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ルキアノスの冒険物語

 ルキアノスは紀元後2世紀の作家で、シリアのユーフラテス河畔の町、サモサタで生まれ、エッセイ、演説、手紙、対話篇、物語といったさまざまなスタイルの風刺的な散文作品を書いている。

 彼はギリシア式の教育を受けて修辞学を修め、最初は弁護士になり、後に教師として各地を旅した。そして中年になってからアテネに落ち着き、哲学を学んだ。

 彼の数ある作品の中には冒険の旅を描くものがある。

 『メニッポス』は冥界への旅の話だ。主人公メニッポスは、哲学者たちが互いに相反する意見をいかにももっともらしく主張し、そのうえ彼らの教えとはまるで正反対のことをしているのにうんざりし、予言者テイレシアスに人間がとるべき生き方について教わるため、冥界へ下る。
 
 『イカロメニッポス』では、やはり主人公メニッポスが、哲学者たちの宇宙についての見解がバラバラなのに困惑し、ならば直接行って見て来ようという気になり、翼を作って天に昇り、月やゼウス神と会う。

 だが、一番面白いのは『本当の話』だろう。『本当の話』という題名は、この話がすべて嘘であるという点で本当だという意味だ。なんとも人を喰っている。

 『本当の話』では、大西洋に漕ぎ出した主人公がさまざまな場所を訪れ、いろいろな経験をする。
 
 仲間が、上半身が女で下半身がブドウの木の化け物に囚われたり、船が天に巻き上げられて月の国に到達し、月の国と太陽の国の戦争に巻き込まれたり、大きな鯨に船ごと飲み込まれて鯨の体内で生活することを余儀なくされたり、偉業を成し遂げた者が死後に住むという幸福者の島で過去の偉人達と交流したり、さらには悪人や夢の住む島にも行く。

 このように、『メニッポス』、『イカロメニッポス』、『本当の話』は基本的に奇想天外な冒険物語であるが、これらの作品の面白さはその荒唐無稽さだけにあるのではない。ルキアノスの作品には、ギリシアの伝統的な神話や文学、哲学のパロディがみられる。

 『本当の話』には、アリストファネスの喜劇で天界と地上の間につくられた鳥の国が出てきたり、理想の国家や法律について論じた哲学者プラトンについて

プラトンだけはここに見えず、人のうわさでは自分のこしらえた国に住まいこんで、自分が起草した国制や法律をしきりとやっているそうであった。

『本当の話 ルキアノス短編集』呉茂一他訳 ちくま文庫

と書かれていたり、夢の門はホメロスが言うように二つではなく四つあると言われていたりする。

ところでその入口の門は、ホメロスが述べているように二つではなくて、四つもあり、その二つは「茫漠」という平原のほうにむかって立ち、一つは鉄の門いま一つは陶土の門になっており、それらの門からは怖い夢、血なまぐさい夢、無情な夢どもが旅立ってゆくということであった。また他の二つは港や海のほうに向いて、その一つは角で出来ておりこれがわれわれの通って来た門で、もう一つは象牙の門であった。

『本当の話 ルキアノス短編集』呉茂一他訳 ちくま文庫 

 そもそも『本当の話』自体がホメロスの『オデュッセイア』やクテシアスの『インディカ』のような過去の冒険物語のパロディであると言われている。

 また『メニッポス』では冒頭に、エウリピデスの悲劇やホメロスの叙事詩のセリフで話しかけるメニッポスに友人が

おい、気が変なんだな。でなきゃ、そんな具合に友達に文語体で朗唱するなんてことはやらないぜ。                

『本当の話 ルキアノス短編集』呉茂一他訳 ちくま文庫

と言う、とても面白い場面がある。

 ルキアノスはシリア生まれながら、ギリシアの教養をしっかりと身に着けていた。だから彼の作品を楽しむには、読み手にもそれなりの古代ギリシア文学の知識が求められるのだ。

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