や時間を決めてみんなに連絡して、キャンプ前日は四十人分の食料の調達に奔走した。
当日は大荷物を四人で分担して島まで運び、キャンプ場に到着するなり厨房に入り、クラス全員の食事の支度にかかった。
キャンプの夕食といえばカレーライスだ。
夕食係や朝食係を決めていたけれどキャンプ委員はどちらの手伝いもする。
大量のジャガイモの皮むきに悪戦苦闘する長沢。大釜でご飯を炊く久美子と勝田。野菜や肉を炒めて煮込み、味付けをするのは私の担当だった。
カレー粉を入れて、醤油を隠し味にした。
代わる代わる味見をしてあれが足りない、これを入れてみようと知恵を出し合って完成したカレーはクラスメイトに絶賛されたことを覚えている。

キャンプファイヤーの後、早い時間に消灯となった。エネルギーの塊のような高校生が、夏休みのキャンプでおとなしく寝るはずがないのは先生も百も承知だった。
消灯後、しばらく経ってから先生の巡回がある。
みんなが割り当てられたテント内にちゃんといるかを先生が確認して回る。
先生の巡回は儀式のようなもので、先生は生徒たちを信頼してくれていた。
高校生としての道を外れることのない生徒たちだと。

巡回の時は皆、各自のテントで眠い顔をして先生に見せる。
それから生徒たちは眠ったふりをする。
十分、二十分、三十分。
長沢がテントを出て、先生のテントへ偵察に行く。かすかな寝息が聞こえてくるのを確認してみんなのテントを回る。
先生は寝た。夜はこれからだ!
テントに残ってトランプを始めるグループや肝試しに出掛けるグループもあった。

私たち四人をはじめ十人ほどは松島の一番高い場所まで登って行った。
夏の夜の海風が吹き抜けてゆく。
切り株や岩に腰かけて空を仰ぐと満天の星空をのぞむことができた。
これが先輩たちがこのキャンプ場を勧めてくれた理由だった。
とにかく星が綺麗だと。
星々は呼吸しているかのように瞬き、目を凝らせば凝らすほど数を増してゆくようだった。

あ、流れ星。
と誰かが言った。
ひとつ見えるとそのあとは無数だった。
いくつもいくつも長い尾を引いて星が流れていく。
流れ星に願い事をしたくても間に合わない。
次から次へと流れる星に目も心も奪われた。
「すごか・・・」
「流れ星って、こんなに流れるとか・・」
四人で並んで座り、時間を忘れて見上げた続けた空は天然のプラネタリウムだった。
いつの間にか久美子と私は眠ってしまい、起こすのもかわいそうだと長沢と勝田も付き合って星空の下で眠ってくれたキャンプの夜だった。
気が付くと東の空が明るくなり始めていて、いたずらが見つかった妖精のように星たちは姿を消して行った。
朝食の味噌汁と卵焼きは眠い目をこすりながら作った。
不細工な卵焼きでもみんなで食べればご馳走だった。

私たちの母校のグランドは野球部とサッカー部が同時に練習できるほど広く、秋の体育祭は毎年盛況で在学生の家族はもとより、近隣校の生徒や我が校に進学を希望している中学生も多く詰めかけた。
一周四百メートルのトラックを使って走る選抜リレーは見応えがあった。
選抜リレーと並んで名物となっているのが応援合戦だ。
クラスの半数が応援団となり、競技中に応援をするのはもちろん、応援タイムがあり、これも得点競技のひとつとなっていた。
応援団全員が学ラン姿で登場するシーンは圧巻だ。
女子も学ランを着る。
女子は学ランを持っていないので誰かの学ランを借りる必要があった。

久美子は別のクラスの男子と付き合っていたので、彼から学ランを借りることにした。
私は誰に借りようかと困ってしまった。
長沢は背が高すぎたのでサイズ的に無理だと思った。勝田の学ランならどうにか合いそうだったが、勝田には一年後輩の彼女がいたのでなんとなく言い出せないでいた。

全体練習の日、初めて全員学ラン姿になることが決まっていたが、私は用意することができなくてジャージで参加しようと思っていた。
全体練習は放課後。
もうすぐ昼休みも終わり、掃除の時間が始まるという頃に勝田がやってきた。
「お前、学ランないんだろ。貸してやる。俺は先輩からもらったのがあるけん二枚持っとる」
と勝田が紙袋を手渡してきた。
「ありがと。でも気にせんで、大丈夫だけん」
「大丈夫じゃなそうだったけん、持ってきた。使え」勝田の気持ちはとても嬉しかった。
しかし迷った。
「余計なことは考えんでよか」
と勝田は紙袋を置いて教室を出て行ってしまった。
勝田はお見通しだったのだ。
私が言い出せないことも、長沢には借りられないことも。
「勝田くん、ありがと」
勝田の背中に向かってそう呟いた。

大人になって思い返してみるとなんでもないことが大事件で、何に対しても真剣で、楽しくて、何もかもが輝いて見えた、そんな高校の三年間だった。

そしてそこで育んだ友情は生涯の絆となってゆくのだった。

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