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Gutsヒロの困難を挑み、成長へ。障害を越えたパティシエの物語

こんにちは、Gutsヒロです。私のブログに来ていただきましてありがとうございます!この記事を見た方には興味を持って頂ければ幸いです。
いつものスイーツ・ストーリーから離れて「夢への情熱」「学びと成長の旅」「障害を克服する力」について語りたいと思います。


語ると言っても私は専門家であったりや凄いアドバイスができるような人間ではありません。もしかしたら期待を裏切るかもしれませんがご了承ください。

ただ、実体験を元に私が山あり谷ありの人生を辿ってどう生きていたのか。なぜ生きているのか、そして障害を持ちながらも健常者に負けない技術を持ったパティシエになれたかという話をしたいと思います。


①.学びと成長:夢を追い求めた私の旅

私は、20代の時に5ヶ所の店を転々して働いていました。どこでも弱い者イジメみたいなことはよくありました。
「お前は学校(調理師専門学校)行ってないからなぁ。」
と言われたところでは、18歳の調理師専門学校に通っている有望な子に、私がやっとの思いで勝ち取った料理のポジションを盗られ、それからずっと接客に回されることがありました。それでも不貞腐れることなく接客を半年間続けました。

「お前の年齢で料理を続けるには遅すぎる」
と言われたところでは、夢も希望もない酷い言葉や扱いを散々受けました。期待もチャンスもない扱いで雑用と洗い物だけを1年間続けたことがありました。

そして、技術向上のために通っていた洋菓子作り教室の先生から一緒にお店をやろうとスカウトされて就職したのは良かったのですが、就職してすぐに

「お菓子の作り方教えるから25万円払って」

25万円も払えるわけもなく、払いたくても払えず、就職して4日で退職を余儀なくされ、行き場なくして無職になったこともありました。

チャンスはピンチと言いますがまさしくそんな人生でした。しかし、ピンチはチャンスとも言います。精神的苦痛はありましたが、いつの時でも夢の情熱は諦めずに燃やし続けました。人生は私にさまざまな試練をもたらしますが、それらの試練こそが私を成長させ、夢に近づけるチャンスとなります。私は辛い経験があったからこそチャンスの時に持っている以上の力を引き出せたのだと思います。

よく、シェフから急に出来ないことをやらされて断ってもやらされて失敗すると
「できないならやるんじゃねぇ!」
と言われ理不尽なこともありました。そして何か言えば、
「言い訳するな!結果が全てだ!」
と厳しい言葉も受けました。私はどうしたら仕事がうまくできるか考えました。すごく考えました。しかし、失敗は誰にも訪れます。そして私が行き着いたのは、

「失敗こそが成功への階段」

だったのです。私は学びの過程で何度も失敗しました。しかし、失敗こそが私にとって最大の教師でした。失敗を恐れずに勇気を持ってやることが次に活かす成功への階段なのです。勇気を鍛えて人間力を育てましょう。

そして、「天は見てる」と言われているように自分に嘘を付かず正しい行動をすれば、見てる人は見てくれているのです。その場では成功することはなくても、真摯な行動をしていれば必ずチャンスは訪れます。すぐには結果は出なくても焦らずに正しい行動を続けていきましょう(^^)



②.障害から生まれる力:困難を逆手に取る

私は過去に色々な精神科や心療内科の病院に通う障害者でした。しかし、仕事がうまくいかないと適応障害と言われたり、パニック障害を起こすこともありました。
診察を受ければ広汎性発達障害やADHDと言われたり挙句には統合失調症と言われ今に至ります。今ではインターネットや書本も出たり、当事者の交流から情報も沢山ある時代ですが、当時の私は主治医の先生に言われるがまま薬を飲んで思考が鈍くなったり体調を崩すことがあったり、仕事からデイケアにチェンジして仕事をしたくても出来ない時期もありました。それらが悪いかというとそうではなく人それぞれの人生があって私はそういった道を歩んで今に至ります。過去も大事だし、将来も大事、でも現在の自分に選択が迫られた時にどのように納得するかだと思います。私はこれらの障害がもたらしたものは、想像外の力と成長でした。このメッセージは障害を抱える全ての人々に向けたものです。

・障害を克服し成長する
私の障害は、最初は押し潰すようなものでした。ある時には自殺行為をしてたまたま生き残ったこともあります(ただ脳に少しダメージを受けてしまってます)。しかし、それが逆に私に力を与えました。障害を克服するべく、自分の弱点を知り、それに対処する方法を見つけることで、私は成長しました。障害が私に新たな視点と強さをもたらしたのです。

障害を持つことは、人生の中でさまざまなことを学ぶ機会でもありました。自己啓発、ストレス管理、他者との共感など、私は障害を通じて多くの価値あるレッスンを受けました。困難な状況こそが、私たちに新たな知識と洞察をもたらすことができることを示したいと思います。

障害を抱えると、時には絶望的に感じることもありますが、希望が私たちを前進させる力となります。私の経験は、どんな状況でも希望を持ち、前向きに行動することが障害を克服し、成長するための鍵であることを示しました。

障害は私たちの人生に挑戦をもたらすものであり、その挑戦を逆手に取ることで、私たちは成長し、強くなります。障害を抱えることは、私たちに困難に立ち向かう力を与え、新たな可能性を開くことを示します。どんな困難も乗り越え、自分自身を誇りに思い、前向きに生きることができることができます。


③夢への情熱:当たり前を積み重ねて特別に

洋菓子業界の有名なパティシエが言うように、「当たり前が一番難しい。当たり前を積み重ねると特別になる。」この言葉に触れたのは「プロフェッショナル・仕事の流儀」のDVDを見た時です。最初は技術的なことばかり考えていました。しかし、気づいたことは私にとって当たり前とは挑戦する姿勢を崩さないこと、そして失敗した時に謝ることだったのです。知ってるだけと出来ることは全く別物です。失敗を恐れず挑戦することが道を開く鍵だったのです。

挑戦は怖いものです。未知の領域に踏み込むことは自信持ってできると言うことではありません。でも私は小さなことから始め着実に成長しました。そして、失敗した時は「すみません!」や「ごめんなさい!」と言うことが怖がらずに受け入れました。それこそが、当たり前を積み重ねて特別になる第一歩だと教えてくれました。

それは同時に自分の成長のチャンスでもあります。私は挑戦を通じて、自分の限界を超え、夢への情熱を追求しました。夢への情熱は小さな一歩から始まります。挑戦し、謙虚に学び、自分のチャンスを見つけてください。そして、いつかは当たり前が特別に変わる瞬間が訪れるでしょう。


④.メッセージ:「夢への始まり」


調理師専門学校で首席で卒業し、ホワイト企業で私の障害を理解し、一生守って雇う、ということで障害者枠雇用の一般就労で就職した私。しかし、ホワイト企業とは全くの嘘でした。無給の残業、レシピの搾取、障害の配慮が全くなく、困った挙句に病院スタッフと共に会社に改善を求めたところ「うちは福祉事業じゃないんだよ!」と言われました。それからお菓子作りから裏作業をすることになりました。コロナ禍になり対策で人員が減らされ私は4人でやる仕事を1人でやることになり半年以上続けました。改善を求めても改善されませんでした。そして、その仕事がストレスによるものと思われる難病の潰瘍性大腸炎になってしまい、治療を受けても改善せず、退職することになりました。退職する時には退職する条件として、私のプライベートで作ったレシピすらも「データの全て置いていけ」と言われ全てのデータを置いていきました。
そして、私は自分を守るために新しい職場を探す旅に出ます。

私は、それらを「人生の挑戦」だと思いました。障害も夢も、そして社会に対しても私が諦めない限り「負け」ではありません。何度でも立ちがり、私は理想とする人生を歩むために少しずつその理想が実現していることを実感しています。そして、「過去」の事を「現在」で準備をして、「将来」に必ず挽回したいと思っています。夢は諦めない限り、実現する可能性を続けることができます。自分を誇りに思い、夢を実現しましょう、そして共に歩みましょう。

Gutsヒロ

メロンのムースケーキの内容です🍈


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