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バイオダイナミック農法のアルケミ― (聖なる農業 第二章の2)               Sacred Agriculture         ーAlchemy of Biodynamics by Dennis Klocek より

第二章 〖物質の変容〗の2

堕罪

さて先へ進む前に、錬金術的要素としての水に焦点を当て、四大元素の考え方を再確認してみましょう。四元素説は非常に古く、今日の科学で言うところの位相変移に関係しています。現代の言葉で言えば、位相変移とは固体から液体へ、液体から気体へ、気体から純粋な温かさへの移動のことです。この概念は、どちらかというと機械的で、原子論のように、一種の幾何学的な性質を持ち、結合角やその種の現象がシフトの動作原理とみなされています。

四元素理論が展開された当時は、結合角も量子力学もなく、四元素は神々の居所でした。それらは地上に作用して物事を起こす超越的な意識の居所でした。大地の神、水と大気の神、そして惑星の神々などです。元素は霊格化(Ensouled)されていたと言えます。つまり、元素は人間と関係があるということです。なぜなら、人間の魂も霊の住処だからです。

アルケミストならこう言うでしょう、「 霊としての人に魂があり、霊としての地球に魂があるならば、神々の霊が地球の魂を形成しているに違いない。そうであるなら、神々と人が地球の魂を通して交信することは可能なはずだ。」地球の魂と人のコミュニケーションは、錬金術の実践において中心的な奥義でした。地球の魂の営み、神々の魂の営み、そして人の魂の営みは互いに絡み合っていると理解されていました。この相互関係性が、今日の合理的な科学では不可能と考えられているような変容を可能にするのです。古典的に知られている錬金術のアイデアは、鉛を金に変えるということです。その錬金術の仕事を本当に理解するなら、「鉛を金に変える」ことは、まずアルケミストの魂の中で起こらなければなりません。そうして初めて、自然の中でその変容を実現することが可能になるのです。

もしあなたがどうしても金を作りたかったとしたら、どうなると思いますか?......無理です。もし、金を作れるかどうかに無関心であれば、まだその姿勢の方が、どうしたらできるのか理解することに近づけるでしょう。しかし、その場合でも霊界がそれを良いと思うまで待つ必要があります。もちろん、物事を変える力を与えられたとしてもそれを乱用しない筈と、自然界の存在たちがあなたの態度や意識を十分に信頼できるかどうかが問題なのです。もしあなたが何かを変えられるだけの力を得るとしたら、それはあなたがその贈り物にふさわしいことを、自然の諸力を司る存在たちに示したからなのです。しかし人間は、人間の特質上、黒魔術と呼ばれる抜け道を持っています。私はベトナム戦争中、核ミサイルを搭載した潜水艦で数年を過ごしました。私たちはそれを偉大なパワーの源として見ていますが、これが何を意識に齎しているかを理解していません。アルケミストなら、この件に関して異なる見解を持っているでしょう。

その結果、今日の世界では、テクノロジーが持つ霊的意志の本質を理解できる人間の意識と、霊的な仕事をいささか時代遅れと考える人間の意識とが分裂しています。多くの人が、霊性についての考え方は時代遅れだと考えています。というのも、現代人の多くは技術的な知恵が最も重要だと考えているからです。この両極は、バイオダイナミックに携わる人々の間にも見られます。大学で訓練を受け、化学の研究室からバイオダイナミックに入ってきた人たちがいますが、彼らは、ルドルフ・シュタイナーが言ったことを理解するために、牛の角から出るものについて正式な分析プロセスを行いたいのです。もう一方の側には、実験室などどうでもよくて、ただ元素的存在たちに質問して、森へ行き、木が答えを教えてくれると理解している人たちがいます。この2つの陣営が、バイオダイナミクスにおいてもあるのです。「私たちには目に見えない存在たちとと交信する力があるのだから、認知的なことは必要ない」と言う人達と、もう一方は、「目に見えないものでなく、科学に対抗できるような実験的手法に落とし込まなければならない 」と言うのです。

私の目標は、なんとか両者を結びつけることができるかやってみることです。私の理解では、私たちの心臓にある想像的認知と呼ばれる器官を発達させる練習方法があって、それは実験室で行うのと同じくらい精密なものなのです。ゲーテはこれを "高次の視覚 "と呼びました。想像的認識とは、自分の内なる表象作業を意識的にコントロールできるようになることであり、それが第一歩です。第二は、自分の中にある表象が霊界の現実ではないことを、自分自身に証明することです。もし、あなたが受け取っている表象が、現実ではなくイメージに過ぎないことを証明できないなら、あなたは妖精たちに連れていかれていて、妖精が運転席に座ってあなたの意識を操ることになります。内なる表象が現実なのか幻影なのかを判断するのに苦労して、自然の存在たちとの内なる体験ができにくいとしたら、その体験は、おそらく個人的な空想で満たされているのです。しかし反対に、科学的な厳密さを求めるあまり、霊的な体験ができないのというのも、目指すところではありません。

私は非常にデリケートな場所について述べています。それは、人間の意識を導く内なる表象を誰がコントロールしているかに関係しています。霊的現実において、あなたには内なる表象をコントロールする能力があります。あなたの意識は地の要素を持っているからです。意識の中の地の要素は一つ一つの事物を認識して、”これが私の見ているものだ。これが木片だ。ここに葉っぱがある。″ と言うのです。葉っぱを見て、それを葉っぱだと認識する時、あなたは地の意識の中にいます。あなたはこっちにいて、向こうに葉っぱがある。その分離の意識が人類の堕罪と呼ばれるものです。聖書にはこう書かれています。"そして彼らの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。" これが、アダムとエバが知識の木からリンゴを食べたときに起こった人類の堕罪(Fall)です。葉っぱを見ているあなたは、アダムとエバのエデンの園からの追放を再現しているのです。

堕罪とは、感覚世界からの分離の経験なのです。これが人間意識に地の要素をつくりだしました。“私がすべてを名付けるものだ。私が決定者だ。”というのがアダムの言い方です。同じ経験をヨブはこう言います。“私はここです、神様。あなたが偉大な神であることは知っています。そして私は罪深い虫けらです。ですが、私は私について言われているようなことはしていません。あなたであってもそれを否定はできません。” これが人間です。カールユングはヨブが現代の人間を代弁していると述べています。

ヨブ記では悪魔をサタンと呼び、ルシファーとアーリマンを一つと捉えていますが、これらの両極の問題を考えるためにいい材料を提供してくれます。一方にあるのはルシファーの影響で、“神秘体験”や神秘的彷徨と呼ばれるものです。自分は特別だから、木々が話し掛けてくれていると信じるような状態で、意識の世界における究極のソルベです。もう一方には、アーリマンの影響があります。カルシウムの分子量の違いから、2番カルシウムと3番カルシウムの違いを発見するというような個別的な知性の働かせ方です。神秘的彷徨とは反対の方向で特別であることを求めます。アーリマンの意識は自然を支配する力を求めるのです。“私にはこの事実に絶対的な動かない確信があるから、ほかの見方などありえない”というような、究極のコアギュラ意識が、アーリマンの影響です。現代科学は、自然を支配する力の可能性に盛り上がっています。

水とは何か

今日、私たちは水をあらゆる神秘の中でも最大のもののひとつと見なしています。何故なら水というものは、水素と酸素という2つの気体が結合して液体を形成し、しかもそれが普遍的な溶媒としての力を保持しているのだからです。

図1

図1の地、水、気、火の曼荼羅に戻りましょう。地と水は重力に引き寄せられますから、重力/凝固(コアギュラ)の側にあり、もう一方の浮力/溶解(ソルベ)の側には、気と火があります。気と火は限りなく遥かな周辺の宇宙(Periphery)へ引き寄せられていきます。気体は周辺に向かい、熱も周辺に向かう。これがソルべです。ところで物質としての水は、重力の状態にも浮力の状態にもなることができます。重力の状態にあるときは氷であり、鉱物とみなされますが、液体になると、もはや鉱物ではない。科学は都合の良いように呼ぶのです。しかし、水蒸気になることもでき、そうしたら浮力の側に入ります、実際豊富な浮力があるのです。なぜかというと、水には水素が含まれていて、錬金術的に水素は火の力を表しているからです。

図2

図2を見てみましょう。炭素(C)を地の位置に, 酸素(O)を水の位置に, 窒素(N)を気の位置に, そして水素(H)を火の位置に置くことができます。これらは、生命の炭水化物構造を構成する4つの普遍的な原素です。これらの基本物質は、錬金術の曼荼羅で解(ソルベ)と凝(コアギュラ)に分けられます。この分け方は、植物化学と土壌学の基礎を形成する隠れた関係を心の目で見る助けになります。この4つの物質の曼荼羅は、肥料を考える上で非常に良い方法ですし、イオンが土壌の粘土分の容量を変化させ、植物の成長に不可欠なミネラルの取り込みを可能にする陽イオン交換容量について考えるのにも、非常に良い方法です。不思議な現象の説明として、科学が定式化した関係と専門用語が交錯する複雑な世界に、あなたが分け入っていこうとするとき、このような曼荼羅は一種の魔法の暗号解読機として、道の真ん中に留まるのを助けてくれます。

水という物質は、浮力と重力が釣り合っています。水の中の重力の要素は酸素から来ます。水の分子式はH₂Oです。錬金術では、酸素は凝固(コアギュラ)側にあり、化合物に一種の重力作用をもたらします。酸素がこのような働きをするのは、酸素が物と結合するからです。アントワーヌ・ラヴォアジエは1700年代に、物が酸素と結合すると重くなることを発見しました。ラヴォアジエが空気に重さがあることを証明したとき、その発見は錬金術を消滅させたのです。酸素は、燃えている金属や錆びている金属と結合したときなど、物質を酸化させます。ラヴォアジエは、金属が燃えた後に残るカルクス(金属灰)が元の金属よりも重いことを発見しました。この彼の偉大な実験が、すべての分析化学の扉を開きました。もっともその報いとして、ラヴォアジエはフランス革命で首を落とされたわけですが。

錬金術的には、酸素は重力作用/コアギュラをもたらし、水素は火をもたらします。水素は古典元素の中で最も軽いのですが、大きな秘密を持っています。水素は周期表全体の基礎であり、周期表上のすべての電子殻理論は水素に基づいています。しかし、水素は電子が1個しかないため、2個ある筈という電子殻理論の法則に反しているのです。システム全体の要となるものが、自らが確立した原則に反するというのは、科学にとって一種のジレンマです。科学は、水素には必要なときに現れる仮想電子が存在し、休憩時間はどこかへ行ってしまうと、仮定しなければならないのです。

水素は弱い結合を持つと言われていますが、その理由はどこかから何かが来る必要があるからです。でもそれがどこからなのかは誰も知らないのです。量子論の人たちは、それは量子場から来るものだと言います。昔なら "神 "と言ったでしょうが、私たちにそう言うことは許されません。それで、理解し始めることができないほど極端な速度で振動し、揺れ動きながら存在したり消えたりするエネルギーの場であると言うのです。宇宙のすべてのエネルギーがそこにあると言うのですが、それを見ることはできないし、重さを量ることもできない。だから私たちは、それが何であるかを知っているかのように話すだけなのです。それは "場 "と呼ばれるもので、そこからすべてのエネルギーがこちら側に漏れて来るのです。水素は、場のあちら側とこちら側の間で揺れ動き、電子が必要なときはちゃんと現れます。これが便利な専門用語の使い方の一例です。

ところで、以上は化学的見地から見た水なのですが、実際、水について多くのことを説明しています。水は弱い結合ですが、常にあらゆるものと結合を形成する万能の溶媒です。火をより顕在的な化合物と結合させ、同時に火を放出するのです。繋がり、そして切り離す。これが水です。水の近くに来れば、繋がるか繋がらないかのダンスに引き込まれるのです。量子論によれば、すべてのものは振動しています。そして、すべてのものは宇宙の大部分に浸透しているエネルギーの場と振動、あるいは相互作用しているとします。しかし、私たちはその場を測定したり、目で見たりすることはできません。

界面張力と動的境界

現在の科学によれば、酸素原子と水素原子は鉱物や有機化合物のなかに固定されています。ほとんどの有機化合物のなかで、HとOは他のものと結合しています。しかし液体において、私たちは宇宙の偉大な謎を目にします。ここには界面張力と呼ばれる力があります。水の中のこの力が界面系の振動の源です。科学がこれをどのように説明しているかを引用しましょう。専門用語頭痛が体験できると思います。それは、水に堆肥を入れてかき混ぜたときに起こることと関係があります。現在の理論によれば、私たちは宇宙全体の量子場を変えるようなことをしているのです。あなたは庭で長靴に牛糞をつけているだけでなく、宇宙全体に響く何かをしているのです。水においては、この統合、連結、分離の能力が最も顕著です。水は "液体状の結晶 "なのです。水は、量子場を出たり入ったりして振動する界面システムを常に形成しています。私は、技術的想像力から生まれる科学がどんなものかお見せするために、この話をしています。それは、生命科学や生命システムの壮大な曖昧さにはついていけません。

『水-疎水性界面の両側にある官能基のプロトン化の程度に差があることは、酵素触媒作用、分子認識、生体エネルギーの伝達、大気中のエアロゾルとガスの交換などに不可欠であると考えられている。しかしながら、このような違いの符号と範囲は、依然として推測の域を出ていない。ここでは、ガス状カルボン酸RCOOH(g)が、溶存酸RCOOH(aq)の解離を支える水面よりもかなり酸性度の高い水面で脱プロトン化し始めることを示す実験を報告する。熱力学的解析によると、水上でのRCOOH(g)の脱プロトン化には6個以上のH2O分子が参加しなければならないが、モデル気水界面での量子力学的計算では、OH-イオンが存在しない限り、このような現象は大きな運動論的障壁によって妨げられることが予測された。』(https://doi.org/10.1073/pnas.1209307109)

さてこれは、水の中に調合剤を攪拌する問題に明るい光を当てることになったでしょうか?彼らが言っているのは、水には他のものと関係し、水の塊の分子構造の中に内表面、界面張力構造を形成し、物質と一体化する巨大な能力があり、一滴の中に、内膜(とも呼べるもの)や他の張力構造と振動する張力構造を形成し、純粋な水から干渉性を生み出すというのです。

本当は、初めは干渉性などありません。水素原子と酸素原子は、量子場の中で互いに出たり入ったりしながら振動しているだけなのです。ところが、何か(例えばカルシウム)が水に入り、pHが7.0014に変化した途端、突然、水の内部構造がカルシウムに反応し、カルシウムがやっていることを模した内部構造体が作られます。(特にカルシウムが微粒子レベル、または溶液レベルであるならばなおさらです。)鉱物は水を鉱物の形に再構築し始めます。無限の粘土細工のようなもので、触れるものが何であれ、それになろうとします。水は触れたものを模していくのです。

温度差、流速、粘度、pH、運動などはすべて、水の構造内に隔膜を作り、これらは界面系と呼ばれます。もし界面系が十分に存在し、その差異の傾きがが十分に大きければ、マクロなレベルでは、層流や乱流と呼ばれるものができます。ミクロレベルでは、水は接触するものすべてに反応し、その中にあるものの形成モチーフを模するのです。接触するもののほとんどは何らかの鉱物性であり、鉱物は非常に明確な構造を持っているため、水は絶えず空気のpHや酸性雨、有機化合物と相互作用し、変化しています。水が接触するものは何でも、水の内部にそのものを模した、内部境界を作ります。つまり、温度や流速のわずかな違いや、2つの異なる速度で移動する水流があると、その差の間に何らかのエネルギーパターンが生じ、極性間の相互作用が起こるのです。

海軍にいた頃、潜水艦に乗って地中海でスペイン海軍と演習をしていました。私たちは悪者のふりをして、スペインの駆逐艦が水面下の私たちを見つけようとするのです。潜水艦には、水温の変化を示すセンサーがあって、船長は、水温の差が大きい潮流がつくる”水温カーテン”を探すのです。水温カーテンを見つけると、エンジンを止めます。駆逐艦は上からソナーで追跡し、ずっと警告音を鳴らしていたのですが、突然、私たちは彼らのソナースコープから姿を消したのです。2つの海流の温度差がエネルギ―の膜を作ったため、ソナー信号はその膜を通過することができず、反応は逸れていってしまい、彼らは私たちを見つけることができなかったのです。

あのカーテンができたのは、温度差と海流の動きの違いが、エネルギーの境界を作ったからです。これは海洋というマクロなスケールでも起こる現象ですが、ミクロなスケールでも、水滴が岩肌に接触したり、空気中に浮遊する煙突の硫黄の粒子に接触したりすることでも起こるのです。硫黄の中を落下する水滴が粒子を拾い上げ、硫黄のpHが水の反応構造を変化させます。硫黄と接触した後の水滴の内部形態は、何も接触せずに雲から出てきた時とは異なるのです。

水は何かに干渉されると反応します。干渉が十分に強ければ、反応は持続します。水には一種の記憶があるのです。50ガロンのドラム缶と棒があり、あなたが棒で水をかき混ぜるとしたら、初めはかき混ぜるのにひと苦労します。しかしそこで水の奇跡が起こり、突然かき混ぜるのが楽になるのです。これは大きな謎なのですが、1時間もかき混ぜなければならないとなると、あくびを誘発することもあります。

かき混ぜるのが容易になるのは、50ガロン(約200リットル)のドラム缶が内臓組織になったからです。私たちのかき混ぜる動きによって、水が組織化されたのです。ドラムの中のさまざまな流速が持つ取り留めなさが、水を組織化したのです。一番外側の水は、ドラムの実際の物理的表面の緊張と相互作用し、速度を落とします。しかし、かき混ぜるにつれて、水はそれ自身の中で層状に組織化され、内側の層は摩擦のない環境で回転するようになる。そのため、抵抗がなく、より速い速度を得ます。これはどの河床でも起こることです。流れの中心にある水は、流れの両岸にある水よりもはるかに速く動きます。実際、河岸に当たる水を注意して見れば、逆流していることがわかります。

以前よく、クラスの学生たちを連れて川へ行きました。彼らに川がどっちへ流れているかを観察するように言うと、皆、私が朝食に何か悪いものを食べたんじゃないかと思ったものです。もちろん、川は上流から下流に向かって流れています。しかし、私が棒を拾って土手際の水に投げ入れると、それは下流から上流へと移動します。岸の抵抗によって岸際では、ゆっくりした逆流が起きているのです。

図11
図12

図12は、シリカの分子の見え方を理論的に構築したものです。非常に美しい蜂の巣構造をしているのがわかります。図11はこれによく似ていますが、水分子の理論的な構造を示しています。類似した構造です。しかし、水ではそれらの結合は常に振動しており、シリカでは、地の要素なので、固定されています。水の開放構造では、すべての分子力が常に互いに調整し合っているのです。

もし私たち全員が部屋にいて、突然6頭のトラが四方から入ってきたら、この外敵の状況のために、外側にいる人たちは真ん中にいる人たちに向かって押してくるでしょう。真ん中にいる人たちは互いにしがみつくでしょうが、外側にいる人たちは、虎に反応するほどは隣の人に反応しません。水滴の外側の部分は空気との結びつきが弱く、水滴の中心にある水との結びつきが強い。これらの結びつきが水滴の表面を形成し、表面張力を生みます。この表面張力は、水が空気中に出て行く危険のある表面から、水滴の中心に向かっていき、その共同体の一部でいようとするのです。水の重力原理は水滴の中心から発し、外側の気の浮力原理は中心の重力原理よりも弱い。水は曼荼羅の重力側にあるので、水滴は、気体の状態で外側にあるものに対してよりも、ずっと自分自身に対して完全性を持っているのです。しかし、熱によって水滴が浮力とのより強い関係を強いられると、水滴は多くの小さな水滴を形成し、それぞれの水滴の表面積が質量よりも大きくなると、水蒸気の形で空気に加わります。水蒸気とは、巨大な表面積を持つ無限に小さな水滴でできており、遥かな周辺へと向かう浮力原理と関係しています。 

最小表面の法則

自然界には最小表面の法則と呼ばれる偉大な法則があります。この法則によれば、あらゆる形状の中で、表面と質量が最も効率的な関係にあるのは球体です。エネルギーを保持するのに最も効率的な形は、エネルギーを環境に放出しないような表面を持たなければならないからです。自然界では、エネルギーを放出する形は、草の葉の先端や葉の縁にある棘のように、尖った一点へ向かって先細りしていく形です。自然界に存在するすべての点は、地球から大気へと力を放出しているのです。これらの考え方は、昔からある標準的な科学である。地球上の点は大気へのエネルギー放出の場です。ただし、雲が上空を通過する場合は例外で、その時は地上の点が大気からの電荷を誘導し、大気から大地にエネルギーが放出されます。これは大気と大地の間で絶え間なく行われている均衡行為です。( 気については後で詳しく説明します。 ) 反対に、尖った点を持たない球体は、自然界においてエネルギー保持に理想的な形なのです。

最小表面の法則によれば、理想的な球体は、表面と質量がエネルギーを保持するのに最も効率的な関係にあります。自然界におけるエネルギーの偉大な供給者である水は、常に球体の形を求めます。最小の水滴が最大の電荷を運ぶのです。鉱物が粉砕され、コロイドを形成するほど小さくなると、水は強く帯電します。このスケールで、コロイド状になり極小表面を持つ鉱物と、水は相互作用することができます。なぜなら、その界面張力システムはすべて、分子レベルの微小な表面の振動だからです。その分子表面は、水が接触し反応しているものから、立ち上がってくるのです。

酸素という気体が、最も軽い気体である水素と合体することを考えてみてください。どうにかして両者が接触し、突然、私たちは新しい化合物で手を洗うことができるのです。錬金術的には、水は空気の死体であり、別の言い方をすれば、水は空気の塩なのです。塩を水に溶かした溶液があったとして、それを見ても塩の結晶は見えません。しかし、水を蒸発させ、水をより高い浮力原理の状態に送りこむと、溶液の中にあった塩が突然現れ、沈殿物として落ちます。錬金術では、この作用を塩(Salt)、またはサル(Sal)と呼びます。蒸気の水が十分に冷えると、凝結して落下します。雨は空気の沈殿物、つまり塩なのです。アルケミストが言うのは、気体の浮力原理が、凝固の重力原理の中に入ってきているということなのです。もちろん、彼らは雨が食卓塩ではないことは知っています。彼らの言う“塩”とはプロセスであり、希薄な状態から顕在化する作用のことなのです。ルドルフ・シュタイナーが農業講義で話しているとき、彼はこのようなメタ言語を使って、聴く人の理解を求めるのです。

彼のコンセプトのいくつかを理解するのは難しい。なぜなら、彼は錬金術の言語、隠喩と類推の言語で話しているからです。私は40年にわたりこれらの概念を研究しており、シュタイナーの奇妙にも思える発言を立証する科学的知見を科学文献の中から探し出すことが趣味になっています。類推の方法を理解することができれば、農業講義の背後には確かに優れた科学が存在します。しかし、それは化学概論で学ぶような科学とは違います。ところで、科学の最先端にいる人たちは、研究の対象がどんどん小さくなっているというジレンマに陥っています。物質があまりにも少量であるため、科学者はもはや「物」を発見しているのではなく、「力」を発見しています。力をより深く掘り下げていくと、次のフロンティアとして現れてくるのは、意識の領域なのです。しかし、物理学者たちはそこへ行くことはできないので、現代の理解を超えた力に出会うと、それに「ダークエネルギー」とか「反OO」といったラベルを貼っておくのです。反重力というのも、いい例です。科学者たちは、既知の宇宙の70%は反重力でできていると結論づけました。それは見ることができず、測定することもできず、どんな形をしているのか見当もつかない。しかし、計算上はそこにあるはずなのです。このように、計算は科学者たちを、その計算の正直さが信念の危機を生むという地点へと導きます。そして、理解できないものを、私たちが理解していると思っているものに反する何かという風に呼ぶ訳です。それで、彼らはこの暗い力を "反重力 "と呼びます。浮力(levity)の原理は現代科学では認められていないからです。浮力(levity)は錬金術の古い用語ですが、この奇妙な力がどのように振る舞うかを表しています。これが反重力です。

なぜ私がこのようなことを持ち出したかというと、このような概念は、科学におけるジレンマを表しているからです。科学は、シュタイナーの農業観の根幹をなす自然界の霊性の発見に近づきつつあるのです。とはいえ、今日の科学が素晴らしいのは、未知なるものを探求するその方法の厳密さです。バイオダイナミクスにおいて、科学的厳密さの必要性を排除するのは間違いだと思います。厳密さがなければ、バイオダイナミクスは重さ、数、長さを基本とする現代科学から攻撃を受けることになります。実験室での研究も必要なのです。しかし、もし私たちに正しい想像力があれば、実験室での研究は霊的な見方の基礎を形成すること

私は自分の中に、内なる表象を自由に創り出したり消したりする能力を持たなければなりません。その練習が心臓の知覚器官を作り出し、それによって個人的な神秘体験と、一般に受け入れられている科学的概念との間に橋を架けることができるのです。しかし、この橋は自動的にはできません。想像力を用いた瞑想的作業を通して橋を架ける必要があります。ルドルフ・シュタイナーの言う「キリスト存在」の領域に、自然の中での仕事の神秘的側面と分析的側面を一緒に持ち込む必要があるのです。

イマジネーション


分析と神秘体験の狭間に初めて入って行く時、答えは見つかりません。その沈黙は私を不安にさせますが、そこで内的表象を描き、それを手放し、静寂に耳を傾ける練習を繰り返すのです。この実践は、自然を動かしている霊的存在への問いかけなのです。眠る前にこのような練習をすると、次の日、外から、他の人々から、イメージがやってきます。私の心臓の知覚器官が機能していれば、日常生活における他者からの無意識の貢献を、私の問いに対する部分的な答えとして認識することができるのです。この練習では、私がこの世界を共に生きている、他の人々が、私が自分の中で裏づける必要がある正しいイマジネーションの源となります。霊的現実では、このような交流は常に起こっているのですが、私の心臓の知覚器官に見る能力がなければ、その答えは認識されずに通り過ぎてしまうのです。また裏を返せばこういうことです。 表象を眠りの中に持ち込んだ後に、自分の中に湧き上がってくるイメージが質問の答えだと信じるかもしれませんが、しかし、これは思い込みの誤りなのです。自分の中だけでイマジネーションを裏付けようとすれば、思い込みの誤りを犯す危険があるのです。

思い込みというのは、思いが膨れ上がり、思い上がってしまうのです。今日の政治的、経済的分野では蔓延しています。これは、身体に起きる炎症のようなものが、魂に起きているのです。霊的な事象を捉える心の訓練するときは、魂の炎症に注意しなければなりません。私の内面では、意識は液体の元素的性質を持っています。意識は、接触するあらゆるものを模倣し始めます。先ほど水の要素について説明したのと同じです。そして人間の体も水です。たくさんの水の袋でできているのです。

ルドルフ・シュタイナーは若い頃、住んでいた街の裕福な家の子女の家庭教師をして生活費を稼いでいました。ある家庭に、水頭症、いわゆる脳に水がたまっている男の子がいて、シュタイナーがその子を教える中で学んだことが、ウォルドルフ教育の基礎を作ったのです。シュタイナーはこの青年に治癒的運動を教え、水頭症であったにもかかわらず、最終的には医者になることができたのです。その青年が亡くなった後に解剖が行われると、彼の脳には脳の構造に似たたくさんの膜だけがあり、膜はただ水で満たされていたのです。ミエリンもなく、神経細胞も樹状突起も軸索もグリア細胞もなく、膜状の構造だけがそこにありました。中は水だけで、しかも彼は医者になったのです。
彼の脳には生命維持に必要な電解質はありましたが、実際の細胞組織はありませんでした。果たしてH₂Oとは何なのでしょうか?化学式は、水が本当は何であるかについて、小さな切り口を与えてくれるだけです。錬金術的に見ると、水は形態を摸することができ、間質液の流れを作ります。つまり、ニューロンがするのと同じことをするのです。ただし、神経学によると、ニューロンの大きさは非常に小さく、小さなピンの先ほどの脳細胞に何十万ものニューロンができるのです。しかし、これらのニューロンはグリア物質に埋め込まれています。グリアはギリシャ語で接着剤を意味する言葉からきていて、脳の糊のようなグリア細胞は実際、神経が使われるときの脳の可塑性と模写再構築の能力の多くを支えています。模写再構築、つまり神経発生は、学習と創造性の基礎なのです。

有名な生理学者であるダーシー・トンプソンは、生殖細胞血漿は決して物質としてのみ作用することはできず、エネルギーの座としてのみ作用する、という法則を打ち立てました。つまり、細胞組織はエネルギーを受け取るが、エネルギーの源ではないということです。秘教的な言い方をすれば、生殖細胞血漿はエネルギーだけでなく、意識も受け取るという主張も加えることができます。ルドルフ・シュタイナーは、生殖細胞血漿が受け取る、エネルギーと意識を "イマジネーション "と呼びます。イマジネーションは、自然を動かしている霊的存在たちから来ます。シュタイナーは、脳内の液体で満たされた空洞が、私たちが内なる表象を描く場所であるとさえ言います。胎児の第三脳室に沿った膜は、発達中の脳の他の部分に移動する脳細胞が形成される場所です。この脳細胞の移動の過程が神経新生と呼ばれます。成体では、神経新生は意識の転換が生じたときに起こります。そして、意識の転換は感情を伴う出来事があったときによく起こります。私たちが経験から学ぶことができるように、新しいニューロンが作られます。私たちの発達において、成長し学習する可能性は、空洞の脳室の内壁を包む膜から生まれるのです。脳の脳室下領域で脳細胞が再生するこのプロセスが神経発生です。学習は意識の変容を伴うのです。

意識のさまざまな状態を認識することで、意識を特徴づけることができます。そのための鍵として、四元素の曼荼羅を使いましょう。地の意識状態は、"私はこれが真実であるとひどく確信している "というフレーズで特徴づけることができます。水の意識の典型的な表現は、"それについてはまた連絡します "です。四大元素の曼荼羅では、地の要素は自動的に水の要素へと向かうプロセスを開始します。四大元素曼荼羅の意識全体についても同じことが言える。私が何かを絶対に真実だと信じるという地の声明を出すと、私の意識は--曼荼羅を通して自動的に--それを水に移動させ、"さて、これはどうだろう?"と言う。私が言えることはすべて、反対側から見れば全くの間違いなのです。いつも、私と正反対の意見を持っていて、私が自分が分かっていると思っていることを完全には分かっていないことを証明するのに十分な資格のある人がいるのです。そういうものなのです。しかし、もし私が地と水の意識の間を行き来する練習をすれば、心を開いた状態で真ん中の領域に入り、周りの人たちからイマジネーションを受け取ることができます。私が研究している現象の内的表象を眠りのなかにもちこみ、誰かが、何かヒントをくれるのを待つのです。すると、根拠のない信念と踊っているのでなく、自分が研究していることの本当の意義が感じられてくるのです。

渦とかき回し

私がこのことに言及するのは、そうでなければ、私は自分の小さなスペースで作り話をしているだけだからです。錬金術的には、私は水の意識を渦巻き状にしていく必要があります。水の意識で、すべてを模写再構築し、取り入れて一体化し、溶かしてしまい、さらに別なものになるのです。私は整理するが、固定はせず、信じる前に世界の中でテストしなければいけません。私は水の意識の内容を渦のようにかき回し、固定するのでなく、集中させていく必要があります。

図7

渦のイメージは意識のモデルとしてうってつけです。図7の写真は渦の活動を示しています。あなたはテーブルの上に置かれた細長い水槽を上から見下ろしています。水槽の中央には、長軸と平行に一本の弦が張られています。図7の中央の白い縦線がそうです。弦は水の中ではなく、ちょうど水面に接触するように張られていて、水が少し盛り上がって付着してきているのです。この弦がバイオリンの弓で引かれます。弦を見ても振動は見えません。しかし、リコポディウムの粉を水面に振りかけると、弦の振動が見えるようになります。まずたくさんの小さな渦巻きができ、やがて弦の長さ全体の渦たちが組織化されていきます。これは、水が振動を拾い、流れや抵抗のパターンを通して一つの渦に組織化されるのです。一つ流れができるとすぐに、ある部分は動きが速くなり、別の部分は抵抗によって動きが遅くなります。
さて、あなたがバケツを用意して水をかき回し始めたとしましょう。そこでは、水のさまざまな速度が、間質張力システムを作り出し、水の中にエネルギー交換の場ができるのです。そこには速度の違いの勾配があるだけなのですが、たくさんのエネルギーの膜と呼ぶこともできるのです。物理学を勉強した人なら、勾配と速度は温度変化を生み出すことを知っています。そのバケツは、縁から中心まで、無数の内表面で満たされているのです。それはまるで内臓器官のようになったのです。

図8

図8を見てください。水の入った瓶をかき混ぜ、その中に染料を落としたものです。構造を見てください。濁った所とぼけた所のパターンがありますか?いいえ違います。渦の外側から内側にかけて、何千もの非常に目立たないエネルギーの膜があるのです。これが、あなたのバケツの中で起こっていることです。かき回す動きによって組織化された水の渦は、組織器官とも呼べるものになっているのです。そしてその中で、水はあなたが入れたものと同化しようとするのです。無数の内表面において、その物質の特質を映し出し再生しているのです。私たちは"かき混ぜる "と呼んでいますが、それは膨大な量の繋がりあった内表面を作り出し、間隙流を最大化し、水がその物質と相互作用を起こすように刺激しているのです。水が単に量子場を出たり入ったり、それ自体で振動し続けるのではなく、内表面が動的に重なり合うことで、一貫した形態が形成されるのです。これが調合剤の攪拌(かくはん)です。実際には、水はその中に入れられたもの(牛糞であれ、シリカであれ)を模写再生する組織器官となるのです

カオスとは、極めて複雑な状況を表すシンプルな言葉です。カオスとは何でしょうか?私たちが渦を作りながらしばらく水をかき回した後、かき回す方向を逆にする時におこるカオスの中で、最も大きな出来事は微細な気泡の発生です。気泡とは、内表面と外表面を持ち、中空の水滴のことです。最小表面の法則によれば、気泡が小さければ小さいほど、気泡の中にある流体との相互反応が活発になります。質量に対する気泡表面の割合が巨大になるからです。極小気泡(マイクロバブル)は、その高い反応性のために、今日の科学において大きな関心を集めています。流体中の極小気泡の数が多ければ多いほど、反応の起こる表面積も大きくなります。流体を一方向にかき混ぜて渦を作り、その回転方向を崩すと、途方もない数の極小気泡が発生します。次に反対方向に回転させると、流体の形状は再び組織化されます。このとき、小さな極小気泡はすべて壊れ、その局所温度は一瞬の間、1000度台に上昇します。極小気泡の質量に対するその破裂音の大きさは、裏庭に747がいるほどのデシベルに相当します。それぞれの気泡から小さな渦が噴出し、そのスケールで水中に極小の渦の海を作り出すのです。音、温度、そしてこの極小気泡の渦運動の形で、水の分子が再統合されます。

水中の極小気泡は気の要素へ向かっています。これは 空洞現象(Cavitation)と呼ばれます。空洞現象は発生学における大きな謎ですから、後ほど詳しく見ていきます。塊であったものから内表面が形成されることは、ルドルフ・シュタイナーが「アストラル原理」と呼ぶものの基礎です。アストラル原理を理解すると、植物と動物の関係が分かってきます。錬金術的には、このレベルの現象は気の要素を表しています。流体中に微小な気泡ができる空洞現象は、プロペラが水中を回るときにも起こります。プロペラから小さな気泡が出るのを見たことがあるでしょう? 水中でプロペラが回転すると、局所的な温度が非常に高くなり、その非常に小さな空間の中で、水素と酸素が元の気体に分離されます。プロペラは水面から空気を送りこんでいるのではないのです。微小な気泡の巨大な温度変化が気体を分離し、水が沸騰しているような状態を作り出すのです。

あなたがどんな意識でかき混ぜるかも、違う結果を産み出します。たとえ機械を使っていてもです。ルドルフ・シュタイナーは、感謝の気持ちを持ってトラクターに関われば、トラクターがよりよく働いてくれるでしょうと、言いました。整備士なら誰でもわかると思います。トラクターのPTOに悪態をつけば、PTOはあなたを困らせてくれます。

内的表象

図8の写真は、渦状の構成に組み込まれた意識を示しています。その渦は、長くゆっくりとした段階と短く速い段階を交互に繰り返す呼吸のリズムを持っています。かき混ぜるのを止めた時、このリズムは見えてきます。その渦の呼吸は、渦の中で働く力における流れと抵抗、ソルベとコアギュラのやり取りを映し出しています。小さな渦を強制的にかき混ぜるのを止めた後、渦はただそこにとどまっているのではなく、深くなり、そして浅くなり、膨張と収縮を繰り返し、すべての小さな分子が運動によって組織化され、量子場の中で振動するのです。

意識の領域における渦巻きの呼吸とは、内的表象を描くことによって意識の中に一貫性を形成し、その表象を解消することによって一貫性を手放すことを意味します。形成し、そして手放す、このリズムは、魂の領域で水から気へと移行しようとするときに、自分の意識にどのように働きかけるかのモデルなのです。私は心象を作り、それを保持し、そしてそれを手放して、耳を傾ける必要があります。

眠っているときや瞑想しているとき、あなたは実際に表象のピントを合わせたり外したり繰り返すことができます。例えば、あなたが疑問に思っている植物の葉の内的表象を描きます。そして心の目で、その葉の表象を溶かしていく。それから、この形成と溶解のプロセスを何度か繰り返すのです。自分の中で、内的表象を形成しやすい場所を見つけることができたら、役に立ちます。人それぞれ、内なるイメージを形成する場所は少しずつ違うのです。これは、自身の表象に対するあなたの気持ちが影響します。すぐ出せるようなところに置いておきたいか、コンクリートの箱の中に仕舞って置きたいと思っているか。ある人たちは、内的表象など持ったことがないと言います。もし私がしばらく係わることができれば、ある日突然、その人たちも、自分がずっと内なる表象を描いてきたことに気づく日が来ると思います。誰もが内的表象を持っているのですが、誰もがアクセスできるわけではないのです。自分の内なる表象に、ダイヤルアップ接続しかできない人もいるし、光ファイバーの人も、WiFiの人もいるのです。

正四面体

ここで、自分の中の表象を摑まえる場所を見つける練習をしましょう。上の正四面体を見てください。あなたの水の意識を使って正四面体になろうとしてみましょう。そうでない、 スナップショット的な見方は地の意識です。正四面体を見て、目を閉じて、内側を見るようにしてください。正四面体を心の目で見るのです。やってみようとすると、どうなりましたか?

あなたは内なる目で、この形の周りを動き回らなければならなかったでしょう。見たものの内的表象を思い出そうとすると、あなたの生命体(エーテル体)は内なるイメージが固定しないようにしようとするのです。もし、あなたが今まで見たすべてのものが常に内的表象として存在していたら、かなり変なことになります。だから私たちは、安全装置を持っていて、何かを見てそれが固着し始めると、エーテル体(生命体)が、そのスナップショットのような記憶画を溶かして、記憶が固まってしまわないようにするのです。内的表象を成功させる方法の中心は、スナップショットの内的表象が常に記憶から消えていくのを体験することです。そのうえで、内的表象を保持し、取り出すことができるようにするためには、思い出したい感覚的印象の記憶が隠れている場所を、自分に教える必要があります。

"エアギター" というのがありますね。私たちは “エア・ドローイング”をしたいと思います。正四面体を見て、あなたの指が正四面体の縁に沿って動いて行くのを想像してください。次は、形を観察しながら指を動かしてみましょう。正四面体を見るのではなく、正四面体と一緒に見るのです。正四面体を画面と心の中に同時に見ながら、実際に指で空中に描くのです。指でなぞりながら、正四面体を空中に描くことを数回繰り返してください。あなたの運動体(あなたの水組織である生命体)に、その形を拾い上げ、模写再生してもらいたいのです。ではもう一度、目を閉じて正四面体を思い浮かべてみてください。今の内的表象とスナップショットの記憶との間に違いはありますか?

おそらく今回はもっと安定していたのではないでしょうか?なぜなら、あなたは正四面体の形を、動きとしてあなたの生命体に入れたからです。それを思い出そうとするとき、あなたの生命体がその動きに記録された記憶の形で提供します。秘教的な言い方をすれば、生命体がその動きを拾った後、あなたの魂はその感覚対象の形態的モチーフとともに動いているのです。単に感覚対象を見ているのではなく、感覚対象とともに見ているのです。自分が構造化した内なる動きがあれば、あなたの内的表象の場を見つけるのはずっと簡単です。あなたの記憶は、買い物リストを思い出そうとするときとは違った仕方で機能するからです。あなたの身体中の水には、見ているものと一緒に流れる能力が組み込まれています。エアドローイングによって、その能力にアクセスする訓練ができます。

さらに奥の深い秘密を言うと、これは手を動かす必要もないのです。正四面体をもう一度見て、あたかも目から光線か鉛筆が出ているかのように、目で追うだけでいいのです。形の縁を目で追うだけです。眼球運動筋で体液に動きを刻み込むだけなのです。この方法で、正四面体の本質的な性質の体験に近づけます。これが本当に上手になったら、正四面体の内的表象像を回転させることもできます。

このような内的なエクササイズを行うと、木や牛や風景といったものなかに、本質的な形態モチーフを見ることができる器官を、自分の組織の中に構築していることになります。この器官を使えば、対象の中にある音楽、調和する生命の構造を見ることができるのです。このような見方によって、大地の持つしぐさ(レイライン)を見ることもできます。これを能力として身につければ、表象像は、形の中に生きる存在たちからやって来ます。あなたは、これらのイマジネーションから洞察力が得られ、それは素晴らしいことなのですが、もし注意しなければ、私たちの魂は、想像として現れるものすべてが正しいと信じたがるものなのです。私たちはその傾向を制御しなければならないのです。

図9

では今度は、図9の右端を見てください。dと書かれた形があります。面の数を数えてみましょう。これは正八面体です。そのすぐ左にある、cと書かれた図形は八面体に至る発展段階です。ある視点から見れば、これらは別の形ですが、別の見方をすれば、形態学的、現象学的な一続きの一部です。また、bと書かれた場所が空いています。bの形がどのようなものかを想像し、それを少しエアスケッチしてみてください。あなたは形態進化を追っているのです。あなたが感じているもどかしさは、地の意識から水の意識に移ろうとするときの抵抗です。

もしあなたがエアスケッチしたbの形が正しければ、aからdへ、そして逆巻きで、小さな動画をコマ送りできるはずです。bの形はaからdに向かう1つの段階であり、4つの形は一貫した形態学的発展順序を表しています。もしあなたがbの正しい形を作ろうとして緊張を感じるなら、その緊張こそは、想像を一人歩きさせずに修正するために、あなたが感じる必要があるものなのです。

この練習で、あなたが感じているのは、「知っている」という感覚と「知らない」という感覚の間の緊張です。この緊張感こそが、バイオダイナミック農法における研究を行うに適したものです。牛の角の精霊が、彼らの住む天国から私に語りかけていると感じるならば、いいでしょう。素晴らしい。さて、それで? 私はその経験を、内なる問いのプロセスに委ねなければならないのです。想像のプロセスをゆっくりにすると、私の心の分析的な側面と空想的な側面が一緒になり、制御できるイマジネーションのための空間が生まれます。その空間では、たとえば、ケラチンと水晶は全く異なる種類の、全く異なる物質でありながら、非常によく似た分子構造を持っていることが発見できます。そこでは分析と空想のバランスをとることができ、機能的類推を通して共振関係を見出すことができます。機能的類推を通して共振性を見出すと、私の中の何かがかなり落ち着き、自分の信念構造の迷路から客観性の空間へ入って行けるのです。そうしなければ、私は妖精たちと一緒にどこかへ行ってしまうでしょう。カール・ユングは、物事を「知っている」人たち、つまり感受性の強い人たちの精神分析をしていました。人生のある時点で彼らは非常に神経質になると、ユングは言います。なぜなら、彼らは50%の確率で、100%正しいからです。50%の確率で正しいことが彼らの評判を形成し、50%の確率で正しくないことが彼らを精神療法に追い込み、神へのホットラインを持っているという感覚が膨らんでいるのを矯正するために、この恐ろしい、”本当は分からない” という感覚に出会わなければならないのです。

分析と空想が魂の中心で均衡をとるとき、ルドルフ・シュタイナーが想像的認識と呼ぶものが生まれます。個人的な空想が意識的な認識行為によって修正されるとき、その結果が想像的認識です。逆に、分析的認知が空想によって活性化されるとき、その結果は創造性です。この関係はどうなっているのでしょうか。私たちは何とかして、イマジネーションを認識の道具に組み込む形式を見つけたいのです。古代の秘儀学校の教師たちが、霊界参入のために必要な思考を訓練する道具として、幾何学を常に使っていたのはこのためです。幾何学ではったりをかますことはできません。いやまあ、できないこともないし、そうする人もいますが、数学的な領域には、確かさを確立できる空間があるのです。全く確実だということと、創造的な空想との均衡をとることが私たちの目標です。ゲーテはそれを "高次の視覚" と呼びました。


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