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#115中国人あるある「他人はこうあるべきだ」

『花儿与少年第二季(Divas hit the road Season Ⅱ)』を見て感じた、中国人の特徴を一つご紹介します。この番組自体の紹介は8月初旬から中旬になるので、今しばらくお待ちください。

中国は「人間はこうあるべきだ」という社会通念がまかり通る社会です。「尊敬されるべき人間」や「立派な人間」というのに対して、暗黙の了解で共通したモデルが存在しているようです。『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』を読んでも、これに関係する事柄が記載されています。よって、人は他人の期待通りに行動することを要求されることになります。

大枠:人間はこうあるべきだ
↓(他人からの期待)
中枠:男はこうあるべきだ/女はこうあるべきだ
↓(他人からの期待)
小枠:あなたはこうあるべきだ
↓(他人からの期待)
個人レベル:私と接するときに、あなたはこうあるべきだ

こう考えると、極端に言えば、「他人は自分の期待通りに動いてくれる」という認識があるようです。ということは、他人に自分の期待が裏切られると失望することになります。自分の思い通りにいかないと、イライラしてしまいます。挙句の果てに、「それは私が知っている○○さんではない」と言うこともあります。

中国人にとって他人への期待とは、他人が自分に有利な状況を作り出してくれることのようです。その状況の前提とは、褒めてくれること、賞賛してくれることです。つまり、他人が自分に承認欲求を満たしてくれることを指します。よくあることですが、中国人が外国人に「あなたは客観的に発言しているね」「あなたの意見は中立的な立場だね」と言う場合、高確率で中国寄りの意見、中国を褒めている発言です。中国を褒めていないものは、主観的な意見とみなされます。その中国寄りから離れた意見は絶対に聞こうとしません。

これは私自身はもう身をもって体験しました。2021年に上海外国語大学のオンライン留学に参加しました。私は先生に、実験的に褒める意見を言ったり、否定的な意見を言ったりしました。するとわかったことは、褒めたら客観的、否定したら主観的ということでした。面白いことに、それをもとにバラエティー番組を見ると、この法則が見事にあてはまるのです。

そもそも「他人はこうあるべきだ」という期待は、上から目線でおこがましい行為だと思います。「他人はこう振る舞うべきだ」「私に対してこうしてほしい」という理想を自分勝手に押しつけているのですから。最悪なのは、自分の思い通りに物事が進まず、イライラすることです。最終的には、自分の理想が叶わなくて失望される運命になるのです。

まるで中高生の部活に似ている気がします。下級生は奴隷のような扱いを受け、グラウンド整備やボール磨きを永遠とさせられるみたいな感じです。逆に上級生は下級生をこき使いまくります。自分たちが下級生のときに上級生に受けた扱いを、そっくりそのままやり返そうとするのです。それに歯向かう下級生がいたり指示に従おうとしない者がいたりするのならば、「俺らもこの道を通ってきたんだんだからお前らがやらないのはおかしい」と言い放つさまです。こういう人たちはおそらく自分が苦労してきたことを否定された気がするのでしょう。これまでの苦しかった経験をバカにされた気分になってしまうのかもしれません。

よく考えると、「それは私が知っている○○さんではない」というのは、「他人はこうあるべきだ」の典型例です。というのも、私のよき理解者である○○さんは私に対してこう振る舞うべきだ、と言っているようなものですから。言い換えれば、そのように振る舞わない○○さんは、私の知っている○○さんではない。つまり、自分に不利な状況が発生してしまったことになってしまいます。こうなると、自分の思い通りにいかないイライラが溜まってしまいます。

もしそうなったら解決策は簡単です。「他人はこう振る舞うべきだ」に出会ったら、話半分に聞くだけです。相手はただただ自己主張をしたい、外に向けて何かを発信したいと思っているだけなので、言いたいことは言わせておけばいいのです。自尊心を傷つけなければいいだけの話です。否定をせずに共感だけはしておくのです。

というわけで今回は、中国人あるある「他人はこうあるべきだ」について記事にしました。みなさまからテーマのリクエストをお待ちしておりますので、ぜひコメント欄にご記入ください。よろしくお願いします!

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