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キケロ「スキピオの夢」と中世のdream vision

 語り手が、自身が見た夢や幻想について語るという形式をとる物語をdream visionという。
 
 西洋中世の詩人たちに好まれ、ギヨーム・ド・ロリス/ジャン・ド・マンの『薔薇物語』、チョーサーの夢物語詩、ラングランドの『農夫ピアズ』、ダンテの『神曲』などが代表的な作品とされる。

 そして、このようなdream visionの先駆的存在が、古代ローマの文人政治家キケロの『国家について』の末尾に置かれた物語「スキピオの夢」である。

 『国家について』は古代ギリシアの哲学者プラトンの『国家』を模した大作だが、現代にはその一部しか伝わっていない。  

 『国家について』のテクストは、「スキピオの夢」を除いて、1819年にヴァティカン図書館長アンジェロ・マイによってアウグスティヌス『「詩篇」注解』のパリンプセスト(再利用写本)に断片が発見されるまで、わずかに後代の作家による引用が知られるのみであった。

 それに対し「スキピオの夢」のテクストは、古代末期の新プラトン主義哲学者マクロビウスの『「スキピオの夢」注解』の中に保存されて伝えられたため、中世やルネサンス期にも知られていた。

 『薔薇物語』やチョーサーの夢物語詩(『公爵夫人の書』、『名声の館』、『鳥の議会』)には、マクロビウスや「スキピオの夢」についての言及があり、作者たちがマクロビウスの注釈書を通じて「スキピオの夢」を知っていたことが分かる。

 しかしながらこれらの作品は、語り手が、自身が見た夢を語るというdream visionの形式を「スキピオの夢」と共有しているものの、物語の中身は「スキピオの夢」とあまり似ていない。

 「スキピオの夢」は、スキピオが見た天界旅行の夢を通じて、祖国に尽くした者が天界で至福に満ちた永遠の生を生きることを予言し、この宇宙の真なる姿を提示して、正しい生き方を勧める物語であるが、『薔薇物語』や『公爵夫人の書』、『鳥の議会』は愛の物語である。

 一方、ダンテの『神曲』はdream visionの代表的作品とされているが、じつは作品中で、この物語が夢の中の出来事であるとは明確に言われていない。そのうえ「スキピオの夢」に関する言及もない。
 
 しかし、物語のテーマはよく似ている。『神曲』は、地獄や天国への旅を通じて人間の死後に起こることを示し、良い生き方を勧める物語である。

 クルツィウスは「ダンテの天界旅行もキケロの作品にその手本があった」とする。ダンテは中世の作家たちの中でもとくに古典文学に通暁していた人物である。当時広く読まれたマクロビウスの『「スキピオの夢」注解』を知らなかったとは考えにくい。おそらくダンテも「スキピオの夢」の影響を受けたのではないだろうか。

 今回とりあげた中世のdream visionは、個々の作品によって影響の受け方に違いはあるものの、おおむね「スキピオの夢」からインスピレーションを受けて書かれたといえるだろう。
 
 しかし同時にこれらの作品は、愛の物語やキリスト教的彼岸の物語であり、中世的なものでもある。中世の作家たちは古典を受容するだけでなく、そこに自らが生きた時代の空気を取り入れて新しい文学を作り出したのだ。

 



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