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因果関係は実在しない、と考える理由

時間論に伴って生じる厄介な問題の一つに、因果関係というものがある。
「もしタイムトラベルで過去に戻って両親を殺したら、どうなる?」などという問題である。
つまり、因果関係が存在するという理由によって、我々は時間が直線状をなすという信念を受け入れる。
しかし、ここで疑ってみたい。因果関係は本当に存在するのか?

私の現在の考えでは、因果関係は存在するが、実在はしない。
我々の意識が見る幻惑の一種としてであり、本質的な実在ではない。

前提として、「我々は蠢く砂の中に「意識移入」しているに過ぎない」という前提から話を始めたい。

蠢く砂が描く無作為なパターンを眺めながら、そこに意味を見出す惰性的習慣の網の目にからめとられているのが我々の意識である。ここで「感情移入」ではなく、「意識移入」という言葉を使ってことに注意してほしい。感情移入というのは語弊を招く、なぜならその感情や思考そのものが、蠢く砂の一部を構成する物質だからである。我々が通常、「自分」だと思っているものは感情や思考そのものであり、その蠢く砂に没入している存在としての意識の視点からは、時間も因果関係も存在するように思える。

しかし、その没入から覚めるとき、私たちの前に時間も因果関係も存在しない。

この観点においては、私がここにいるのは、私の両親が結ばれたからではない。それら二つの事実は、本質的に全く関係を持たない。よって、もし私がタイムトラベルをしたせいで両親が亡くなったとしても、私はそこに存在し続けるだろう。なぜなら「私の両親が結ばれた」という事実と、「私が生まれた」という事実、そしてそれらがなすように見える因果関係は、極端に言ってしまえば意識の側の「思い込み」であるからだ。(※1)しかしその思い込みは、通常の思い込みとは違い、あまりにも複雑な体系に絡め取られた形での思い込み(以降これを指して「模様」と呼ぶ)であるが故に、独我論的な非現実性を帯びない歴としたリアリティの姿をとって我々の前に浮かび上がる。(※2)

しかしここで、私たちは物理法則を思い出す。「物理法則において、因果関係は成立するのではないか? 物理法則すらも、人間の意識の側の思い込みだと言い切れるのか?」と問う。

ここで私の考えでは、先ほどとは矛盾するようだが、物理法則における因果関係は実在し、それは数式によって記述できる。しかしそれは人間的な意味での因果関係ではなく、「一切の意味を剥ぎ取られた、時間を持たない場所」における非情な運動にすぎない。

素粒子Aと素粒子Bが衝突したことと、ティーンエイジャー時代の父親と母親が曲がり角でばったりぶつかったことは全く関係しない。素粒子Aと素粒子Bが衝突した事実は、実在としての因果関係を形成するが、その上に見出された「模様」としての人間的諸事実はまったくの因果関係を持たない偶然の産物である。しかしそれらは、あまりにも緻密な模様を形成するため、私たちの意識を時間と空間という幻影に誘惑するに足る構造を備える。

私たちが時間と聞いて通常イメージするものは、人間的諸事実の因果関係を支える基盤としての時間である。そして、その印象を、素粒子的意味での時間にも押し付ける。つまり我々は素粒子の時間を擬人化するという誤謬を犯しているのだ。素粒子の砂が蠢くその現場において、蠢いているというまさにその事実を根拠に、そこに時間が存在すると言えるだろうか?

言い換えるならば、あなたは壊れたブラウン管テレビの上に表示されるノイズを眺める時、そこに時間の存在を見出すだろうか?
それはむしろ、「時間」というより、「要素の集まり」にすぎない、という印象を抱くに違いない。
一切の意味を剥ぎ取られた場所において、時間は存在しない。

時間を「+1次元」としている意味において、物理学における「動く」ということについての本質的考察が足りないように思う。実在の観点においては、何も動いてはいない。あえて言えば、「蠢いている」という言葉の方がふさわしい。時間は「+1」する次元としての性質を帯びるものではなく、ある空間において蠢く素粒子がとりうる微分構造、及びそれを通して我々が感じる物理経験の形式である。我々が思い描く「時間」は、極度に「擬人化」されている。時間という偶像にまとわりついた「意味」というヴェールを剥がした時、因果関係の鎖が外れ、本当の意味で自由な思考が可能になる。

※1:ここにおいて、意識の不滅性が前提とされているという事実は確認しておきたい。もし私の意識が、私の両親の肉体的結合によって生まれるのであれば、話は別だ。そうなれば、存在論的前提を疑う必要がある。この観点が、話を難しくする根本原因である。しかし私の意識は、両親が結ばれるはるか昔から存在しているとすれば、ほとんどの問題は消え去るだろう。

※2:この辺りの感覚については、ヒュームの「人性論」を読むとよりクリアーに見えてくるはずだ。

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