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【パパ読書】① クライスト『チリの地震』✖育児 いのちを守る・つなぐ難しさ

子どもが5歳になったので夜中起きる回数が減りました。今は蹴飛ばした布団をかけてあげる時ぐらいですかね。まあ、最近は暖かくもなってきたし、腹巻き(重宝してます☆)をしてるから「ま、大丈夫か」と基本安心して自分は寝ちゃってます。

ふと、〝夜泣き・ミルクの赤ちゃん時代は終わったんだなあ〟と思う時があります。あの頃は、「夜中、死んでないかな」とか無駄に心配して起きて、息してるのを確認したりしたなあ(笑)。

命を守るのって大変です。「ステイホーム」――お互いおつかれさまです。

さて最近、ハインリヒ・フォン・クライスト(1777~1821年)の『チリの地震』(河出文庫)という本を読んでみました。

「3・11」のすぐ後に出た雑誌「現代思想」の特集「震災以後を生きるための50冊」でも紹介されていた本です。50人の学者・専門家がそれぞれ1冊を紹介するのですが、『チリの地震』を挙げる人は3人もいました

話の流れはこうです。

「不貞の罪」を問われ斬首?

教え子と情を通じてしまい、「被保護者との密通」で投獄されている、さる貴族家の元家庭教師であった若者と、修道女とされても密会を続けた末に妊娠出産へと至ったその恋人。恋人が不貞の咎(とが)で斬首に処せられようとし、男の方がこれを儚(はかな)んで獄中で首を吊ろうとした瞬間に大地震が起き、思いがけず両者は命拾いする。(「現代思想」7月臨時増刊号 p74)

女は建物の倒壊から何とか我が子を救い、男とも再会を果たします。「子ども助かって良かったわ」と、とりあえず一安心です。

一家は国外での新しい生活を一時希望しますが、周囲を見渡してチリにとどまることを決意します。なぜなら、

「あの共通の不幸がそこからのがれ出た人びとすべてを一つの家族と化せしめたかのように、野原には目路(めじ)のとどくかぎり、領主と乞食、老貴婦人と農婦、官吏と日雇人夫、僧院長と尼僧、とあらゆる階層の人間がごたまぜにまざりあい、同情を寄せ合い、たがいに助けあい、生命を保つよすがとなりそうなものをよろこんで分かちあうさまが目撃された」(『チリの地震』p24)

からです。「災害ユートピア」と呼べるようなものが出来上がっていて、〝この咎も、ちゃんと誠意をもって謝れば、皆分かってくれるだろう〟と主人公の男と女は考えます。俄然、読み手もプラスの可能性にかけたくなります。

大地震の原因は……

が、しかし――。

平和でハッピーな状況が突如、地獄絵図と化してしまうのです。祈りを捧げようと教会に集まっていた人々に、〝地震の原因はお前たちだ〟と決めつけられ、男と女は虐殺されてしまいます。そして、誤りの更に誤りで、主人公の友人の赤ちゃんまでもが柱に投げつけられ、「こなごなに打ちくだ」かれてしまいます。

残ったのは、友人夫婦と主人公たちの赤ちゃんのみ……。悲惨で、胸くそ悪くなりました。

専門家でないので詳しい分析や解説はできません。ただ、「災害」は恐ろしいが、「人災」はもっと恐ろしい。恐ろしいというよりも、ただただ醜くくてつらい、と感じました。

コロナ禍で、人の温もりを改めて感じる機会がたくさんあります。その一方で、噂やデマ、詐欺も横行し、危惧しています。2011年の映画「コンテイジョン」が話題になっていますよね、ウイルス感染によるサバイバルものです。ここでも、感染を乗り越えたヒーローを装い(実際は感染していない)、人々を惑わし金と名声を得る人間が登場します。

子育てから学んだこと

「善に向かう人」と「悪に転ぶ人」の分かれ目は一体どこにあるのでしょうか? 「命を手段にしないこと」でしょうか。子育てをしていると、命そのものが何にも増して尊いと感じますので。

斬首は「見せしめ」として
首吊りは「絶望からの逃避」として
家族殺しは「手っ取り早い答え」として
命が手段化されたように感じました。

一言で言い表すのは難しいんですかね。。少なくとも、自らに問い続けていければ、悪に堕す芽はつぶしていけるでしょう。

1674年にチリのサンチャゴを襲った大地震に着想を得た『チリの地震』。20数ページで読める短篇です。文章は短いながら、「考え、問い続けるスイッチ」を入れるには十分な量だと思います。

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