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追及権は美術産業を活性化するのか?—経済学とNFTの普及を踏まえて

リサーチャーの伊東です。今回の記事では追及権に関して経済学における先行研究を紹介しつつ、NFT(Non-Fungible Token)普及の影響を踏まえた意見をまとめます。

追及権とは美術品が転売されるたびに取引額の一定割合を制作者であるアーティストが(ロイヤリティとして)受け取ることを可能にする権利であり、これはたとえ二次市場で美術品が高額で取引されたとしても元のアーティストには収益が入らない現状に対する問題意識から、現在EU圏を含む複数の国で導入されています(1)。

これまで日本においては美術産業を活性化するための施策としてたまに議論される程度でしたが、民間のサービスであるNFT取引プラットフォームにて同様のロイヤリティ分配制度が広く普及したことにより(2)、政策的議論である追及権もにわかに注目されるようになりました。


表1: 追及権とNFTにおけるロイヤリティ分配制度の主な比較

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https://dune.xyz/embeds/3469/6913/8e5cf15b-30f6-4d59-bbe8-2bc51d7de073
(a) OpenSea monthly volume

https://dune.xyz/embeds/37672/74639/1d78021d-c8d1-483c-9207-929e3331aee4
(b) OpenSea monthly fees

図1:最大のNFT取引所であるOpenSeaの取引額・徴収した手数料額は、ともに2021年に以降明確に増加傾向にあり、特に8月は著しく増加しています。その他のデータについてはこちらのダッシュボードをご参照ください。All figures are created by @rchen8 with Dune Analytics


しかし、追及権は本当に美術産業を活性化するのでしょうか?

例えば美術品を一次市場で購入して二次市場で売却するコレクターの立場になったとき、売却時に(買い手側売り手側どちらが負担するにせよ)ロイヤリティ分が持っていかれることを織り込んだ彼らは、一次市場での購入時により低い価格を望むようになるかもしれません。この場合アーティストは将来得られるかもしれないロイヤリティのために現在確実に得られたはずのお金を犠牲したことになる...とも考えられ、そうすると追及権がアーティストを救済し、ひいては美術産業の活性化に繋がるというシナリオが疑わしくなります。

このような、合理的なプレイヤーによる(時間を跨いだ)資源の再分配という解釈・枠組みを用いることで、追及権は法学のみならず経済学的観点からも研究されてきました。

追及権に関する解説記事は既に数多くあるものの、経済学の先行研究を紹介するものは自分が知る限り存在しません。そしてなにより、スタートバーン株式会社は創業当時のオンラインオークション開発から現在のブロックチェーンインフラ「Startrail 」の構築にいたるまで、一貫して追及権に似たロイヤリティ分配制度の美術業界への実装に取り組んできました。

そのため、この問いをスタートバーンのnoteで議論することには一定の意義があると考えています。



理論的には「大半がNO」


結論から言えば、理論研究の大半は市場を歪めるという理由から政策として追及権を導入することに反対しています。より具体的な主張は以下の通りです。

・アーティストにとって追及権は、言わば作品を販売して得られる利益の一部の強制投資だが、若い時の方が同額のお金を貰ったときの効用は高い。(Ginsburgh and McAndrew, 2020

・しかも作品が二次市場で流通し、かつそれが高額で取引されるアーティストはほんの一握りなので投資としても不適格だ。(Ginsburgh and McAndrew, 2020)

・全ての取引を追跡してアーティストへの還元金を徴収することには大きなコストがかかり、担当職員への給料なども必要なので再分配政策としても非効率だ。(Price, 1967; Ginsburgh and McAndrew, 2020)

・追及権は知的財産権と異なり、その権利を他人に譲渡したり放棄したりすることができないが、アーティストには可能な限り選択肢を与えるべきだ。(Ginsburgh and McAndrew, 2020)

・適切な資源再分配のためには、国が政策として一律に導入するのではなく、アーティストが自身のリスク許容度に応じたロイヤリティ率で各自契約を結ぶべきだ。 (Filer, 1984; Karp and Perloff, 1993; McCain, 1994


一方で導入に賛成する主張は、筆者が調べた限りでは以下の2点です。

・追及権は詰まるところ、将来の価格変動という不確実性をコレクターからアーティストに転嫁するrisk shiftingである。そのためコレクターが十分にリスク回避的かつアーティストが十分にリスク愛好的ならば有効である。(Filer, 1984; Karp and Perloff, 1993; McCain, 1994)

・アーティストは生涯にわたって複数の作品を発表する。ここでもし複数の作品が補完的な財(i.e., 後発の作品が世に出ると先発の作品の価格が上がる)であるならば、追及権はアーティストにとって新しい作品を生産するインセンティブになる。(Solow, 1998


ただし先述のとおりFiler(1984)、Karp and Perloff(1993)、McCain(1994)らは追及権の導入には反対しており、上記の主張も「だから国が政策として一律に導入するのではなく、アーティストが自身のリスク許容度に応じたロイヤリティ率で各自契約を結ぶべきだ」という話に繋げています。

よって賛成を主張する研究は、他の理論研究が考慮していない複数の作品を発表するアーティスト像を捉えた Solow(1998)のみです。しかしここでも、同じアーティストが制作した作品群が補完財であるという条件が付いています(3)。

したがって、理論研究において「追及権は美術産業を活性化するのか?」という問いに対する回答は「大半がNO」になるでしょう。



実証的には「わからない」


実証研究は理論研究以上に数が少なく、追及権を導入済または導入を検討している各国政府や国際機関などによる報告書が中心です。

そのなかでも、毎年中国と世界2位を争う巨大な市場規模を誇り、かつ比較的最近になって追及権を段階的に導入(2006年に存命アーティストを対象に、2012年に死後70年以内のアーティストも対象に導入)した英国の事例は特に積極的に議論されています。

その主な論点は「追及権は美術産業に悪影響を及ぼすのか?」であり、主張は以下の通り割れています。

・追及権が英国の美術産業に悪影響を及ぼしている証拠は無い。他方で美術産業従事者たちへのアンケートは、2012年の対象拡大が招くかもしれない美術作品の海外流出を強く懸念していた(4)。(Graddy et al., 2008

・追及権が英国の美術産業に悪影響を及ぼしている可能性がある。英国における存命作家の作品取引世界シェアは2008年の37%から2013年には16%まで低下しており、売上額自体も2011年から2013年にかけて8%, 2008年比では22%減少している。また2013年における死後70年以内のアーティストの作品取引世界シェアは13%で前年比から約2%減少している。(McAndrew, 2014

・追及権が英国の美術産業に悪影響を及ぼしている証拠は無い。2006年以降、英国の美術市場自体は成長トレンドを維持している。また追及権に基づき2014年にDesigns and Artists Copyright Society(DACS)が徴収したロイヤリティ総額は同年の市場全体の約0.1%であり、影響力がある金額とは考えにくい。(DACS, 2016

注意すべきは、上記の報告書は美術産業の活性化ではなく、あくまで悪影響を及ぼすか否かの議論をしているという点です。そしてさらに言えば、追及権の悪影響すらも、報告書が行っているような導入前後の市場規模調査だけでは実態を適切に把握できません。英国の美術市場が(良い方向であれ悪い方向であれ)変化した原因が追及権にあると主張するためには、市場に影響するであろう他の要因を取り除く処置をきちんと施した上で因果推論を行う必要があるためです(5)。

こうした処置を学術研究たる水準で施しているものは、筆者が調べた限りでは Banternghansa and Graddy(2011)のみです。各国のオークション落札記録を利用したこの研究では、追及権の対象となる美術品に価格上昇率の低下や海外流出といった悪影響が見られないことを示す結果が得られた一方、英国においては追及権に長くさらされている若いアーティストの方が年齢の高いアーティストよりも価格上昇率が低いという悪影響の存在を示唆する結果も同時に得ています。

したがって、実証研究において「追及権は美術産業を活性化するのか?」という問いに対する回答は、そもそもその問い自体を扱っていないため「わからない」になるでしょう。また「追及権は美術産業に悪影響を及ぼすのか?」についても意見が割れているため「わからない」現状です。



意見: 民間に任せたほうが良い&実証研究の質は今後大きく高まる


このような議論がなされてきた追及権に対して、特に昨今のNFT取引の普及を踏まえた上で、伊東としては以下2つの意見を持っています。

1つは、民間に任せたほうが良いということです。

筆者はこれまで、アーティストが各自で契約を結ぶ方がより適切な資源配分が達成できるという理論研究の主張に賛成する一方、毎回のロイヤリティ徴収や(様々なプレイヤーが関わる)複雑な契約締結にかかる時間や労力を考慮すると現実的には追及権の政策化やむなしな側面もあるのかなと考えていました。

しかし、ブロックチェーン上の記録に基づきロイヤリティ支払いが自動執行され、かつ主要なプラットフォーム(e.g., OpenSea, Rarible)にてアーティストが自分でロイヤリティ率を設定することができるNFT取引の普及は、各自で契約を結ぶハードルを大きく下げました。いわば現実が理論研究の想定する(契約締結にコストがかからない)世界に近づいたわけです。こうなると俄然理論研究の主張に分があります。民間でロイヤリティ率の異なる契約が簡単に結べるようになりつつある潮流を読めば、国が今から政策として追及権を導入する意義は薄いでしょう(6)。

もう1つは、実証研究の質は今後大きく高まるということです。

追及権の効果に関して因果推論を行う実証研究がなかなか増えなかった理由は、利用可能なデータの少なさにあると筆者は考えています。美術品の取引価格に関するデータは、専ら二次市場の結果であるオークションの落札価格が利用されてきましたが、二次市場には非公開で取引されるプライベートセールも存在するし、なにより透明性の低い一次市場に関するデータは非常に限られていました。

しかし、NFTの取引においては、一次・二次市場関わりなく取引の頻度や回数、金額、ロイヤリティ率など遥かにリッチなデータが入手可能です(7)。あくまでNFTを対象としたものになりますが、こうしたデータを活用することで、追及権(に似た仕組み)の有効性をより厳密に分析することができるでしょう。単なる追及権「あり」「なし」の議論に留まらず、最適なロイヤリティ率はどの程度なのか?まで推定できるかもしれません。



スタートバーンは民間の立場から貢献する


「追及権が美術産業を活性化するのか?」という問いに対して、先行研究では未だ明確な回答が出ていないものの、NFTの普及を踏まえると ①民間に任せたほうが良い ②実証研究の質は今後大きく向上することは主張できるでしょう。

ただしこれはあくまで経済学的視点での意見であり、また追及権とNFT取引におけるロイヤリティ分配を同様の制度として扱うことの是非についてもさらなる議論が必要である旨は付記しておきます。

いずれにせよ、スタートバーン株式会社は民間企業の立場から、アーティストがより簡単に作品取引に関する様々な契約を各自で結ぶことができる世界の実現に取り組んでまいります。


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図2:Startrailは、アートの信用担保とさらなる発展を支える流通・評価のためのインフラであり、世界中のあらゆる主体が接続し、共に作品の来歴管理や規約遵守ができる環境を提供します。通常のロイヤリティ分配はもちろんのこと、第三者へのロイヤリティ支払いや追及権導入国における取引など、美術業界の様々な需要に対応した設計となっています。仕様の詳細については弊社CTOによる解説記事ホワイトペーパーをご参照ください。


また、所有・所蔵・管理されている美術品への使用を試してみたいとお考えの方は、ぜひお気軽に下記メールアドレスからご連絡ください。

スタートバーン株式会社
contact@startbahn.jp



最後に、面識が無いにも関わらず私のメールに返信をくださり、数多くの政府報告書をご紹介いただいた小川明子教授に心より感謝申し上げます。



(1) 追及権の歴史や具体的な導入国などの詳細について今回は踏み込みませんが、日本語では木村剛大弁護士による解説記事、英語では世界知的所有権機関 (WIPO) による報告書などで整理・言及されているのでご参照ください。

(2) 厳密に言えば、NFTの取引におけるアーティストへのロイヤリティ分配は法的な権利ではないので追及権ではありません。しかし転売の度に取引額の一定割合を制作者であるアーティストが受け取る構造は共通しているため、今回の議論では同様の制度として扱います。

(3) 同じアーティストが制作した作品群が補完財であるか?については、実際のところ良くわかりません。二次市場での価格が上がると (このアーティストにはそれだけ需要があるのだなとギャラリーが判断することで) 一次市場で販売される新作の価格が上がる傾向がある点を考えると、補完財的な特徴を持つような気がします。一方で、大御所のアーティストが亡くなると (新作が市場に供給されなくなることを反映して) 相場が全体的に上昇する傾向がある点を考えると、代替財的な特徴を持つような気もします。

(4) この当時は追及権は存命作家にのみ適用されていました。

(5) McAndrew (2014)のデータは、追及権の導入に反対の主張をしているGinsburgh and McAndrew (2020)でも使われていますが、こちらの文献ではこの結果だけでは追及権と英国美術市場の世界シェア低下との間にただちに因果関係を認めることはできない旨が強調されています

(6) こうした理由から「ブロックチェーン技術などで今後美術品の取引追跡やロイヤリティ徴収にかかるコストが減るのだから国は追及権を導入しやすくなるはずだ」という意見については本末転倒だと考えています。

(7) NFTの取引記録は、twitterのフォロー/フォロワーやfacebookの友人関係などを示すソーシャルグラフとのアナロジーから、トークングラフという言葉で論じられることもあります。トークングラフは社会ネットワーク分析への応用が期待されていますが、筆者はさらに追及権の有用性を分析する研究の種にもなると感じています。



参考文献


Banternghansa, C., & Graddy, K. (2011). The impact of the Droit de Suite in the UK: an empirical analysis. Journal of cultural economics, 35(2), 81-100.

DACS. (2016). Ten Years of the Artist’s Resale Right: Giving artists their fair share. DACS.

Filer, R. K. (1984). A theoretical analysis of the economic impact of artists' resale royalties legislation. Journal of Cultural Economics, 8(1), 1-28.

Ginsburgh, V., & McAndrew, C. (2020). Artists’ resale rights. Handbook of Cultural Economics, Third Edition.

Graddy, K., Horowitz, N., & Szymanski, S. (2008). A study into the effect on the UK art market of the introduction of the artist's resale right. UK Intellectual Property.

Karp, L. S., & Perloff, J. M. (1993). Legal requirements that artists receive resale royalties. International Review of Law and Economics, 13(2), 163-177.

McAndrew, C. (2014). ​​The EU Directive on ARR and the British Art Market. The British Art Market Federation by ARTS ECONOMICS.

McCain, R. A. (1994). Bargaining power and artists' resale dividends. Journal of Cultural Economics, 18(2), 101-112.

Price, M. E. (1967). Government policy and economic security for artists: The case of the Droit de Suite. Yale LJ, 77, 1333.

Solow, J. L. (1998). An economic analysis of the droit de suite. Journal of Cultural Economics, 22(4), 209-226.


伊東 謙介
スタートバーン株式会社 ブロックチェーンリサーチャー

早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。東京大学学際情報学府社会情報学コース修了。同博士後期課程在籍。現代アート市場に強い関心があり、大学では知的財産管理を分散的に行うためのインセンティブ設計を研究している。スタートバーンには株式会社立ち上げ前から参画。趣味は幕末とバイオリン。
http://knskito.com/

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