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「カッサンドルへのオード」
美しいピンク色のバラの名前にもなっているピエール・ド・ロンサールは、フランスルネサンス期最大の詩人で、フランス近代抒情詩の父と讃えられている。
彼はまた、当時一世を風靡したプレイヤード派と呼ばれる詩人たちのグループの代表的存在でもあった。プレイヤード派は、古代ギリシア・ローマの文学に学び、フランス語でそれらに負けない立派な作品を創り出すことを目指した。
ロンサールは、ホラティウスの『詩論』をフランス語に訳したジャック・ペルティエ・ル・マンや、古代ギリシア詩に精通していたジャン・ドラから古典文学を学び、ピンダロスやアナクレオン、ホラティウスといった古代ギリシア・ローマの詩人たちやイタリアのペトラルカの影響を受けた詩を書いた。
なかでも『恋歌集』第2版に収められている「カッサンドルへのオード」には、ホラティウスの『歌集』第1巻第11歌のcarpe diem(その日を摘め)のテーマが見られる。このテーマは、人生は短くはかないので今この時を楽しもうというものだ。
恋人よ、行って見よう、あの薔薇が、
今朝、陽を受けて
紅の衣を解いた、あの花が、
その紅の衣のひだも、
君に似た色艶も、この夕べ
少しでも失くしてはいないか、どうか。
ああ!ごらん、こんなにも短いうちに、
恋人よ、薔薇はその美しい花を
ああ!地に散らしてしまっている!
おお なんと無情な「自然」。
こうも美しい花の命でさえも
朝から夕方までだなどとは!
それだから、恋人よ、もし私を
信じてくれるのならば、こよなくみずみずしく
咲きほこるその年齢のあいだに、
摘め、摘むがよい、君の若さを。
この花と同じように、やがて老いが
君の美しさを、褪せさせてしまうのだから。
ロンサールは歌う。バラの花はあっという間に散ってしまった。こんなにも美しいバラの花もその生命はとても短い。そのようにあなたの若さもすぐに失われるだろう。だからあなたの若さを摘みなさい。
ロンサールは、あっという間に失われる若さを美しいバラのはかない命に例えている。一方、ホラティウスは人生のはかなさを歌った。
また、ホラティウスが摘めと言ったのはその日、つまり今この時であるが、ロンサールの詩では若さになっている。すなわちロンサールは人生の短さではなく、人生のうちの若く美しい時期の短さを嘆いているのだ。
たしかに健康で美しい若い時期は尊く、誰もが望むものだ。だからゲーテの『ファウスト』の主人公ファウスト博士は、失われた若さと青春を取り戻すために、悪魔メフィストフェレスと契約した。
でも若さが失われたら不幸でしかないのだろうか、生きる価値がなくなってしまうのだろうか。ローマ時代のキケロは、老年には若者にはない老年ならではの良さがあると言っている。わたしたちは本当に、「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」と言った小野小町のように老いた身をただ嘆くしかないのだろうか。
また、理知的で抑制の効いた美しさが持ち味のホラティウスに対し、ロンサールはほとばしる感情のままに表現しているような印象を受ける。美しいバラの例えは魅力的だが、テーマにおいても詩の技量においても、やはりもとのホラティウスの詩のほうが優れているように思われる。
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