ぼくらは「子役」のように

あなたの好きなこと、こんなことをやってみた、このお店がオススメ!今でも忘れられない思い出話。

誰もが経験しうる社会人になってはじめて絵を描くような生活の一部を日記に記してハートを稼ぐ人たちで飢えている。

未成年から20代(フリーターで働くまで)は軟禁生活。重度のうつと診断されてから数年間、引越先の生活のルーティングが軌道に乗り始めたところで毒親はまだ私のことを監禁させようとしている。

全くのところ、出かける隙もなく。あの世かしでのたび  か 夢か、植物状態か、永眠か

くらいしか出かけることが思い付かない。
親と離れていれば少しは自分の時間が作れるはずだった。しかし毒親は発達障害(私の見立てではASD積極奇異型もしくは尊大型の中間)で俗に言うカサンドラ症候群に私自身曝されている。

最近、自分のやりたいことを我慢して過ごしている気がする。いや、「やりたいこと」より感情を殺している気がする。「これをやりたい」手前より先に毒親の自己中に振り回され決定権を奪われ続けた代償なんだろう。

本当にやりたいことはないのかと言えば
親より先に死んでからやりたいことをやるといえばいいか

その場所にいけば

自由に自分を表現できるし
好きだった趣味にも力を費やせる。
誰かに指図されることなく自分の感覚と向き合える。
行きたいところだってあの世ならどこへでも行ける。
自分の重い体じゃ行くことの出来ない。
画面の向こうの街並みや風景。
行ってみたかった場所。

それらは全部、






毒親の都合で捨てなければならなかった
哀しい希望たち。

現実は毒親の石に潰され私の感情を蓋に抑えたがる。

四国の旅行行きましたね
私は楽しくなかった
なぜなら毒親が頼んできたプランを私に
丸投げしておいて捨てて自分の都合で
結局プランを立てたから

海水浴行きましたね。
でも楽しくありません。
なぜなら、荷物の番をするのは私ばかりで孫と遊びに行きたいからって海の方へと向かいに行くから

遠出の旅行もありましたね。
私は楽しめません。
無理やり連れていかされライトアップを見たいがためにいとこや姪を巻き込んで遊園地に連れていったこと。急発進急ブレーキの運転で姪が車酔いしたこと。

そのドライブの最中で助手席に座るいとこと仕事の会話が楽しいと言った毒親は

私と姪を連れていく理由が意味不明で結局、いとことの思い出作りに仕立てあげられただけでした。

私の寿命が分かればいいのですがわからないので寿命を短くする方法しか考えられないけれど

成人しても社会人になっても毒親は変わらない。そしていつまでも死んでから後の夢ばかり私の頭から離れることはない。

母の日も父の日もクソくらえ

そんなものただの祝日だ

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