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引き裂かれた神話



クライシスの鐘とともにモニュメントは崩れ落ちた...

爪痕も露わに神話は鐘のなかに沈んでいた。まつろわぬ者たちの声を切り裂き、嘘の膠に少しの真実を混ぜて張り合わせた偽りの神話は、いま脆くも崩れ落ちた...その傷跡は鈍いひかりに満ちて、何かを語ろうとするかのように顕われていた。

幾千年にわたり信じられてきた神話は、少しの嘘を塗されて明暗のなかで語られてきた。人びとはそこに闇を視、そして光を観た… 何者かの意図とも知らずに...

崩れ落ちた姿に嘆きは空を覆い、嘘の欠片を握りしめながら人々は辺りを彷徨い歩くだけだった...人びとにとって大事だったのは、神話そのものではなく、剥がれ落ちた欠片だったのだ。

旅人はその夜… 不思議な夢を見た...小高い丘の上から広大に拡がる神話の大地を見ていた。そして旅人は神話の世界へと降りて行った。切り裂かれた傷跡に立った旅人は、色を失くした虚しき時間の只中で、声にならない呻きを聴いた...それは偽りの時間のなかに隠された無念の声を滲ませていた。その呻きは今… 旅人の体温を感じて声を取り戻しつつあった。

鈍いひかりを映す傷跡は、切り裂かれた時間の糸を弄るように震えている...鈍い傷跡は旅人の体温を感知して僅かに色を匂わせた...
やがて傷跡はその身を削るように時間の糸を紡ぎだしてゆく...糸は己が色を想い出すように呼吸しはじめ、互いに手を取り合いながら旅人を包んでいった。

色のない世界から記憶の黎明を聴くように… 糸はしだいに色味を帯びてゆき、旅人をつつむドームのように天蓋を創っていった。それはまるで忘れられていた歌のように広がり、それぞれの糸が奏でる天上の音楽を旅人に聴かせているかのようだった。それは美しくもあり… また悲しくもあり、それぞれの糸が秘められた時間を生きたい… と、失くした声で叫んでいるように旅人には感じられた。

糸の乱舞は… やがて頭上でひとつの指先となって旅人の眉間を指した...そのとき色は弾けて振動となり、旅人の頭を満たしていった...無数の糸の乱舞のなかで色彩はひとりの女神となって顕われていた。

糸が詠う… 時間が歌う...それは色のなかに滲ませた女神の声だった...引き裂かれた糸が乱舞のなかで結ばれてゆく...隠された神話を紡ぎながら織り上げられた絵巻物を… 旅人は見せられていた...

一本の糸に畳み込まれた次元によって彩られた絵巻物… それぞれの糸が対位法によって編まれた交響詩のように歌われる絵巻物...それはまさに神々の立体曼陀羅と呼ぶべき世界だった...

  ............

人びとは握りしめた欠片を手に互いに対立していた。だれも神話のことなど忘れて...
己が拠りどころとなった欠片を盾に、人びとは引き裂かれていた… 己が正義の為に...

打ち捨てられたモニュメントの前にひとりの若者が跪いていた...旅人は歩み寄った。若者は昨夜の夢が気になってここに来たという...旅人は知らされた… 若者も同じ夢を見ていたことを...彼らは導かれたのだ。

ふたりは人びとに夢の話をした。人びとは笑った… 世迷言だと...ふたりは、何処かに同じ夢を見た人がいるはずだ… というそこはかとない確信めいたものに満たされていたのだった。ふたりは気づいていた… クライシスの鐘の響きが変わったことを...

神話は語られるべきものではなく、歌われてゆくものだった...

ふたりは人びとのなかに歌を探して旅立って行った...
若者は南へ... 旅人は北へと...



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