古代ギリシア・ローマ人の死生観1
死すべき肉体と不滅の魂
一般的に古代ギリシア・ローマの人々は、人間は、死によっていつか滅びるさだめの肉体(ソーマ/コルプス)と、永遠に滅びることのない魂(プシュケー/アニマ)の二つの部分からなっていると考えていた。(魂の不滅を否定したエピクロス派のような例外はあるが)
彼らにとって死とは、肉体が滅んで魂がそこから去っていくことであった。詩人ホメロスは『イリアス』、『オデュッセイア』において、これを詩的に表現している。
なお、魂の不死については、哲学者プラトンが『パイドン』や『パイドロス』において証明を試みている。
『パイドロス』によると、自分で自分を動かすものは不死であり、それこそが魂本来のありかたであるため、魂は不死であるという。
『パイドン』では、魂の不死についてさまざまな視点からより詳細な検討がなされ、最終的にイデア論による証明がなされている。
また『パイドロス』では魂の本来の姿が、翼をもった一組の馬と、その馬たちの手綱をとる、翼をもった御者にたとえられている。
さらに、紀元前5世紀頃には輪廻転生の観念が現れた。これもまた、古代ギリシア・ローマ人の死生観において特徴的なものだ。
これは魂の不滅と密接に結びついている観念で、死後、魂が他の人間や動物の肉体に入り、何度も生まれ変わるというものだ。ピュタゴラス派の哲学やオルフェウス教に由来するとされている。
死すべき肉体と不滅の魂、なんとなくイメージがつかめただろうか。
冥界
人間に死が訪れたとき、その人の魂が肉体を離れるというのなら、その後、肉体を離れた魂はどこへ行くのだろうか。
先ほどの『イリアス』の引用にもあったように、古代ギリシア・ローマ人は、死後、肉体を離れた魂は地下にある冥界へ行くと考えた。
冥界は古典ギリシア語ではハデスまたはアイデスというが、これはもともとは冥界の神を指す言葉であり、のちに冥界そのものを指すようになったといわれている。また冥界の神はプルトン(富を与える者)という別名をもち、ラテン語ではプルートまたはディースという。
冥界の神ハデスはクロノスとレアの子供たちの一人で、兄弟にゼウスとポセイドンがいる。
アポロドロスによると、彼らはティタン神族を征服した後、くじ引きで支配領域を決め、その結果、ハデスは冥界を支配することになったという。そんなわけで彼は、地上から連れ去ってきた妻、女神デメテルの娘ペルセフォネとともに冥界を治めている。
冥界の住人では彼ら以外にも、冥界を流れる河の渡し守カロンや、三つの頭をもつ獰猛な番犬ケルベロスも有名だ。
冥界には、タナトスという死の神も住んでいる。タナトスとは本来古典ギリシア語で死を意味する普通名詞だ。タナトス同様、眠りの神ヒュプノスや夢の神オネイロスなど、ギリシア神話には一般的な概念が神格化されて生まれた神が多数存在する。
タナトスは、ハデスが冥界の支配者であるのに対し、死んだ人間の魂を冥界に連れて行く、いわゆる死神である。エウリピデスの『アルケスティス』によると、彼は翼をもち、黒衣をまとい、剣を手にしているという。
さてこの冥界であるが、ギリシア人は西の果てにあると考えていた。ホメロスでは、冥界の入口は世界を取り巻く大河、オケアノスの向こう岸の森の中にある。
また、アポロドロスやウェルギリウスは、冥界の入口はラコニアのタイナロン岬のあたりにあるとしている。
ウェルギリウスの『アエネイス』では、冥界に入るには黄金の枝を冥王の妃に捧げなければならないという。イギリスの画家ターナーはこの挿話をもとに、1834年、絵画『金枝』The Golden Boughを制作した。
冥界では、死者たちが、ぼんやりとして生気のない、影やまぼろしのような実体のない存在となって暮らしている。
冥界や冥界に暮らす死者たちの様子は、冥界下りの物語として知られるホメロスの『オデュッセイア』第11巻、ウェルギリウスの『アエネイス』第6巻においてくわしく描かれている。興味のある方は読んでみると良いだろう。
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