毒漬けの夢ひとつ

 泣いても許される気がする。誰に許されるのかはわからないけど。
 数年前私を盛大に振った人間が隣で笑っているので、これは夢だとわかる。以前なら飛び上がるほど喜び、一生目が覚めなければいいと思い、目が覚めた途端もう一度同じ夢を見たいと願っただろう。今は駄目だ、タイミングが良くない。
「久しぶり」
 ベンチに並んで座っている彼は、いつぶりだろうねと何だか楽しそうにしている。直前まで、中華街みたいなところで友人と見知らぬバンドの路上ライブを見ていたはずなのに、場面が変わった時には神戸の北野のような西洋風の建物が立ち並ぶ住宅街に来ていた。友人が消えて代わりにこの人が現れたのは私の潜在意識からなのか、だとしたら余計な仕事をする意識だ。
 久しぶり、に応えず頭の中でぐるぐると考える。その言葉が出てくるってことはしばらく会ってないってことだ。中学を卒業してから三日前に駅で再会するまで、およそ四年間私たちに交流はなかった。だから多分この夢の彼は三日以上前の彼だ。
 四年って結構長い。彼が髪を染めていることにもあの頃より随分背が伸びていることにも驚いたし、彼も化粧をしている私に変わったねと言った。向こうから声をかけてきたことには驚いたけれど、それ以上に嬉しかったのを覚えている。
 良かったのはそこまで。調子に乗った私が昔みたいに仲良くしようと連絡先を聞いた時の彼の顔と言葉が忘れられない。「鬱陶しい」って、なんて残酷な言葉だ。
「中学の時は一回だっけ、同じクラスになったの」
 三日前とは全然違う、柔らかな声で彼は話している。頷くと、そうだったよなあ、小学校の時はあんなにかぶってたのにと懐かしむように言った。
「私さあ、もっと同じクラスになりたかったよ」
 余計なことばかり考える頭を置いて、夢心地の私は勝手に話し出す。
 一回振られているから、気持ちは知られているから、何だか今の私は無敵モードみたいで。席替えして隣の席になりたかったとか、いや前後は前後でアリなんだけどとか、体育大会で一緒に盛り上がりたかったとか、そういうイベントごとの時にあわよくば一緒に写真撮ってもらいたかったとか、そういうことを次々と本人に向かってぶちまけた。彼は最初戸惑っていたけど、次第に耳から赤くなり「わかった、わかったから」と顔を背けて、その様子が可愛くて仕方なかった。
 可愛い、は末期症状なんだって誰かが言っていた。相手が何をしてもそれで済ませてしまえるからもう嫌いになる余地が無いとか。そんな内容のツイートが流れてきたら何回だっていいね押しちゃうくらい同意する。だって私、きっとこの人を嫌いになることなんてないと思う。
「田宮が俺に告白してきたのっていつだった?」
「最初は二年だったかな」
「ああ、そっか、二回あったな」
 指折り数えながら、次は三年の冬だったと彼は続ける。覚えてくれていることが少し嬉しい。実際の彼はどうなのか知らないけど。
「受験生の大事な時期にさ、ごめんね、あれはちょっと駄目だったって今は反省してる」
 本人に言いたかった言葉を、ゆっくり、できるだけ丁寧に言う。きょとんとした後、彼は少し得意げな顔をして、
「気にしてない。それに俺は動揺して落ちたりしないし、知ってるでしょ? 勝負強いんだって」
「そうだった」
 当然のように合格や勝利を掴み取る人だった。

 さて、と彼は立ち上がり両手を上げて伸びをした。座ったままでいる私にほら行くよと声をかけ、さっさと歩いていってしまう。慌てて追いかけようとした時、耳の奥の方でシジュウカラに似た鳴き声が聞こえた気がして、そろそろ終わるのかなと思った。
「どこ行くの」
「この辺懐かしくない?」
 言われて周りを見て、ここがエセ北野じゃなくなっていることに気が付いた。住宅街に変わりはないけれど、見覚えのある家が並ぶここは私や彼の実家がある辺りだ。ガタガタで苔むした煉瓦の通りを歩いている。下校時に、ある種類の煉瓦以外歩いちゃいけないと遊んだことを思い出す。
「二回目の時にさ、自分が言ったこと覚えてる?」
 この人は、少しずつ核心に迫るような喋り方をする。記憶を探ってみるけど、傷つかないように奥にしまい込んだのかなかなか出てこなかった。黙ったままの私を気にすることもしないで彼は一人で喋り続ける。
「さっきはあんなこと言ったけど、正直あの時期はあんまり余裕なくて。きついこと言った気がする。ごめん」
 その三文字がどれだけ私を惨めにさせるかなんてわからないんだろうな。謝らないでと言おうとした時、突然、前を歩いていた彼が戻ってきてパコンと私の頭を叩いた。何が起こったのか一瞬では理解できなくて、混乱したまま「意味わかんない」と抗議すると、
「それでも好きって言った」
 予想外の言葉に思わず固まってしまう。私の肩を掴んで揺さぶるようにして、
「もうきもいとか関わんなとか散々言った後に、そんな風に言われても暴力的でも別にいいって」
「私が言ったの? あの時?」
 聞きながら、言ってそうだと思っていた。盲目的にこの人を好いていたあの頃の私なら。
「言った」
 言ったよ、と彼は繰り返した。やけに寂しそうな目がこちらを見ていた。
「だから、田宮だけは受け入れてくれるってずっと思ってた」
 そこでようやく、これは悪夢なんだと気付く。
好きな人が夢に出てきたら嬉しいでしょうなんてどこか押し付けがましい。気に入るように心を和らげるように、砂糖をまぶしクリームで覆って甘くされた、たちの悪い悪夢だ。


 目覚めてからは、しばらく動けなかった。あの人と話していた空気はあんなにも本物じみていたのに、目の前にも隣にもいなくて私はベッドに横たわっていてここはあの煉瓦通りではなくて、わかっていたけれど、夢だったということを嫌というほど突きつけられた。
 だから泣けてくる。四年越しに二つ目の「鬱陶しい」を授けられた私が今更彼に好かれるなんてことは期待していないのだから、こんな夢は要らなかった。今の私にとってあの人は毒でしかない。この夢もそう。甘くはない、決して。
 それでも、やっと動けるようになると真っ直ぐ机に向かってしまった。こんなもの不要だったと泣きながら、けれど、目を瞑り場面の一つ一つを思い出しつつメモに書き殴る矛盾した行為をやめることができなかった。
 どんな話をしたんだっけ、どんな顔をしていたっけ、そういえば笑顔も見せてくれたような気がする。メモの字が滲む。そうだよ、現実では向けられない顔だ。
 自分で自分の傷をいじくっている。毒がひどく効いているのを感じる。これが恋慕なのかももうわからないくらいで、ただ禁断症状みたく囚われているのは確かだった。


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