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『基準』という幻想



その視点に「愛」と「想像」は足りているのでしょうか。


基準・ルール・規則というものは人を「善」と「悪」、「正解」と「不正解」に切り分けながら人の生活を守っています。

その中であなたの人を見つめる眼というものは、人を愛する心と背景を考える想像力で溢れていますか?


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ちょっと話は変わって、みなさんご存知「ポケモン」という世界には、「The 悪」と見られているロケット団と言う組織があります。

ポケモンの世界では、ポケモンは「人間のパートナーとして一緒に生活したり戦ったりして生きていくもの」という基準があります。だからポケモンを道具として扱う(と言われている)ロケット団という存在は善ではく悪の方に振り切って描かれています。

そんな「The 悪」ロケット団のボスは「サカキ」という人間です。

ちなみに、ポケモンでは主人公はチャンピオンになるために8つのジムリーダーに挑み、勝利の証であるバッジをもらうことが必要という設定です。

そんな8つ目のジムリーダーがこのサカキなんです。



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↑サカキ。 なんかちょっとおしゃれやん。


ファイアレッド・リーフグリーン(2004年発売)をやる当時の僕は「こいつほど悪くてムカつくやつはいねえ!!」とカメックス得意の水技攻めにより、サカキのポケモン(じめんタイプばっかり)をことごとく粉砕しました。それはそれは最高の達成感でしたね。。。


ここでちょっとストップ。


考えてみたら、彼はなんでジムリーダーという立場にいるのでしょうか。 なんてったって彼は悪の代表ロケット団のボス。

そう思った自分は速攻サカキについてググりにググる。10分くらい経った時、面白い知恵袋の回答に出会いました。


昔のサカキは自分のポケモンに愛情をそそぎ共に戦っていたんじゃないか説。


もともとサカキはポケモンに熱い想いを注ぐTheリーダーだったんじゃないか。

でもジムリーダーとして戦ううちに気づいたんです。幸せそうに戦っていないポケモンたち、十分に育ててもらえず負けていくポケモンたちがいることに。

ならいっその事、自分がすべてのポケモンを手にしたらいいんじゃないか?

そう考えているうちに、その支配しようとする姿勢に共感する人たちが集まり、いつしかポケモンを使い世界征服をするという風に変わっていってしまいました。


この解釈を見た自分。

「え、確かにそういう考えもできるのか。その視点全くなかった。人への愛で満ちてるなこの回答。」


ふと思い返してみたら、学校で先生や学校が定めるルールに永遠と逆らい続ける悪ガキがたくさんいたはずです。

友達や家族から認められていない感じの生活を抜け出すために、奇抜な愚行で人からの注目を浴びなきゃ。(うずまきナルトとイルカ先生のような)

彼らにも、そんな背景がもしかしたらあったかもしれませんよね。



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人はある基準や規則のもと、自分なりの「正義」という剣を振りかざして、「悪」を倒すことで心を満たしたい生き物なんじゃないかと思うんです。


でもその基準で見られている「悪」はその相手にとっては「正義」なのかもしれません。
また、その「悪」と見える行動も何かしらの社会構造と、心の中で交錯したたくさんの想いから生まれているんですよね。


だからこそ自分が見つけた「悪」そのものに立ち向かっていったり、その粗探しをするのってすごく無駄なことだと思うんです。


それよりも、この知恵袋の回答者のように、

相手への「愛」を忘れず、その「悪」と見える行動の裏にはどんな構造があるのか「想像」する。

きっとそれができれば、もっとこの人間界は豊かになるんじゃないかな。と。



そんな僕は今日の夜、ミュウツーの逆襲のテーマ曲「風といっしょに」を、なんとなく2回ほど聞いて寝ようと思います。


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